ヤス・ウラノ単語

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ヤスウラノ
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ヤス・ウラノとは、DDTプロレスリングに所属するプロレスラーである。
ニックネームは「リング上の哲学者」「バトルソクラテス」。

概要

学生プロレスを経て、KAIENTAI-DOJO(K-DOKO)の一期生に入門プエルトリコでの修業後、2000年11月19日にIWAプエルトリコでHi69(現・HIROKI)相手にデビュー。その後、K-DOJO内旗揚げ戦を前に帰し、みちのくプロレスFMW、全日本プロレスに参戦する。

2002年4月にはK-DOJOの旗揚げ戦に参加。2004年からはヒールユニットバジリスク」のメンバーとして、2007年までK-DOJO選手として活躍する。また、K-DOJOに在籍しながらも、ディック東郷らが設立したプロレス学校SUPER CREW」にコーチとして参加。コーチと言いつつ、自身も東郷からレスリング技術を学んだ。
2007年6月にはK-DOJOを離脱(7月8日までは試合に参加)し、7月以降はDDTプロレスリングフリーランスとして参戦するようになる。8月にはDDTテックの社員となるが、フリー扱いなのは変わらずじまい。

2009年1月DDTと正式契約を結び、2月以降は所属選手として活動するようになる。DDT初の両国大会では、KUDOとのタッグで4WAY戦を制し、KO-Dタッグ王座を獲得した。
2010年にはディック東郷のユニットグランマ」に参加し、プロレスリングNOAHの「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級リーグ戦」に東郷とのコンビで出場。小川良成からピンフォール勝ちを手にした。

未だKO-D無差別級王座には就いていないが、DDTレスラーとして欠かせない戦となっている。

また、自行も定期的に行っている。2008年7月の初行「ヤスうけあい」からスタートし、同年12月の「ヤスみじかん」、2010年1月の「ウラウラノ」、同年11月の「ヤスヒロ10周年記念!!(これはHIROKIとの合同)」、2011年10月の「ヤスサーカス」、2014年4月の「部屋とバンダナと私」などがある。

所属ユニット

ここではK-DOJO時代、並びに3人以上で構成されるDDTプロレスリングユニットについて記す。

DDT参戦当初はKUDOとのタッグで活躍してきたが、ヤスグランマ加入を機に一時袂を分かち合う。東郷の引退後は、アントーニオ本多と「レッツゴー30's」を結成。これに矢野啓太や火野裕士といった“お友達"が加わって「Crying Wolf」へと発展し、最盛期はKO-D差別級とKO-Dタッグの両王座チームで独占した。
矢野契約解除後は、マサ高梨率いる「ファミリア」と合体して「モンスターアーミー」を結成するも、西日本ツアー後の後楽園大会で決裂。2012年8月日本武道館大会では、サッカールール対決した。
同年9月ユニット再編成からは、学プロリング屋時代の仲間だったHARASHIMAKUDO(ついでにKUDOヤスの負傷欠場時に助っ人として加入したFUMAこと妻木洋夫)とともに「ウラシマクドウ(KUDO欠場時はウラシマヒロオとも)」を結成。

得意技

プロの名鑑や公式HPプロフィールでは「得意といえる技はありません」と答えているが、K-DOJO並びにディック東郷のもとで緻密なレスリング技術と試合の組み立てを身につける。その試合巧者ぶりは、ヤスティクス(鈴木健.txt命名)として知られている。

エピソード

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