バレンタイン歩兵戦車とは、イギリスが開発した戦車である(ヴァレンタインと表記されることもあるが、ここではバレンタインで統一する)。
概要
設計が承認された1938年の聖バレンタイン・デーにちなんでバレンタインと命名された。歩兵支援戦車として開発されたが、設計が優れていたため、機甲師団にも配備されたほか、各種車両の原型にもなった。イギリスとカナダで合計8275両生産され、11種類の型式がある。対戦車自走砲、自走野戦砲、地雷処理車、水陸両用戦車、火焔放射戦車、ドーザ戦車、指揮車、戦車橋、迫撃砲運搬車等にも使用された。[1]
開発経緯及び構造・装備
ことの起こりは1938年、A10巡航戦車を元に開発されたところから始まる。
既存の戦車の部品やエンジンを流用することによって、マチルダより性能は低いが安価で機械的信頼性の高い戦車を目指して開発されていた。
具体的には、砲はクルセイダーやマチルダにも搭載された2ポンド砲、エンジンはA10巡航戦車が搭載していたものの改良型、懸架方式はA10巡航戦車からほぼそのまま流用、といった具合に。しかし車体・砲塔の小柄さがネックとなり(車体・砲塔が小柄だと発展性の阻害、乗員の居住性が低下してしまうなどのデメリットがある)一旦計画は中止されかけた。何事もおこらなければおそらくバレンタインは日の目を見ることなくお蔵入りしていたであろう。何事もおこらなければ。
転機
しかしその何事が起きてしまった。ドイツへの宣戦布告とダンケルク撤退戦である。特にダンケルク撤退戦の影響は大きく、イギリスは武器も兵器もほとんど放り出して撤退せざるをえなかった。
('A`)
ノヽノヽ ドイツはイギリス本土へ上陸する気に違いない。でも装備はダンケルクに置いてきた。どうしよう。
くく
イギリス軍中の人
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\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ `´ \
('A`)
ノヽノヽ そうだ!性能低くてもいいから短期間で数を揃えられりゃなんでもいい!戦いは数だよ!
くく
てな具合で数が揃えられそうな兵器の一つであるバレンタインに白羽の矢が立った。これがきっかけでバレンタインは数あるイギリス戦車の中で最も生産された戦車となる。その数約7000輌。カナダで生産された数を合わせると8000輌を優に超える。
だが結局イギリス本土で活躍することはなかった。色々あってドイツ軍のアシカ作戦が無期限延期されたため出番がなかったのだ。
戦歴
当面イギリス本土は安全であろうということで、バレンタインは主に二つの戦線へ投入されることになった。一方はアフリカ戦線へ、もう一方はソ連へのレンドリースという形で東部戦線へ。
バレンタインはアフリカ戦線での反攻作戦であるクルセイダー作戦で初陣を飾った。マチルダに比べて性能が低いとはいえ、全周60mmの装甲厚と2ポンド砲を備えていたため、大戦序盤のⅢ号戦車相手ならばなんとか戦えていた。
また、整備兵からの評判もよかった。まぁ比較対象がクルセイダーやマチルダだったってのもあるかもしれないけど。
だが時間が経つにつれ致命的ともいえる弱点が発覚する。2ポンド砲じゃ榴弾が撃てない。
戦車の敵は何も戦車だけではない。対戦車砲や歩兵も相手にせねばならない場合もある。戦車相手ならば徹甲弾だけで事足りるのだが、上記の非装甲目標となると話は別。的が小さいので徹甲弾ではとてもじゃないが当たらないのだ。更に砂漠では蜃気楼のために視界が歪み命中率はガタ落ち。このような場面でこそ榴弾は輝くのだが・・・。
何はともあれ被害を出しながらもアメリカからM3、M4中戦車が届くまでバレンタインは戦いつづけた。
ちなみに2ポンド砲では火力不足ということで6ポンド砲や75mm砲を装備したタイプが生産されたが、居住性の低下やらで乗員からは評判が悪かったそうだ。
さて、ソ連へ渡ったバレンタインは、結論から言えば同志達から高い評価を受けるに至った。高評価の理由は車重が軽いため雪に足を取られにくく行動しやすかったからだとか。足回りの整備のしやすさも支持されたようだ。
ちなみに、榴弾を撃てない、という問題をソ連でも指摘されたが、それ以外の欠点はあまり問題視されなかったようで、1941年11月から1945年の満州侵攻まで使い倒したという。これだけ使ってもらえればバレンタインも戦車冥利に尽きただろう。
派生型について
生産数が多いためか指揮者や架橋戦車型、地雷除去型などが作られた。ここではいい意味でも悪い意味でも有名な四つの派生型車両を取り上げる。
アーチャー対戦車自走砲
シャーマン・ファイアフライと同じ17ポンド砲を装備した対戦車自走砲。
流石に大きな17ポンド砲を砲塔内に収めることは不可能だったため、オープントップ式となっている。
最大の特徴は進行方向と逆に砲が据え付けられていることである。全長と全高を抑えるためにこのような配置になったとか。この配置により砲の後座範囲が操縦席を直撃してしまい、、操縦手は射撃中退避する必要があった。だが対戦車自走砲は待ち伏せが主な戦術でありそこまで問題にはならなかった。むしろこの仕様は退避に便利だったという。転んでもただじゃ起きないジョンブル魂を形にしたような戦車である。
優秀な17ポンド砲のおかげでドイツ戦車を狩りまくったと言われている。
ビショップ自走砲
失敗作その1
バレンタインの車体にでっかい箱型の戦闘室をポン付けして作られた自走砲。そのアンバランスさは英国版KV-2といったところか。失敗作たる所以はわずか6000mという射程の短さ。牽引式25ポンド榴弾砲をそのまま搭載したのだが、牽引式から射程は半分以下まで落ち込んでしまった。戦闘室上面を装甲で覆ったのと、床に干渉しないよう仰角を15度に制限したためこのような事に。のちにアメリカのM7 プリーストが届いたためにお役御免となった。
ヴァリアント歩兵戦車
失敗作その2 そびえ立つクソ
バレンタインの強化版を目指して1944年から開発がはじまった。最大装甲厚は114mmと、あのティーガーよりも分厚い。しかしバレンタインから10tも重量が増加した結果見事な駄作となった。最高速度は20km/hを下回り、凄まじく重いクラッチ・操行レバー・フットブレーキのせいで操縦手は疲労困憊。武装も6ポンド砲か75mm砲とバレンタインから火力向上したとはいいにくい。なにより同時期にあのセンチュリオンが開発されていた。センチュリオンが控えているんだからこれ以上開発する意義もあるまい、として放棄された。
イギリス陸軍戦車技術学校では、学生たちは課程修了時に教材として保管されていた本車の点検を行い、設計上の間違いを見つけてよき反面教師とするように、とされた。
"One hopes they started early in the morning."(早く気付けば救いようがある)
・・・など酷い言われようである。
ジャンピングタンク
失敗作その3
目の前に塹壕が行く手を阻んでいる。さて、どうするか?そうだ、ジャンプして飛び越えよう!!・・・・・という発想で作られた(としか思えない)派生型。大量のロケットブースターをバレンタイン歩兵戦車の車体にポン付けしたもので、ロケットブースターを噴射して塹壕を飛び越える仕様となっている。当然だが、ジャンプ中の制御は非常に難しく、制御に失敗しようものなら逆さまに地面に着地する事になる。
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関連項目
脚注
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