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スクラムダイナ
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スクラムダイナScrum Dyna)とは、1982年生まれの日本競走馬鹿毛

社台グループ初の日本ダービー制覇というに挑み、破れて去った

な勝ち
1984年朝日杯3歳ステークスGⅠ

概要

*ディクタスシヤダイギヤラント、*ボールドアンエイブルという血統。
は長距離血統なのに気性がしすぎて長距離では保たず、マイルで活躍したフランス。社台ファームに購入されて日本種牡馬として供用され、特に*ノーザンテーストとの相性が良く、サッカーボーイイクノディクタスムービースターなどの活躍を輩出して社台ファームを支えた。スクラムダイナはその輸入初年度産駒である。
ダート距離を走って8戦2勝。こちらもかなり気性がしかったそうである。
はその名の通りBold Ruler系のアメリカ競走馬としては10戦5勝、重賞勝利という成績だったが、*ボールドラッドが2歳時に要競走を総なめし、あのSecretariat以上の評価を受けただったこともあってか、に先駆けてこちらも社台ファームが導入し、ニチドウアラシなどを輩出した。
には00年代半ばの交流重賞で活躍した船橋の雄ナイキアディライトがいる。

1982年3月21日老町の社台ファーム老(現:老ファーム)で誕生。1980年に設立されてまだ間も一口馬主クラブ社台レースホースの所有となった。
気性難のと気性難のから生まれたスクラムダイナは両に似た幼駒の頃から気が強く、牧場では同期たちのボスであり、スタッフにも手を焼かせていたそうである。

※この記事では齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

スクラム組んで立ち向かえ

デビュー~朝日杯3歳S:東の王者へ駆け上がれ

バローネターフを管理したことで知られる美矢野進厩舎に所属することになったスクラムダイナ。身体の成長にの成長が追いついておらず脚元にやや不安を抱えており、デビューは3歳の11月になってからだった。

しかし岡部幸雄を迎えた東京・芝1400mの新馬戦で、いきなり10身差の圧勝デビューを飾る。続く東京・芝1600mの菊賞400万下)では柴田政人に乗り替わり「前走は相手が弱かっただけじゃない?」と3番人気に留まったが、ここも後にオールカマーを勝つアササイレントなどを蹴散らして快勝する。

勢いに乗り、東の3歳王者をして引き続き柴田朝日杯3歳ステークスGⅠへ。デビューから2戦とも楽勝のスクラムダイナは……単勝6.7倍の4番人気。なんで? まあ未知数の新種牡馬も特別良血というわけではないから、そのぶん侮られたのかもしれない。
矢野師から「前にがいると走る気をなくす」と言われていた柴田騎手は、11番の最内もあって前でのレースを考えており、実際好スタートを切ったスクラムダイナだったが、他のたちも前に殺到したためあっさり前を塞がれてしまう。ならばと柴田騎手は手綱を抑えて中団に下げてハイペースに付き合わず、外に持ち出して進路を確保することを優先した。
この騎乗がドンピシャでハマり、3コーナーで大外に出したスクラムダイナはそのまま外を回して直線。前を行く1番人気サクラサニーオーを標に定めた柴田騎手の追い出しに応え、スクラムダイナはその末脚を伸ばして前を並ぶ間もなくかわすと、あとはビンゴムールの追撃を全く寄せ付けず勝。

グレード制が導入されたのはこの年からで、もちろん柴田騎手矢野師も社台ファームも社台レースホースも「GⅠ」の格付けのレースはこれが初勝利柴田騎手と社台ファーム・社台RHはそれ以前に八大競走は勝っているけども)。西の3歳王者ダイゴトツゲキを抑え、JRA賞最優秀3歳も受賞した。

1985年スプリングステークス~皐月賞:「五冠馬の息子」の壁

さて、3歳王者としてクラシック戦線に向かうことになったスクラムダイナ。最大標はもちろん日本ダービーである。それは単にホースマン全てのというだけではなく、社台ファームの悲願でもあった。

1963年にリーディンブリーダーとなって以来、日本一の生産牧場の座に君臨していた社台ファームだが、1956年の創業以来30年弱、未だ日本ダービーを勝ったことがなかった。
ダービーを一度も勝てないままで、何が日本一牧場か」――社台ファーム総帥・吉田善哉も既に還暦え、健康状態に不安も感じ始めていた。そこへ訪れた大きなチャンス日本ダービーを獲ること、それは社台ファームの悲願を背負ったスクラムダイナに課せられた至上命題だった。

そんなスクラムダイナはクラシックへ向け、スプリングステークスGⅡから始動する。しかしここで彼の前に最大の強敵が立ち塞がった。五冠シンザンの最高傑作ミホシンザンである。しかもあろうことか、こちらも騎手柴田政人だった。
柴田騎手もまたトップジョッキーでありながらダービーは未勝利。ここで選んだダービーに挑むことになるのは間違いない。ダービーを獲れるミホシンザンか、スクラムダイナか――。結局、柴田騎手が選んだのはミホシンザン。スクラムダイナは新馬戦以来の岡部幸雄に手綱が戻ることとなった。

当日は柴田の選んだミホシンザンが断然人気で、スクラムダイナはやはり柴田政人に振られたことが評価を下げて2番人気関東遠征してきた西の3歳王者ダイゴトツゲキが3番人気。そして4番人気が、これまた柴田のお手増沢末夫に乗り替わったサザンフィーバーである。
レースサザンフィーバーが軽快なペース逃げ、内のスクラムダイナは群の中に閉じこめられてしまう。仕掛けどころの難しい展開となる中、3コーナーで後方まで下がってしまったスクラムダイナは、外に出すのは理とみて、そのままインを攻めることになる。
だが、直線で思わぬ事態が起きる。軽快に逃げていた先頭のサザンフィーバーが、直線のみに脚を取られて突如転倒したのである。直線で群を引っぱっていた逃げ突然の転倒に後続は大混乱。内にいたスクラムダイナも前のに衝突しそうになり、慌ててさらにイン、内ラチ沿いに突っ込まざるを得なくなった。それでも混乱の中、すぐに態勢を立て直したスクラムダイナは、他のが転倒したサザンフィーバーを避けたためにいたインから抜け出しを図り、一度は先頭に踊り出る。
――が、外にいたので転倒のをほとんど受けなかった1番人気ミホシンザンにあっさりとかわされ、1と3/4身差をつけられて2着

不可抗の不利があって2着なのだから充分評価されていいはずのレースだったが、競馬ファンも大牧場のよくわからん輸入種牡馬の子より、「あのシンザン息子」に肩入れしたくなるのは仕方ないのかもしれない。ミホシンザンとはこれで勝負付けが済んだような扱いとなってしまい、予後不良になってしまったサザンフィーバーにも故障がなければ勝てなかったのでは、みたいに言われてしまうことになった。

迎えた皐月賞GⅠ。当然ながら1番人気ミホシンザン。スクラムダイナは朝日杯で下したサクラサニーオー(2番人気)や、そのサニーオーを弥生賞で破ったスダホークを下回って4番人気というところに評価が如実に表れていた。
レースミホシンザンを前に見ながら、前群の中からとなったスクラムダイナ。しかし前走、群の中で前のが転倒するという事故に巻き込まれかけただけに、岡部騎手トラウマを刺しないよう、朝日杯のように外に出しての直線勝負を選択する。外を回して直線を向き、末脚を伸ばすスクラムダイナ。――だがそれを嘲笑うように、め先頭で抜け出したミホシンザン背中か前、届くどころから付き離れる。絶対的で決定的な5身差2着敗であった。

もとより2400mの日本ダービーマイラー体のスクラムダイナより、距離が延びてこそと言われていたミホシンザンが有利と見られていたところに、皐月賞でこの結果である。しかもこのときのミホシンザンは体調最悪でフラフラだったというのだから、もう全に勝負付けは済んだと皆が思った。

――だが数日後、信じがたいニュースが飛び込んできた。
ミホシンザン骨折ダービー回避。

1985年日本ダービー~その後:夢破れて山河あり

絶対的本命が不在となった東京優駿GⅠ。ならば当然、2戦続けてその2着であるスクラムダイナが1番人気……ではなかった。1番人気に支持されたのはオーナーと厩舎のゴタゴタで皐月賞にいなかったシリウスシンボリ。スクラムダイナはというと、またもサクラサニーオー(皐月賞3着)とスダホーク(同6着)の後を拝して4番人気である。勝負付けの済んでないシリウスシンボリはともかく、サニーオーとスダホークミホシンザンに蹴散らされたのは一緒なのにひどくない?

で重馬場となったダービー当日。今では考えられない26頭立ての、722番からスタートしたスクラムダイナは、シリウスシンボリを前に見ながら縦長の展開の先行グループ後方、周りにがおらず動きやすい位置につけた。
末期を隠して騎乗していた中島啓之騎手のトウショウサミット逃げ、ほとんどのが極悪馬場の内を避けて馬場ん中を通るレースとなり、4コーナーでトウショウサミットが沈んで直線。まるでアイビスサマーダッシュのごとく群が内をがらきにして外に寄って行く中、最初に抜け出したのは重馬場巧者のスダホーク。そしてそれをターゲットシリウスシンボリが仕掛ける。その争いに、外ラチ沿いまで大きく回ったスクラムダイナは仕掛けが遅れてしまった。シリウスシンボリがスダホークをかわして先頭に踊り出たとき、ようやくエンジンを点火して追い込んだスクラムダイナだったが、そのままるスダホークも捕まえきれず3着。社台ファームの悲願はと散った。

そして入線後、スクラムダイナは脚を痛がる素振りを見せ、レントゲンの結果は右第3中手骨折予後不良でもおかしくない故障だった。幸い、ボルトを埋め込む手術が成功して命は助かったものの、現役続行は不可能で、そのまま現役引退となった。通算6戦3勝 [3-2-1-0]。

引退後は種牡馬となったが、産駒は全く結果を残せず、162頭の産駒を残したが中央勝利は僅か7勝。7年間の種牡馬生活ののち、1992年限りで用途変更となって以降、スクラムダイナの行方は知れない。

社台ファームの悲願が達成されるのは彼の翌年、1986年ダイナガリバーによってのこととなる。破れたスクラムダイナの名は、今はただ、80年代以降日本競馬全な中核となった社台グループ、その躍進の歴史の初期の活躍として残るのみである。

血統表

*ディクタス
1967 栗毛
Sanctus
1960 黒鹿毛
Fine Top Fine Art
Toupie
Sanelta Tourment
Satanella
Doronic
1960 栗毛
Worden Wild Risk
Sans Tares
Dulzetta Bozzetto
Dulcimer
シヤダイギヤラント
1974 鹿毛
FNo.1-l
*ボールドアンエイブ
1968 栗毛
*ボールドラツド Bold Ruler
Misty Morn
Real Delight Bull Lea
Blue Delight
*ギャラントノラリー
1963 黒鹿毛
Gallant Man Migoli
Majideh
Noralien Polynesian
Nipmenow

クロス:Bull Dog 5×5(6.25%)、Mahmoud 5×5(6.25%)

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朝日杯いのでYouTubeJRA公式のやつを見てください……と言おうと思ったらシリウスシンボリ東京優駿も単独の動画ないんかい!

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