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ケルソ
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ケルソ(Kelso)とは、1957年生まれのアメリカ競走馬

5年連続で年度代表馬に選ばれるという大偉業を成し遂げた、「King Kelly」という異名を戴くアメリカ競馬史上最強クラス騸馬である。ブラッドホース誌「20世紀のアメリカ名馬100選」では第4位。

概要

出自

Your Host、Maid of FlightCount Fleetという血統。アホストはケルソが生まれた時点ではステークスウィナーを複数出していたがまだ大レースでの産駒の活躍がなく、メイドオブフライトの近にも活躍は居ないという、特にアピールポイントがあるわけでもない血統である。体に関しても育成牧場スタッフが「今年のの中で一番期待できない」などと口をえる不出来で、結局成長を促すためにデビュー前に去勢されてしまった。医と兼業しているジョン・リー調教師の管理となった。

ちなみに名は馬主友人名前から取られているが、この由来となった人物は女性であるらしい。

2~3歳時

2歳時を3戦2勝で終えた後、リー師が医業に専念するため調教師引退し、本カールハンフォード厩舎に転厩した。蹄が普通より薄いことが判明して特注の蹄を作ることになったというのも相まって、ようやく3歳シーズン初戦に漕ぎ着けたのは三冠競走が全て終わった6月のことだったが、復帰戦となる6ハロンの一般競走をいきなり10身差で圧勝。翌に出走した1マイルの一般競走では1分342という好時計叩き出して再び12身差を付ける圧勝を飾った。

次走でステークス競走初挑戦となったアーリントンクラシックSではメンバーったこともありT.V. Larkの8着に敗退したが、続いて出走したチョイスSでは7身差で楽勝。更に2戦続けてレコード勝ちし、3連勝で臨んだローレンスリアライゼーションSではトラヴァーズS優勝*トンピオンを4身半突き放して快勝した。

続けて出走した古初対戦のホーソーンゴールドカップでは再びT.V. Larkとの対戦となったが、2着以下に6身差を付けて圧勝。ジョッキークラブゴールドカップでは当時の最強である前年のワシントンDCインターナショナル勝ちBald Eagleらを相手にレコード勝ちした。年末のマリブSがシーズン終戦となる予定だったがレース当日の捻挫のために出走取消となり、3歳シーズンは9戦8勝となった。

この活躍が評価されたケルソはこの年の最優秀3歳騸馬を受賞し、ワシントンDCインターナショナルで連覇を達成したBald Eagleを抑えて年度代表馬も受賞した。三冠競走に出走すらない3歳(騸馬)が全年度代表馬を獲得したのは戦後初のことだった。

4歳時

4歳時は先述の捻挫がいて5月まで休養したが、メトロリタンH→サバーバンH→ブルックリンHからなるニューヨークハンデキャップ三冠標に5月に始動すると1身半差で快勝。130ポンド(約59kg)を背負ったメトロリタンHでは最後の直線でまともに包まれたが群をこじ開け、クビ差で差し切った。続けて出走したホイットニーHでは2位入線となったが1位入線Our Hopeが本を妨したと認められて降着となり、本の連勝は9に伸びた。

133ポンド(約60.3kg)で出走したサバーバンHも圧勝したため、ブルックリンHでは136ポンド(約61.7kg)まで斤量が上げられたが、それでもケルソは118ポンド(約53.5kg)という軽量のDivine Comedyを1身1/4差で破って見事に優勝Tom Fool以来8年ぶり3頭ニューヨークハンデキャップ三冠を達成した。

1ヶ後のワシントンパークHでは4着に敗退して連勝は11でストップしたが、ウッドワードSではDivine Comedy二冠馬Carry Backを8身以上もちぎり捨ててレコードで圧勝。ジョッキークラブゴールドカップも5身差で楽勝して連覇を達成した。

初芝挑戦となったワシントンDCインターナショナルでは果敢に逃げて最後は後続を12身も離したが、スタートから本マークしていたT.V. Larkだけはぎきれず3/4身差で2着。上のエディ・アーキャロ騎手は「ペースの配分を間違えた。明日同じメンバーで走ったら勝てる」と唇を噛んだが、直後に飛節の怪が見つかり、再び長期休養となった。それでも年度代表馬(2年連続)と最優秀ハンデキャップ騸馬を受賞した。

5歳時

ケルソが休養している間にアーキャロ騎手病気引退したため、新たにウィリー・シューメーカー騎手上に迎えたが、ケルソとの対戦を恐れた多くの営がケルソの出走予定のレースを回避するということが多発し、メトロリタンHにぶっつけで挑戦せざるを得なくなった。ケルソはそれでも単勝1.6倍の支持を受けたが、結局レコード勝ちしたCarry Backの6着に敗退した。

後々のレースに向けて叩きの一戦を使いたかったケルソ営は一計を案じ、6月マサチューセッツハンデキャップに出走するという予定を立てた上で同日の一般戦(定量戦)に登録するという奇策を行った。これが功を奏してレース事成立し、117ポンド(約53kg)という裸同然の斤量で出走したケルソは2身1/4差で楽勝した。

Carry Backとの再戦となり、僅か4頭立てとなった7月4日サバーバンHでは132ポンド(約60kg)を課されながら単勝1.65倍の1番人気となったが、115ポンド(約52.1kg)の軽斤量武器逃げBeau Purple逃げ切られ2着。10日後のモンマスHではBeau Purpleには先着したもののCarry Backに抜け出されて同の3身差2着に敗れた。

この後ケルソはウイルス性の感染症にかかり、8月まで療養。新たにイスエル・ヴァレンズエラ騎手上に迎えた復帰戦を勝利で飾ると、ヴァレンズエラ騎手が騎乗しなかった次戦を4着に落とすが、その次走のスタイミーHは2身半差で逃げ切り、この年のステークス競走初勝利となった。これで勢いがついた本は、ウッドワードSでベルモントSトラヴァーズSを勝った3歳Jaipurを破って連覇を達成すると、ジョッキークラブゴールドカップでも10身差でレコード勝ちして3連覇を決めた。

しかし連闘で出走したマンノウォーSではまたしても逃げBeau Purpleの後を拝して2着。ワシントンDCインターナショナルではBeau Purpleに終始競りかけてレースを進め、向こう正面で同を競り潰すことには成功したものの、そこからめに仕掛けてきたCarry Backを振り切るのに脚を使いすぎたのが祟り、フランスから遠征したこの年のキングジョージVI世&クイーンエリザベスSの勝ちMatchの後方一気をぎきれず2着に敗戦。ヴァレンズエラ騎手は「自分の乗り方がまずかったばかりにケルソを負けにして、本当に申し訳ないことをしてしまった」と号泣した。それでもこの年の年度代表馬を受賞して3年連続で年度代表馬となり、2年連続となる最優秀ハンデキャップ騸馬タイトルも手にした。

この後12月レースレコード勝ちを収め、賞アメリカ競馬史上5頭となる100万ドルの大台に乗せてシーズンを終えた。

6歳時

何事もなく6歳を迎えたケルソはこの年は1月から始動。初戦のパームビーチハンデキャップでは2歳時に最優秀2歳に選ばれ、ケンタッキーダービーでも3着に入った実の4歳Ridanと最優秀3歳に選ばれたJaipurの前に4着敗退となったが、翌週のセミノールHではRidanらを破って健在を示した。

続くワイドナーHではまたもBeau Purple逃げ切られ2着に終わったが、続けて出走したガルストリームパークHを130ポンド(約59kg)の斤量を背負いながら逃げ切ると、以後も130ポンド以上の斤量を毎回背負わされながらジョン・B.キャンベルH→ナッソーカウティS→サバーバンH→ホイットニーS→アケダクトSと連戦連勝。既に3歳勢からも挑戦者が現れていたが、プリークネスSを勝ったCandy SpotsがアケダクトSで4着に入るのが精一杯という有様であった。

久々の定量戦出走となったウッドワードSでは、2歳時に最優秀2歳をRidanと同時受賞したCrimson Satan、一旦引退したが再びレースに復帰したCarry Back、前年の最優秀2歳でこの年のケンタッキーダービー2着の実績があったNever Bendらを全く相手にせず3連覇を達成。ジョッキークラブゴールドカップでも前年の2着Guadalcanalを再び4身差の2着に破って4連覇を達成した。

しかしワシントンDCインターナショナルでは芝路線の強であったMongoに一進路を妨される不利を受けて2位入線となり、そのまま確定したため3年連続の2着となった。それでも4年連続となる年度代表馬を満票で受賞し、3年連続となる最優秀ハンデキャップ騸馬タイトルも手にした。

7歳時

7歳時は初の西海遠征となる5月ロサンゼルスHから始動したが、130ポンドの斤量が祟ったのか9頭立ての8着に敗退。127ポンド(約57.6kg)の斤量で出走したカリフォルニアンSも6着に敗れると々に遠征は切り上げられた。東海に戻って初戦となったストレイフェイスHでは136ポンドで勝利したが、サバーバンH、モンマスHで2着に惜敗した後、ブルックリンHではモンマスHで離れた3着だったGun Bowの5着に敗退した。

コースで行われた一般競走に出走してここをレコード勝ちしたケルソは前年に勝ったアケダクトSに出走し、Gun Bowとの再戦を迎えた。斤量は2頭とも同じで、単勝オッズはGun Bowが1.55倍、ケルソ3.2倍だった。6万5000人の観衆を集めたこのレースでは逃げるGun Bowをケルソが2番手からかわして3/4身差で勝利を収めた。

この時点でケルソは1711132ドルの賞を稼いでおり、次走となるウッドワードSを勝って約7万ドルの賞を上積みすればRound Tableが持っていた174万9869ドルの賞記録更新できるというところまで迫っていた。4連覇がかかるこのレースではGun Bowに加えて、同年のベルモントSNorthern Dancer三冠を阻んだQuadrangleも出走していたのだが、ケルソは単勝1.25倍の圧倒的支持を受けた。逃げるGun Bowを前走同様にかわし、一度は半身ほどの差をつけたのだが、ここからGun Bowがとんでもないを見せて応戦。ほぼ同着に近い接戦に持ち込まれ、惜しくもハナ差2着に敗れた。

しかし単勝1.4倍の支持を集めたジョッキークラブゴールドカップでは、人気に応えて5身半差で圧勝して同競走5連覇を達成。タイムダート16ハロン3分192の世界レコードであり、同時に賞王の座も手にした。

次走は3年連続で2着に敗れていたワシントンDCインターナショナルとなり、オッズはケルソ2.2倍、Gun Bowが2.5倍で、ソ連から渡してきた同最強Anilinが16倍で続くという全な2強オッズとなった。逃げるGun Bowを番手で追走し、向こう正面から徐々に並びかけていくと直線では徐々に差をつけ、最後はGun Bowに4身半差をつけて勝利。3年前のT.V. Larkのレコードを2.4更新する2:23.8という全レコード(世界レコードとも)を叩き出しての勝であった。なお、このレースでは日本から1963年年度代表馬の1頭リユウフオーレルも出走したがシンガリ負けを喫している。

これらの活躍を受け、12月の年度代表表では177票中119票の得票で5年連続の年度代表馬に選出され、最優秀ハンデキャップ騸馬の座も4年連続で手中に収めた。

8~9歳

ワシントンDCインターナショナルを最後に引退させようと思っていた馬主と、現役続行が可だと考えていたハンフォード師の間で8歳になったケルソの去就に関する見方は割れていたのだが、結局6月レースで復帰。ここは3着に敗れたが、次走のダイヤモンドステートHでは3身1/4差で勝利した。

132ポンドを背負ったブルックリンHで3着を経て、130ポンドで出走したホイットニーSでは最後の1ハロンで3身差を逆転してハナ差勝ちしたが、同斤量で挑んだアケダクトSは4着敗退。スタイミーHでは2着以下に8身以上の差をつけて圧勝したが、その後の怪で年内全休となった。この年は年度代表馬と最優秀ハンデキャップ騸馬タイトルのどちらも、この年ケルソが出走しなかったウッドワードSとジョッキークラブゴールドカップを制したRoman Brotherが受賞した。

9歳になっても現役を続けたが、右前脚にヒビが入った状態で始動した3月の一般競走で4着に敗れた後にヒビが予想以上に大きいことが分かり、レースの8日後に引退が発表された。通算63戦39勝。
獲得賞は197万7896ドルで、これは三冠馬Affirmed1979年更新するまで全のみならず世界記録として保持され続けた。これらの偉業が評価され、引退の翌年の1967年アメリカ競馬殿堂入りを果たした。

引退後

騸馬であるため当然種牡馬入りは出来ないので、引退後は馬主が所有するウッドストックファームで乗用となった。馬主が個人的に乗を楽しむ際に騎乗していたほか、各地の競馬場で行われるショーに出演したりもしていたようだ。

1983年10月15日ジョッキークラブゴールドカップが行われるベルモントパーク競馬場に来場し、同じく騸馬の名として歴史に名を残す13歳下のForegoとともに行進を行い[1]采を受けたが、この翌日に牧場に戻った直後、しい疝痛に見舞われてこの世を去った。26歳であった。

ケルソの生前の1980年ベルモントパーク競馬場で創設されていたケルソHというレース1982年に一度止になっていたのだが、ケルソの偉業を讃え、別の重賞名前を変更する形で1984年から再びケルソHが行われている(現在グレードはGII)。

半世紀以上を経た今でもアメリカ競馬史上最強クラス騸馬と名高いケルソ。そのキャリアは、まさに「キング」の異名に相応しいものだったと言えよう。

血統表

Your Host
1947 栗毛
Alibhai
1938 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
Boudoir
1938 芦毛
Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Kampala Clarissimus
La Soupe
Maid of Flight
1951 青鹿毛
FNo.20
Count Fleet
1940 青鹿毛
Reigh Count Sunreigh
Contessina
Quickly Haste
Stephanie
Maidoduntreath
1939 青鹿毛
Man o'War Fair Play
Mahubah
Maid Victorian Victorian
Black Betty
競走馬の4代血統表

クロスGainsborough 4×5(9.38%)、Rock Sand 5×5(6.25%)

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関連項目

脚注

  1. *資料によっては当時現役だったJohn Henryもこれに加わったとされる。

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1 ななしのよっしん
2020/07/19(日) 23:02:50 ID: ea0HcFMvE9
http://lunameiba.blog.enjoy.jp/jp/Kelso.htmlexit
ここを見て
パクっただろ
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2 ななしのよっしん
2020/08/15(土) 13:51:10 ID: RUvcP7x5SI
なんでこのだけ騎手調教師の賛辞がこんなに書いてあるんだと思ったら
ホームページからのパクリ
しかも書き方や

アーキャロ評→調教師評→本で書かれた評価
と順番まで同じだし
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