主君押込とは、鎌倉時代以降、主に武家社会で見られた「クーデター」の類型である。
概要
主君があまりにも横暴であるとか、家臣団の意向を無視するとか、そういう行動を取る君主が家臣団の話し合いの末に、座敷牢のようなところに監禁されて家臣団と問答を繰り返す。
その後、君主に改心して反省の色が見られたと判断されれば、家臣への報復を行わないなどの誓約書を書いて解放されるものの、反省の様子がないとか、どうみても助かりたいだけで嘘をついています、本当にありがとうございました。とか、解放された後も暴君だよねーという場合は、家臣団が幕府とかに「今回、君主が隠居します」と勝手に届け出てクーデターが完成する。
これが下克上の類型の一種だとされるが、派閥争いとかにも使われたので、非常手段であるとはいえ、あまりよろしいものではない。
なお、近代までの日本は「出来の良くないドラ息子」は即勘当されて、有能な遠縁や養子が重要な地位に就いていたからこそ、可能だった制度ともいえる。
また、この「暗黙の最終手段」があるために、大名が絶対的な専制君主ではなかったという説もある。
大正天皇押込説
ところで、皇室にもこの「主君押込」があったとされるのが「大正天皇押込説」である。
先帝の明治天皇とは異なり、庶民にも気さくに声を掛け、子煩悩であったという大正天皇を疎ましく思った武家出身の明治政府高官による謀議によって、「大正版主君押し込め」があったとされる。
類義語に「廃帝(はいてい)」「廃嫡(はいちゃく)」や「みかどかたぶけ=謀反」がある。
なお、現在の皇室典範には廃嫡規定は無いが、「精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により」皇位継承の順序の変更が可能となっている。
関連商品
関連項目
- 2
- 0pt