曖昧さ回避
実在の人物
- オリバー・クロムウェル - 17世紀英国の軍人・政治家。清教徒革命の議会派軍事指導者として名を上げ、議会派政権成立後は護国卿に就任、事実上の独裁者として辣腕を振るった。該当項目参照。
- リチャード・クロムウェル - 1の息子。父から護国卿の地位を受け継ぐ。
人物以外のクロムウェル
フィクション作品の登場人物など
- 拘束制御術式「クロムウェル」 - 漫画・アニメ「HELLSING」にて吸血鬼アーカードの能力を制御・封印している術式。零号から3号まで存在している。
- シェリー=クロムウェル - 小説『とある魔術の禁書目録』の登場人物。該当項目参照。
- ニクソン・クロムウェル - フリーゲーム『Seraphic Blue』の登場人物。該当項目参照。
概要
第二次世界大戦後半の英国軍主力巡航戦車。大戦後期を通じて徐々に改良を重ね、最終的には英国巡航戦車としてはバランスのとれた車両に成長している。
開発の経緯
きたるべき大戦の理想的な巡航戦車はこれくらいだろう……と見込んで設計された、巡航戦車カヴェナンター。まあしかしご承知の通りのグダグダでモノにならず、「こりゃいかん」と急遽立ち上がったバックアップ企画である巡航戦車クルセイダーの登場は大戦開始後になってしまう。そしてその半歩の遅れははっきりと性能に現れており、クルセイダーは登場の時点でドイツ戦車に一歩も二歩も劣る能力を露呈してしまっていた。
英国紳士もむろんこれを座視せず、新たな戦車開発計画をメーカー各社に募集をかけたのである。その応募に答えてレイランド社から提案されたのが、クルセイダー巡航戦車の拡大強化版にロールスロイス・マーリンエンジンの車載型を搭載するという提案。スペック的にも問題なく、こんどこそ理想の巡航戦車が手に入ると喜んでいた軍部であったが、現実はそんなに甘くなかったのである。
問題の核となったのは一にも二にもエンジンであった。クルセイダーの設計企業であるナフィールド社は自社がライセンス生産権を持つリバティーエンジンの搭載にこだわり、クルセイダーのエンジンであるリバティーエンジンをこの新型戦車に乗っけて「これ使え」と提案してくる挙に出たのである。マーリンエンジン採用の言い出しっぺであるレイランド社も、実のところロールスロイス社の強引な営業に負けて「じゃあ、お宅のマーリンエンジン採用しましょうか」となった経緯があり、実際にマーリンエンジンの車載タイプの開発をやってみたところあまりの複雑さに「ウチじゃ無理」とさじを投げていた格好。さらに英国空軍の主力エンジンであるマーリンエンジンの戦車型の安定供給に不安を抱くむきもあり、この行為もすんなり通ってしまったのであった。かくて生まれた戦車がクロムウェルMk.Ⅰ。当然のことながらアンダーパワーはひどく、実戦に投入できるような性能はないと判断され生産数のほとんどは訓練用に回されている。
さすがにこりゃああんまりだということでレイランド社は設計のやり直しを開始。メリット・ブラウン式操向装置や再調整したサスペンションの導入といった手直しを行った結果がクロムウェルMk.Ⅱ。機動性もいくらか向上したが、何より重要なのはエンジン区画の改修である。そう、一度は諦めかけていたレイランド社だが、しかし英国紳士は諦めが悪いのが取り柄なのだ。
かくしてとうとう完成した車載型マーリンエンジン、「ミーティア」を搭載したのがクロムウェルMk.Ⅲ。ミーティアへの積み替えができるように作られたクロムウェルMk.Ⅱも大半が後に積み替えを行われている。このMk.Ⅲによってクロムウェル巡航戦車はいちおうの完成をみることになったのである。ときに1943年1月。
なお、Mk.Ⅰには「キャバリエ」、Mk.Ⅱには「セントー」という別の名前が与えられ、独立した別戦車として扱われることとなった。
性能
主砲は完成当時の主力戦車砲、6ポンド砲を搭載。例によってこの時点では榴弾の設定がなかったため、後に榴弾が撃てる75mm砲に換装されている。
装甲は当初は要求仕様通りの前面76mm。上記の主砲とあわせ、1942年あたりまでは優れた戦闘力を持つ車両と呼べたであろう数値である。……しかしさ、この戦車、43年からの製造開始なんだ……。そんなわけで後に増加装甲が施され、最終的には前面101mmまで強化されている。とはいえ増加装甲との合算値であり、一枚板よりは差し引いて考える必要あるけど。
ええい気分変えていこう、特筆すべきはその機動力。セントーの時点で施された足回りの改良は名エンジン・ミーティアの発揮する600馬力のパワーによって真価を引き出され、路上最高速度はなんと64km/hにも達する。装軌式車両としては異例の域の快速であり、WW2でこれを上回るのは米の戦車駆逐車か戦間期のBT戦車シリーズくらい。大戦後期の英国軍の韋駄天戦車としてその快速性は大いに重宝された。
戦史
本格的な参戦は1944年6月のノルマンディー上陸作戦以後。参加した戦いでもっとも著名なのが、ヴィレル・ボカージュの戦いである。1944年6月13日、北部フランスの重要拠点・カーン市を、前面に陣取るSS第101重戦車大隊を迂回して攻略しようとした英第七機甲師団。しかしそれを察知して急襲をかけたSSタンクエース、ミハエル・ヴィットマン率いるティーガー部隊の前にフルボッコにされ迂回攻略作戦が不可能となった戦い……あれ? これってクロムウェルって単なるやられ役雑魚キャラ?? あれ?? 活躍……???
え、えーっと、後に朝鮮戦争にも使われてですね、そんで中国の「人民志願義勇軍」(っつーか中国軍)に鹵獲されて運用されてたクロムウェルが、初の本格実戦参加となったセンチュリオンの最初の餌食に……あれ? これもまた単なるやられ役雑魚キャラ扱い? あれ?? あれれ???
そもそも1944年6月の時点で、「英国巡航戦車としてはバランスのとれた車両」であっても、もっと全能力において高いレベルでバランスのとれた戦車を英国はふんだんに使える状況にありました。はい、レンドリースでやってきたM4中戦車でございます。そんなわけでクロムウェルは既に英国巡航戦車としての主役の地位を追われており、その居場所は快速を取り柄とした機甲偵察連隊にしか残されていなかったのが実情だったりするのでありました。
クロムウェルくん、不幸。
派生車両
というわけで実戦ではさんざんだったクロムウェルだが、大戦後期クラスの「まともに使い物になる自国製の車台」としての価値は大きく、いくつかの派生車両を生み出している。
車体を全体的に拡大し大型の箱型砲塔を搭載したチャレンジャー巡航戦車。軽量化した17ポンド砲を新型砲塔に搭載したコメット巡航戦車。WW2後、当時の主力戦車・センチュリオンの新型備砲である20ポンド砲を装備した戦車駆逐車両・チャリオティア。いずれも投入時期のタイミングが悪く大した戦果を残すことはなかったが、それぞれまとまった数が生産されており、それだけクロムウェルがモノとしては悪いものではなかったことの傍証に……なる、といいなあ……。
関連作品
動画
解説があんまりなので気分直しにどうぞ。
静画・MMDモデル
関連コミュニティ
関連項目
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