コマンドウ(commando)とは
概要
比較的少数(数十人程度~)からなる軽装備の部隊であり、襲撃、破壊工作、情報収集などを任務とする。地域の奪取、占領を任務としない点で通常の歩兵部隊とは異なる。一方でいわゆる特殊部隊とはその任務、性質において重なっており、「コマンドウ」の名称を特殊部隊に冠している部隊もあるが、英国のようにより少数(主にひと桁)の規模で行動するSASやSBSのような「特殊部隊」(special services)とコマンドウ部隊を区別している国もある。
由来
こうした襲撃専門の小規模部隊は戦史上数多くの例があるが、「コマンドウ」の名が最初に登場するのは19世紀末のアフリカにおけるボーア戦争である。ボーア戦争では少数のボーア人部隊が数に勝るイギリス軍を奇襲・攪乱によって翻弄したが、彼らを「単一の指揮下にある部隊」という意味の「commando」と呼んだのが「コマンドウ」という語の始まりだとされている。
なお語源だから仕方ないと言えば仕方ないのだが、現代でも指揮命令、司令部組織、統合軍組織などを指す用語として普通に使われる「コマンド」(command)との混同を避ける上では「コマンドウ/コマンドー」と語尾を伸ばす形で表記した方がよいかもしれない。
第2次世界大戦において
第1次世界大戦においてもドイツ軍が西部戦線の塹壕で用いた突撃部隊(Stoßtrupp)などコマンドウ的な戦術が用いられることがあったが、次に「コマンドウ」と名のつく部隊が誕生するのは1940年の英国である。
当時の英国はダンケルクからの撤退を強いられ、ドイツの英国本土上陸が現実味を帯びている状況であったが、これに対し英国軍のダドレー・クラーク中佐は少規模部隊によるゲリラ的襲撃作戦を構想する。ウィンストン・チャーチルの認可の元(ガリポリ上陸作戦? もう許してやれよ)、あり合わせの人員と資材を用いて急ピッチですすめられたこの部隊はボーア戦争時のかつての敵の呼称である「コマンドウ」を冠することになった。
このコマンドウ部隊はドイツ占領下のフランス、ついでノルウェーに沿岸からの襲撃を敢行し、一応の成功を見た。ただしこれは実際にドイツ軍に打撃を与えるというよりもダンケルクの冷たい海に蹴り出された英国が「やってやんよ」というポーズを示し、自国の士気向上に役立てたという性質が強い。
その他、第二次世界大戦中にはドイツのブランデンブルク部隊、米軍のマローダーズ、海兵隊レイダース(強襲大隊)、日本の義烈空挺隊など様々なコマンドウ的部隊が活躍している。
現代
現代でも英国海兵隊コマンドウ旅団、フランスの海軍コマンドウ(Commandos Marin)、ドイツのKSK(Kommando Spezialkräfte)などコマンドウの名を冠する部隊が多く存在する。いずれも特殊部隊またはエリート歩兵部隊であり、山岳戦、極地戦、水陸両用戦、隠密潜入など様々な特殊技術を持つ部隊として訓練されている。
ゲリラ・コマンドウ
近年(冷戦終結以後)に日本国防衛省/自衛隊がその対策に注力している分野の一つ。ゲリコマなどとも略される。
単にゲリラとコマンドウを並べた語句ではなく、特殊な訓練を受けた正規軍部隊(コマンドウ)が都市部や重要施設などでゲリラ的な戦闘を行うことを想定した語であるとされる。
朝鮮半島や台灣など日本および周辺地域で緊張が増大した際、日本(および在日米軍)の対処能力を削ぐためにこのようなゲリラ・コマンドウによる限定的侵攻が行われるのではないかという懸念もあり、対応が急がれている分野である。
関連動画
関連項目
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