縄文時代 単語

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ジョウモンジダイ

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日本の歴史
旧石器時代
( - B.C.14000頃)
縄文時代
(B.C.14000頃 - B.C.1000頃)
弥生時代
(B.C.1000頃 - A.D.300頃)

縄文時代とは、日本の時代区分。おおよそ紀元前1万4000年ごろから紀元前10世紀~紀元前3世紀ごろまでの時代をさす。世界史的には新石器時代に当たる。弥生時代ともども近年の研究の進展が甚だしく、論争も絶えないため、あくまでも現在高校教科書的な記述にとどめる。

名前の由来は縄のような文様が特徴の縄文土器から。

縄文時代の概要

日本列島に人類が定着し始めたのは約四万年前の後期旧石器時代とされている。この頃は、現代とべて地球全体が寒冷な気で、準が現在よりも100m以上低かった。そのため、現在日本列島大陸と陸続きであったとみられている。当時は寒冷な気であったため森林に乏しく、マンモスなどの大動物食とする狩猟採集生活が営まれたと考えられている。そのため、当時の人々は動物の群れを追う遊動的生活を営んでいたたとみられ、動物を追い、南北双方からモンゴロイド系人類が日本列島に進出してきたと考えられている。地質年代では更新世の最終氷期に当たる。

ところが、約二万年前ごろから気が不安定となり、約一万年前頃から急温暖化が進行(新世への移行)した。これに伴い、急準の上昇(縄文進)が起こり、大陸と切り離された列地形が形成されたほか、植生も従来の針葉から、西日本の暖温帯地域には照葉が、東日本の冷温帯には落葉広葉が広まった。当然、日本列島に生息していた人類も生活スタイルの変更・適応が迫られたわけだが、温暖化の結果もたらされたのは豊富な森林海洋であった。これらの資背景に、新発明された縄文土器を用いて狩猟採集を生業の基盤とした定住的生活が営まれた。これが縄文時代である。

日本列島大陸から切り離されたことや、人口の大半が関東以東に偏っていたこともあり、大陸文化とは異なる列独自の文化が営まれた。過装飾の縄文土器や土偶・石棒などが例として挙げられ、これらは縄文文化として一括して扱われることが多い。ただし、これらの詳細は時期や地域によって様々であったことには注意が必要である。縄文時代として扱われる1万3000年間や日本列島内に全く同一の文化価値観・文物が共有されていたわけではないのである。縄文土器も創期のものと中期のものを並べると全くの別のものである。あくまで現代的な視点からの便宜的な区分・呼称であることを覚えておいてほしい。

では、以上のことを踏まえ、縄文時代の生活はどのように特徴づけられるかをまとめよう。見づらくなったので解説反転にしてある。

  • 調理具として縄文土器が成立 森林から得られる堅果類やどんぐりはアクを抜かないと到底食べられない。
  • 狩猟具として発明 温暖化で大動物絶滅シカイノシシなど素動物が相手となったため。
  • 漁労が活発化し貝塚などが発達 進によって内陸にが流入。遠浅の干潟地帯となったため。
  • 住居での定住生活の開始 身近に安定的な食料が確保できるようになったため。
  • 大規模集落の造営 三内丸山遺跡や、東北関東中部高地に見られる環状集落など
  • 磨製石器の本格的使用 伐採用の磨製石が登場。だが実際は矢やナイフは打製石器が使われ続けた。
  • 器、かごや漆製品が登場 旧石器時代にも存在したとみられるが、地質的要因で見つかっていない。
  • 貧富の差があまりない共同体生活が維持 唯物史観による思想が強い部分はあるが、殺傷人は少ない。
  • 土偶石棒屈葬といったアニミズムに基づく
  • 人口(遺跡数)は東日本に偏っている 理由はまだよくわからない食料獲得戦略上の都合?

だいたいこういったことを押さえておけば学校テストでは十分である。(日本列島歴史では旧石器時代に次いで長いのに、共々軽視されがち)

だがせっかくなので、近年の成果も少し紹介しておこう。

縄文時代では、かなり交易が盛んであったことが明らかにされている。例えば、黒曜石長野県(和田)や北海道(白滝)、伊豆(神津)といった要産地のものがかなり広範囲に運ばれたことがわかっている。特に神津の場合、を渡らなければならないため、渡技術や運技術も従来の想像以上のものであったと考えられている。他にも、翡翠新潟県糸魚川産のものが列各地で出土する。素材だけではなく、磨製石飾も特定の遺跡で生産され、流通していたことが明らかにされつつある。

また、食料獲得に際して狩猟採集だけではなく、栽培や牧畜を行っていたことが明らかにされつつある。縄文土器にはその胎土に植物種子が混入し焼成の際に洞となった、植物種子を取ったが残っている場合がある。こうした(土器圧)の調により、縄文時代にすでにマメ類(ダイズアズキ)やイヌビエ、エゴマなどの積極的利用があったことが明らかにされている。また、特にマメ類において、縄文時代中期以降にサイズの大化が認められることから、栽培がおこなわれていた可性も摘されている。また、クリの利用もかなり積極的で、食用利用のほか、建築材としても頻繁に利用されたことが明らかになってきている。青森県三内丸山遺跡では、花粉分析の結果から集落周辺にクリを整備していたのではないかと考えられている。

一方、弥生時代に区分される水田耕作導入以前のイネの利用の拠は見つかっていない。一時期、プラントオパール分析の結果、岡山県の遺跡から縄文時代にさかのぼれるイネ利用の拠が見つかったとされているが、プラントオパールは非常に小さく、混入の可性が摘されている。

牧畜については、イノシシ畜化されていたのではないかという議論がある。

実は、々の想像するよりはもっと豊かで高度な生活が縄文時代に営まれていたのである。

縄文時代・文化の範囲

前項では細かな記載をしたが、現在教科書的な理解を簡単に説明すれば、

縄文時代は日本列島において、土器が利用され始めてから水田耕作が導入されるまでの時代をしている。

この範囲に関しては、世間の一般の認識はこれで共通していると思われるが、学史的にも今日的にもかなり議論が続いているものである。今後の研究成果次第では、この縄文時代という区分も変わってくるかもしれない。

縄文時代の時代区分

縄文時代は縄文土器の分類によって大きく以下の6期に分けられる。あくまで、放射性炭素年代測定法が確立される以前に縄文土器の分類(式)を基準に区分され、呼称されたものであるため、各期の存続期間は一定でない。また、各期の細かな分類、実年代との対議論があるほか、地方によってずれがあるため注意が必要。

  1. 創期(紀元前1万4000年~):丸底深鉢土器が多い。
  2. 期(紀元前8000年~):底深鉢土器が多い
  3. 前期(紀元前4000年~):東日本底深鉢土器が現れ、煮炊き以外に使われる土器も登場
  4. 中期(紀元前3000年~):北陸の火炎土器のような特徴的な土器が現れ、文化が最も盛を極める
  5. 後期(紀元前2000年~):土器が小化し、用途によって多様な形に分化
  6. 晩期(紀元前1000年~紀元前300年):土器の多様化がさらに進む

主な遺跡

大平山元Ⅰ遺跡(青森県創期 定史跡・世界遺産北海道・北東北の縄文遺跡群」
日本最古(16,500-15,500calBP)の文土器が出土。 
貝塚福井県創期~前期
栽培されていた可性があるヒョウタン・エゴマなどの植物化石のほか、重な創期の木製品・器等が出土。出土品は定重要文化財に定されている。
鹿遺跡(静岡県創期 定史跡
日本最古級の集落遺跡。多数の住居が創期の土器とともに検出された。創期は、洞窟や岩陰など自然地形を利用した遺跡が多い中、開けた土地における集落遺跡は少ない。
上野原遺跡(鹿児島県期 定史跡
九州最古・最大級の集落跡。南九州期にかなり定住的な独自の文化を発展させるが、火山破局噴火により衰退する。出土品は定重要文化財。
三内丸山遺跡青森県:前~中期 定特別史跡・世界遺産北海道・北東北の縄文遺跡群」
東北最大級の集落遺跡。野球場建設に伴い発見され、スタンドまで作られた後に建設計画が撤回され、保存された経緯を持つ。六本柱建物跡や大建物跡など、従来の常識を覆す大規模集落で、かつそれに伴う棄帯や墓域等が良好な状態で発見された。縄文時代の遺跡といわれてっ先に挙げられるのはここ。
遺跡(長野県:中期
環状集落の一例。宝土偶「縄文のビーナス」が出土したことで有名。
加曽利貝塚千葉県:中~晩期 定特別史跡
日本最大級の貝塚を伴う集落遺跡。南北2つの環状・蹄形貝塚が時期を違えて形成されている。学史的にも非常に重要な遺跡。
大森貝塚東京都:後~晩期 定史跡
E.S.モースによって1877年に発見され調された貝塚遺跡。日本近代考古学の出発点。出土品は定重要文化財。
大湯環状列石(秋田県:後期 定特別史跡世界遺産北海道・北東北の縄文遺跡群」
東西2つの大規模な環状列石からなる配石遺跡。共同墓地上に構築された儀礼施設と考えられている。
石器時代遺跡(青森県:晩期 定史跡・世界遺産北海道・北東北の縄文遺跡群」
重要文化財の遮光器土偶が出土した遺跡として有名。古くから精巧な土器が出土することで有名で、「の丘」→「」という地名となったともいわれる。江戸時代から盗掘が行われ、出土品が広く流通したらしい。その一方、本格的な学術調は近年まで行われておらず、名前は有名だけど遺跡の全貌はよくわかっていない遺跡である。
付遺跡(福岡県)・菜遺跡(佐賀県:晩期~弥生時代 定史跡
両者とも、日本最古級の水田跡が検出された遺跡。縄文時代晩期末とされていた土器とともに水田跡が検出され、従来の説よりも水田耕作の導入がまることを明らかにした。現在では弥生時代期に区分する考えが流。

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