ウィリー・カークランド単語

ウィリーカークランド
1.5千文字の記事
  • 0
  • 0pt
掲示板へ

ウィリー・カークランド(Willie Charles Kirkland)とは、元プロ野球選手である。

概要

1934年2月17日生まれ。アメリカ合衆国アラバマ州出身。

高校卒業後、1953年ニューヨークジャイアンツ契約1958年メジャー初昇格し、ウィリーメイズとともにクリーンナップを担う。1959年に22本塁打を放つと、同年から4年連続で20本塁打を放つなどメジャー舞台で活躍。1960年には日米野球で来日しているが、日本投手変化球に苦しみ結果を残せなかった。1961年クリーブランド・インディアンスへ移籍し、打率.259、27本塁打、95打点マークしたが、翌1962年打率.200と低迷し、以降は下降線をたどる。1964年ボルチモア・オリオールズへ移籍、同シーズン途中にワシントン・セネタースへ移籍。

1968年助っ人外国人野手の獲得で失敗の続いていた阪神タイガースが獲得。メジャーでの活躍を評価され、4番打者として期待されての入団であった。

初年度の1968年、開幕から4番打者を任され本塁打を量産。打率は.247であったが、37本塁打、89打点チームの期待に応えてみせた。

1969年、前年同様軸として活躍し、1イニング2本塁打記録するなど27本塁打を放ったが、当時のNPBワースト記録となる133三振記録

1970年以降は打撃の粗さを問題視した村山実監督からスタメンを外されることも増えたが、それでも1970年には1試合3本塁打記録1972年には打率.266、20本塁打、52打点マークするなど随所で存在感を発揮。

1973年、14本塁打を放ったが、体力限界を感じ、同年限りで退団し現役を引退した。

引退後は帰デトロイト州へ移住。ゼネラル・モーターズに就職し、デトロイト工場閉鎖するまで整備員として勤務していたという。

人物・エピソード

持ち前のパワー快なスイングから本塁打を量産したスラッガー。一方で強引に引っるプルヒッターであったため三振も多く、四球を選ぶことも少なかった。

常に爪楊枝をくわえながらプレーする姿が、時代劇の『木枯し紋次郎』を彷彿とさせたことから「モンジロー」と呼ばれファンからしまれた。

験担ぎとしてウサギしっぽのお守りを身に着けてプレーしていた。

通算成績

打撃成績

通算:15年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:9年 1149 3882 3494 443 837 148 509 52 16 34 323 15 648 45 .240 .304
NPB:6年 703 2503 2273 254 559 126 304 7 22 4 190 14 504 38 .246 .308

記録

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 0
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

好きな惣菜発表ドラゴン (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: take
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

ウィリー・カークランド

まだ掲示板に書き込みがありません…以下のようなことを書き込んでもらえると嬉しいでーす!

  • 記事を編集した人の応援(応援されると喜びます)
  • 記事に追加して欲しい動画・商品・記述についての情報提供(具体的だと嬉しいです)
  • ウィリー・カークランドについての雑談(ダラダラとゆるい感じで)

書き込みを行うには、ニコニコのアカウントが必要です!