アレクサンドル・グラズノフ(1865~1936)とは、ロシアの作曲家である。
概要
1865年にサンクトペテルブルクの出版業者の家に生まれる。幼少期から天才として名をはせ、1879年にロシア5人組のバラキレフの紹介で同じく5人組のリムスキー=コルサコフの師事を受けることになった。
彼の転機となったのがミトロファン・ベリャーエフとの出会いである。ベリャーエフはサンクトペテルブルクの資本家で、アナトーリー・リャードフの紹介でベリャーエフとグラズノフは出会うと、ベリャーエフは彼の才能を見出し、ともに西欧を旅行することとなった。さらに1880年代ころからベリャーエフは一層音楽への興味を持ち、リムスキー=コルサコフを筆頭に音楽家を囲い、ベリャーエフ・グループを誕生させた。その中には当然グラズノフの姿もあったのである。
作曲家、指揮者として名声を得ていったグラズノフであったが、1899年からはサンクトペテルブルク音楽院の教授に、さらには1905年には院長となり教育活動にも従事した。彼の弟子にあたるのがショスタコーヴィチなどである。
グラズノフはロシア革命が起きた当初はそのまま祖国にとどまったが、次第に共産党との関係が悪化し1928年西側に亡命し、1936年にパリで客死するまで二度と祖国に戻ることはなかった。
グラズノフの音楽性はよく折衷的とは言われるが、同世代のタネーエフやアレンスキーと比較すると、リャードフ同様5人組を筆頭にした国民学派の影響が強いサンクトペテルブルク派らしいものである。
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