関ヶ原軍記大成とは、関ヶ原の戦いを取り扱った軍記である。
概要
全45巻で、『伊吹物語』、『慶五記』、『関ヶ原記大全』、『関ヶ原軍記大全』、『慶長太平記』などの別名を持つ。
作者は宮川忍斎(尚古)である。宮川忍斎は正保4年(1647年)に若狭の小浜に生まれ、酒井忠勝の子・酒井忠直の守役を務めたものの、父や兄の死後に江戸に出て諸学を学び、眼病の良医を求めて向かった九州で黒田家に仕えて『黒田家譜』の編纂にも関わり、享保元年(1716年)に亡くなったとされる。なお、この『関ヶ原軍記大全』の他には『勇功記』、『兵要続録』、『浪華征伐記』なども残している。
とりあえず宮川忍斎は、まだ酒井家にいたころ酒井忠勝の編纂させた『関ヶ原始末記』を読み、これをもとにした軍記の執筆を志し、諸家の記録を集めていったようだ。当初は『伊吹物語』と銘打ったが歌書と紛らわしいと言われ、『慶五記』、次いで『関ヶ原記大全』にタイトルを改めた。この頃はまだ30巻本である。増補して『関ヶ原軍記大全』32巻とし、これはどうやら元禄3年(1690年)の成立らしい。そして、失明後に息子である宮川尚敬に筆記させて、正徳3年(1713年)にようやく成立したのがこの『関ヶ原軍記大成』であった。
豊臣秀吉の出自から書き起こし、関ヶ原の戦いを経て徳川家康の征夷大将軍就任までを描く、関ヶ原の戦いを扱う軍記では最も詳細なもの。本文だけではなく、諸伝・諸説を網羅し、筆者の評を加え、さらに個々の登場人物の伝記まで書き加えたがために、長くなったようだ。
『江源武鑑』の作者としておなじみの偽作者・沢田源内が送ってきた書状を疑いつつも取り入れたりはあるものの、基本的には詳細な信頼のおける記録を公平に残そうと志し、その影響力から各地の大名家からも書入れの要望が来ている(ただ、露骨ではないものの、黒田官兵衛、黒田長政父子がやや美化されているきらいはある)。
関連項目
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