概要
八紘一宇の語源は日本書紀巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」とされる。
神武天皇のこの「養正」が期待するところの仕上げは何だ、それは世界統一である
(661頁より)
「日本国体」の政治能力は、単に大八州の範囲に留まるべきものではない、天統の「王道」は全世界に光被すべき
(669頁より)
と説いていることから分かるように、八紘一宇とは「日本(天皇)を中心とした世界統一」である。
また、
とも述べている。
田中は「忠孝」を「良き人間・国家の表現」と捉え「忠孝の無い人や国は病んでいる」と表現し、その上で「忠孝は日本国体の表れで民族精神」と主張している。
つまり「忠孝化」とは他国・他民族を教化する、ということであろう。中華思想と類似している部分があると言えるかもしれない。
八紘一宇の塔
宮崎県宮崎市の中心部北西の高台にある平和台公園には、紀元2600年記念事業の一つとして建設された巨大なモニュメント「八紘之基柱」がある。
現在は「八紘之基柱」は「平和の塔」と改称されているが、地元民からは碑文に刻まれた「八紘一宇」の文字から「八紘一宇の塔」と呼称されることも多い。
塔外部の四隅には荒御魂像、和御魂像、幸御魂像、奇御魂像の4つの神像が設置されており、塔内部には日本サッカー協会の八咫烏をデザインしたことで有名な彫刻家・日名子実三が作成した石膏レリーフを見ることができる。
内容は主に天孫降臨や国土奉還(国譲り)といった日本神話が題材だが、明治維新や創建当時の紀元2600年の様子が描かれたものもある。
通常は塔の内部に入ることができないが、年に一度だけ公開されることがあるので興味のある人は宮崎県のホームページで公開時期を調べてみよう。
余談
戦後、「八紘一宇」の碑文はGHQの指導により、その文字が削られ、塔外部に設置されていた荒御魂像も武の象徴ということで撤去されたという逸話が残っている。
なお現在、上述の通り碑文は復元され、撤去されていた荒御魂像も再設置されているが、
近年、中国人団体から塔の管理をしている宮崎県に対し、撤去を求める抗議活動が行われている。
これは「八紘一宇」の碑文に反発しているだけでなく、塔の礎石に当時の日本の植民地や占領地の切石を使用していたためと思われる。(礎石には「寄贈者」として「満州国」や「大連市」の文字が刻まれているのだが、どう見ても略奪だろ!という主張)
最終的に宮崎県側は「八紘一宇は世界平和を祈念する理念であり、戦争とは無関係」「礎石が略奪されたとする証拠なし」と主張し、碑文の撤去や礎石の返還に応じることはなかった。
関連項目
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