長谷川昌幸単語

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ハセガワマサユキ
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長谷川昌幸(はせがわ まさゆき1977年7月16日~)とは、茨城県出身の元プロ野球選手投手)である。
広島東洋カープ時代の)ファンからの称は「セガ」。

概要

1995年ドラフト1位で入団。甲子園出場経験はないものの、素材は一級品という評価だった。

広島時代

素材を大事に大事に磨きあげるため、異常なほど彼の身体を気遣った首は、プロの身体が出来るまでボールに触らせないという底した保護管理育成を行ったが、結果としてこれが大きく裏に出てしまう。ようやくボールに触れるようになった時には、彼はピッチャーの自分としての投げ方を見失ってしまっていたのだ。この育成方針のミスが彼の今後にも大きくを落とすことになる。

1997にはプロ勝利を収め、2001年には9勝、2002年には13勝を挙げる(ただし被安打失点リーグワースト)など、期待の若手とされていた。

2003年腺炎で2勝に留まる。

2004年右手甲の故障で2勝に終わる。

2005年は23試合に登板したが、2勝10敗と大きく負け越した。

2006年中継ぎとして起用されていたが、シーズン終盤に先発投手が足りなくなったことで先発として起用された。

2007年は5勝止まりも100イニング以上投げ防御率2点台をマークし、復活かと思われた。

2008年は絶不調。あまりの打たれっぷりに、登板前から長谷川花火大会と称されるほどであった。

2009年は10試合の登板で3勝に留まったが、このうち2勝はロングリリーフで挙げている。

2010年シーズン序盤に2試合登板するも、いずれも5回持たずにノックアウト。首もついにしびれを切らした。

オリックス時代

2010年5月15日には迎祐一郎銭とのトレードでキダゴーこと喜田剛と共にオリックス・バファローズに移籍することになった。6試合の先発を任され、まずまずの投球を見せるも打線と上手くかみ合わず10年ぶりにシーズン勝利に終わった。

2011年シーズン二軍でも打ち込まれ、一軍に上がれないまま10月9日戦力外通告を受け、現役を引退した。横浜に移籍した後のと全く同じような幕切れとなった。

引退後

銭トレードという事で同様コーチ若しくは球団職員になると思われたが、2012年からは実業として広島市内で鉄板焼き屋「はせ」の経営や、時計の輸入販売などを行なっているようだ。
現在カープ関係者のブログ等で飲み会話題等が取り上げられる際、店や本人が度々登場する。

人物

顔立ちは端正で、彼に高校時代をげた広島女子も少なくないとされているが、乞食ヒゲが伸ばし放題なために「イケメン浮浪者」だとか「汚い浮浪者」とか呼ばれていた。

晩年の彼を一言でる言葉「いつまでもたもたしてるんだ!」 by大下剛史

成績

通算投手成績

通算:14年 登板 先発 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 209 130 8 1 42 61 0 9 .408 900.1 347 688 497 444 4.44

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