18世紀のイギリス(スコットランド)の経済学者、アダムスミスの「国富論」に始まった最初の近代経済学思想。どうすれば生産力が増進するか、また富の分配はどう変化するかを論じ、それを測る価値を労働におく「労働価値説」を基礎とした。
スミスは"レッセフェール(なすがままに任せよ)"という言葉に象徴される自由放任主義を唱え、政府は介入せず社会の経済活動の自由にさせておけば”神の見えざる手”によって社会的調和が生み出されるとした。これはそれまでヨーロッパに広がっていた重商主義(貨幣重視)を逆転させるものであった。
アダムスミスに続く古典派の経済学者には「最大多数の最大幸福」という功利主義を唱えたジェレミー・ベンサム、「人口論」を著したトーマス・マルサス、資本家と地主と労働者の間の分配の理論を生み出したデイビッド・リカード、そして「作ったものは全て売れる」というセイの法則を生み出したジャン・バティスト・セイらがいる。古典派経済学という表現はマルクスが「経済学批判」の中で用いたことに始まる。
その後歴史の中で、社会主義的経済学と勢力の奪い合いを繰り広げ、19世紀後半には「新古典派(Neo classical)」、20世紀後半には「新しい古典派(New classical)」という分かりにく過ぎる名前で何度も復権し国際経済に影響を与えていった。
掲示板
18 ななしのよっしん
2022/08/20(土) 13:43:11 ID: 7HYlvOWBgF
>>17
労働価値説を肯定して全要素生産性を否定する理由はよくわからないですね…
1971年から考えても生産物の価格は右肩上がりかと思います
ただし日本ではここ20~30年停滞していると思いますが
例えば平均所得が上がり続ければ生産物の需要(つまり個人消費)が高まり続けると思います
単に個数が多く売れるというより、より付加価値の付いた高い商品が売れるようになるという前提です
給料が上がったんでちょっと値段高いツマミを買うようにするか、ってな具合ですね
19 ななしのよっしん
2022/08/20(土) 14:32:08 ID: F5ax+u6Pee
>>18
>>労働価値説を肯定して全要素生産性を否定する理由はよくわからないですね…
これはマル経で言うところの資本の循環形態とか生産資本の考え方。全要素生産性では可変資本と不変資本の区別がない(価値に移転分と付加分の区別があるという発想がない)からマル経では滅茶苦茶嫌われる。
古典派のスミス・ドグマというやつで(俺も詳しく読み込めたわけではないが、『資本論』の第2巻)、固定資産・流動資産の区別と不変資本・可変資本の区別をごった煮にしたことで古典派はとある問題でドツボにはまった、ということらしい。
>>ただし日本ではここ20~30年停滞していると思いますが
ここ最近は表示価格よりもシュリンクフレーション(いわゆるステルス値上げ)の方が目立つ気がする。
>>例えば平均所得が上がり続ければ生産物の需要(つまり個人消費)が高まり続けると思います
それ、いつまで続く?
あくまで今の分配問題を是正するという話なら同意するが(それこそ階級闘争の問題)、そこを抜きにして所得増、消費増、
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
20 ななしのよっしん
2022/08/20(土) 19:16:12 ID: F5ax+u6Pee
>>19で初歩的なミスを書いてたので訂正。
労働の二重性の話なので、可変資本は具体的有用労働として価値を移転しつつ、抽象的人間労働としては価値を増やすというのが正しい。
だから、可変資本=価値を増やす〔だけ〕、ということではなかったわ。
ちなみに、この「可変資本=価値を増やす〔だけ〕」というのが前述の「スミス・ドグマ」につながってくるんだが、俺も自身聞きかじりなので該当箇所引用するけどそこから先は詳しくは知らん。
「ところで、アダム・スミスの第一の誤りは、年間の生産物価値(不変資本+可変資本+剰余価値)を年間の価値生産物(可変資本+剰余価値)と同一視してしまっている点にある。
後者はあくまで該当の一年間の労働の生産物だけであるが、前者の場合はそれに加えて、その価値が再現しているだけの生産手段――年間生産物の清算に消費されたが、前年ないしそれ以前の年に生産された一切の価値要素――をも含んでいる。」(『資本論』Bd. 2,S. 376)
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最終更新:2024/06/02(日) 07:00
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