- プロ野球選手一覧 > 木戸克彦
木戸克彦(きど かつひこ)とは、元プロ野球選手である。
概要
OB | |
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木戸克彦 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市 |
生年月日 | 1961年2月1日 |
身長 体重 |
178cm 91kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1982年ドラフト1位 |
引退 | 1996年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
中学時代に捕手となり、高校はPL学園高等学校に進学。1年時より正捕手として活躍し、3年時には春・夏連続で甲子園大会に出場。夏の甲子園大会では決勝戦まで勝ち進み、決勝戦では9回裏から劇的な逆転サヨナラ勝ちで勝利を挙げた。
大学は法政大学へ進学。在学4年間で3度のリーグ制覇を経験し、2年秋から5季連続でベストナインに選ばれた。また、大学野球日本代表にも選出されている。
1982年ドラフト会議にて、阪神タイガースからドラフト1位指名を受け入団。背番号はかつて田淵幸一がつけていた「22」が与えられた。
入団してからしばらくはプレッシャーもあり元々悪かった腰痛が悪化し、悩まされていた。
1985年、監督が吉田義男に代わると正捕手に抜擢される。プロでの実践経験は浅かったものの、アマチュア時代に培った理詰めのリードや勝負勘、正確なスローイングで投手陣から信頼を集めた。打撃面でも8番打者ながらパンチ力のある打撃で活躍、6月の大洋戦では3打席連続本塁打も記録した。シーズン通して攻守両面で高い貢献度を見せ阪神の日本一に大きく貢献。打率.241、13本塁打、32打点の成績を残し、ダイヤモンドグラブ賞にも選出された。
1986年は嶋田宗彦に正捕手の座を奪われたが、1987年には再び正捕手の座を奪い返し、1988年には121試合に出場、初めて規定打席にも到達した。
1989年も正捕手としてプレーしたが、本塁クロスプレーで左踵を骨折したのに加え着用していた眼鏡が割れ、破片が顔面に刺さり顔面も負傷。約一月ほど離脱期間があった。
1990年以降は自身の低迷に加え、山田勝彦や関川浩一の台頭もあり控えの捕手としてプレー。
出場機会は減ったが、1992年には湯舟敏郎のノーヒットノーランをリードするなど要所で光るリードを見せた。
引退後は阪神のバッテリーコーチや二軍監督、ヘッドコーチなどを務めた。また、コーチを務めていない時期は解説者や評論家として活動した。
2012年、阪神のフロント入り。2017年からは阪神のフロント業務をこなしつつ、女子日本代表のヘッドコーチも兼務している。
人物・エピソード
巧みなリードと強いリーダーシップで投手陣から信頼を集めた阪神黄金時代の正捕手。パンチ力のある打撃も魅力であった。
現在は女子野球の振興にも関わり、高校女子野球全国大会決勝戦の甲子園開催実現にも尽力した。
通算成績
打撃成績
通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 965 | 2538 | 2192 | 199 | 505 | 51 | 226 | 8 | 95 | 12 | 228 | 11 | 393 | 72 | .230 | .305 |
獲得タイトル
- ダイヤモンドグラブ賞:1回 (1985年)
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関連項目
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