サガとは、アイスランドで主に中世期に作られた古ノルド語の散文である。
概要
12世紀ごろから北欧諸国で作られるようになった文学形式。なお、この単語は古ノルド語の「語ったこと」、「物語」などの意であり、雑な理解でいえば英語のsayと同祖。キリスト教の布教とラテン化に伴い、当初はラテン語で書かれていた英雄文学であったが、次第に自らの言語で語るようになっていったという経緯である。
なお、14世紀初頭にはサガを記す情熱が消えてしまったのか、すっかりすぼんでしまい、他の地域のように騎士文学が流行っていく。
というわけで、古代に書かれたエッダ詩と異なり、西欧や東欧と同じくキリスト教の影響が強くなってしまっている。また、自分たちの王国の推移を語っていることも多い。
ジャンル
見取り図
宗教文学
13世紀に入ると、説教集などが見られるようになった。なお、おそらく同じ経路で輸入された話のコピペが多い一方、北欧的題材も多くみられる。やがて「古スウェーデン聖徒伝」などの自分たちの聖人伝が書かれるようになり、デンマークの「レゲンダ・アウレア」、そしてアイスランドのフロリサント・スタイルで書かれた「マリア・サガ」などの使徒や聖人たちのサガが書かれていった。
暗殺されたトーマス・アブ・カンタベリのサガは強い関心を呼んだのか、「司教のサガ」はそれに倣っていったようだ。
世俗翻訳文学
宗教文学と並ぶように始まったのが、他地域の歴史文学の翻訳である。すでに11世紀以前にサガの名を冠したアイスランドの「世界史」が書かれていたが、ブランドル・ヨウンソンによる「アレキサンダーのサガ」、シャンソン・ド・ジェストによる「カトラマグヌスのサガ」といったアレクサンドロスやシャルルマーニュの物語が翻訳され、「トリスタンとイソルデのサガ」等中世に起源を発するものも続いていった
王のサガ
アーリ・スォルギルソンなどが代表的な筆者とされている。とはいえ、ラテン語で書いたサイムンドル・シグフソン等の先駆者がおり、このジャンルはアイスランドのサガを典拠にしながら、テオドリクスの「老大国ノルウェーの歴史」、サクソ・グラマティクスによる「デンマーク人の事績」が代表的な存在となっていった。
話をサガに絞ると、アーリの「アイスランド人の書」、それに続いたスノリ・ストゥルトルソンの「ヘイムスクリングラ」や多少短いものである「アウグリプ」などが有名である。
とはいえ、実際のところノルウェー王の伝記についてまとめた、極めて近い時期に書かれた「ファグルスキナ」、「モルキンスキナ」、「ヘイムスクリングラ」の3書はどのような関係にあるかわかっておらず、まだ文学史的な課題は山積みである。
なお、「アイスランド人のサガ」を書いたスノリの甥・ストゥルトラ・スォウルズァルソンはスノリに倣っておじに書かされたと残し、1380年代の「フラテイヤの本」がほとんど「ヘイムスクリングラ」のコピペだったりとするので、「ヘイムスクリングラ」がどうしてできたのかのヒントはここにあるのかもしれない。
司教のサガ
王のサガと同様に、有力者だった司教のサガも多く書かれた。ストゥルトラ・スォウルズァルソンの「アイスランド人のサガ」に残されたものが大部分であり、シリアスなものから穏やかな日常話まで多岐にわたる。
一族のサガ
よその地域でアイスランド人のサガといわれるものは大体これである。これは王や司教ではなく、930年の全国民会議成立から、1030年頃までのアイスランドの日常を描くものである。「エイイトルのサガ」、「ヌヤウトルのサガ」が代表的な存在である。もともとは口述だったものが記されたのであろう。
このジャンルは「エイイトル・スカトラ‐グリムソンのサガ」、通称「エイグラ」をもって円熟したとされる。
古サガ
サガが書かれる以前の時代、つまり神話から古代を題材にした物語が古サガである。「シズリクル・アブ・ベルンのサガ」、「ヘルボルのサガ」、「フロウルフル・クラキのサガ」、「ラグナル・ロズブロウクのサガ」などが代表的な存在である。
「フリーズショウブルのサガ」が後世の手本になるなど、歴史を語るサガと並行してこのような文学ももてはやされていった。
関連項目
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