三毒とは、仏教に説かれる3つの根本煩悩を人間の心身を蝕む毒にたとえたものである。
概要
三毒は「貪欲」「瞋恚」「愚痴」の三つから構成される。よく煩悩は108個あるとかいわれるがそれら煩悩軍団の三大根源とされるものがこの三毒である。「貪瞋痴(とんじんち)」ともいう。
しばしば人間を内から燃やす火、ひいては世界を焼き尽くす炎にたとえられる。
貪欲(とんよく) Rāga(ラーガ)
「貪り欲する」という読んで字の如く自らの好むものを際限無く求める心の毒である。おそらく人々が「煩悩」と聞いて思い浮かべるものの9割は貪欲であろう。生態系や生命個体の維持に必要な欲求を超えた飽くなき願望のことであり、たとえ気付いてもやめられないとまらないことが多い中毒性の強い煩悩である。経典によっては「激流」「毒矢」「悪魔」に例えられ、あるいは「煩悩の王」と呼ばれることもある。
梵語のラーガは第六天魔王の娘の名前でもあり、魔王軍の先鋒として姉妹たちと修行中の釈迦を誘惑したが失敗に終わった。
象徴する動物は鶏。悪趣は餓鬼道。パーリ語ではRobha(ローバ)。
瞋恚(しんに/しんい) Dveṣa(ドヴェーシャ)
「瞋」も「恚」も馴染みのない字だがどちらも「怒る」という意味で、自らの嫌うものを憎悪・排除・攻撃しようとする心の毒である。
通常、指導のために子供や部下を叱責することや、平和・人道・秩序を妨害する要素を取り除くことなどは瞋恚とはいわず、むしろ仏教ではありがたいものである。しかしそのための手段が説得により反省させるものではなく暴言・暴力・強圧による場合には瞋恚とみなされる。
怒りの感情を抱いて気持ち良くなる人間はいないので、瞋恚は貪欲に比べると気付きからの制御がし易い煩悩ではあるが、いざ沸点を超えて言動に現れたときの悪影響(汚れ)は貪欲の比ではなく、最悪の場合は仏教で最も忌むべき殺人を引き起こしてしまう。世の中に物理的な損害をもたらすものが瞋恚である。
象徴する動物は蛇。悪趣は修羅道。パーリ語ではDosa(ドーサ)。
愚痴(ぐち) Moha(モーハ)
物事の道理を理解できない「愚かさ」の心の毒である。ここでいう「愚か」とは、真理に対する無関心、善と悪の区別ができない、他者から間違いを指摘されても頑なに自らの非を認めず、むしろ貪欲や瞋恚の心を誘発する様を示しており、懈怠や驕慢も愚痴に包括される。愚痴は気付くことが難しく罪の汚れも大きいものである。(※仏教では勉強ができないことや記憶力に劣るといった知能力について「愚か」とは言わないことに注意してほしい。)
これまで三つの毒として紹介し、貪欲が煩悩の王だの瞋恚がやべーやつだのと言っておきながら、実はこの愚痴こそが煩悩の火炎の出処であり一切諸悪の根源である。
旧字体で「愚癡」とも表記される。象徴する動物は豚。悪趣は畜生道。
- 無明(むみょう,avidyā:アヴィデャー) ………愚痴の別称。十二因縁の第1支。宇宙真理に対する根源的無知。智慧の灯明に対して無明は世界を覆う暗黒である。強調して「無明の闇」とも。パーリ語ではavijjā(アヴィッジャー)。
- 邪見(じゃけん,mithyā-dṛṣṭi:ミテャードリシュティ) ………「見」とはものを認識したときにどのように解釈するかという働きで、人間には五つの見があるとされるが、その中でも邪見(悪しき見解)はしばしば愚痴と同一視される。パーリ語でmicchā-diṭṭhi(ミッチャーディッティ)とも。対義語は八正道の第1輻「正見」。
- 愚痴る………現代の日本語では「不平不満をこぼす」という転じた意味に用いられるが、この場合の「愚痴る」は瞋恚に分類される。
- 馬鹿・莫迦………愚痴の梵語把語のモーハ(Moha)が語源である。
対応表
三 毒 | 貪 欲 | 瞋 恚 | 愚 痴 |
悪 趣 | 餓鬼道 | 修羅道 | 畜生道 |
象徴動物 | 鶏 | 蛇 | 豚 |
三 善 根 | ↔布施 | ↔慈悲 | ↔智慧 |
七つの大罪 | 強欲・色欲・暴食 | 嫉妬・憤怒 | 傲慢・怠惰 |
仏画において貪欲の鶏、瞋恚の蛇、愚痴の豚は、六道輪廻の中心で互いの尾を噛んだ三つ巴の構図で描かれることが多い。またあえて三毒を格付けするのならば「愚痴≧貪欲>瞋恚」となる。
関連項目
- 仏教
- 仏教関連項目の一覧
- 五戒
- 七つの大罪
- 三善根………布施・慈悲・智慧(これらに持戒・忍辱・禅定を足すと六波羅蜜)
- 十悪業 ………身業(殺生・偸盗・邪淫)、口業(妄語・両舌・悪口・綺語)、意業(貪欲・瞋恚・愚痴)
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