木戸克彦単語

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キドカツヒコ
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木戸克彦(きど かつひこ)とは、元プロ野球選手である。

概要

1961年2月1日生まれ。大阪府堺市出身。

中学時代に捕手となり、高校PL学園高等学校に進学。1年時より正捕手として活躍し、3年時には連続で甲子園大会に出場。夏の甲子園大会では決勝戦まで勝ち進み、決勝戦では9回裏から劇的な逆転サヨナラ勝ちで勝利を挙げた。

大学法政大学へ進学。在学4年間で3度のリーグ制覇を経験し、2年から5季連続でベストナインに選ばれた。また、大学野球日本代表にも選出されている。

1982年ドラフト会議にて、阪神タイガースからドラフト1位名を受け入団。背番号はかつて田淵幸一がつけていた「22」が与えられた。

入団してからしばらくはプレッシャーもあり元々悪かった痛が悪化し、悩まされていた。

1985年監督吉田義男に代わると正捕手に抜される。プロでの実践経験は浅かったものの、アマチュア時代に培った理詰めのリードや勝負勘、正確なスローイングで投手から信頼を集めた。打撃面でも8番打者ながらパンチのある打撃で活躍、6月大洋戦では3打席連続本塁打記録した。シーズン通して攻守両面で高い貢献度を見せ阪神日本一に大きく貢献。打率.241、13本塁打、32打点の成績を残し、ダイヤモンドグラブ賞にも選出された。

1986年嶋田に正捕手の座を奪われたが、1987年には再び正捕手の座を奪い返し、1988年には121試合に出場、初めて規定打席にも到達した。

1989年も正捕手としてプレーしたが、本塁クロスプレーで左踵を骨折したのに加え着用していた眼鏡割れ、破片が顔面に刺さり顔面も負傷。約一月ほど離脱期間があった。

1990年以降は自身の低迷に加え、山田関川浩一の台頭もあり控えの捕手としてプレー

出場機会は減ったが、1992年には湯舟敏郎ノーヒットノーランリードするなど要所でリードを見せた。

1996年、現役を引退

引退後は阪神バッテリーコーチ二軍監督ヘッドコーチなどを務めた。また、コーチを務めていない時期は解説者評論家として活動した。

2012年阪神フロント入り。2017年からは阪神フロント業務をこなしつつ、女子日本代表ヘッドコーチも兼務している。

人物・エピソード

巧みなリードと強いリーダーシップ投手から信頼を集めた阪神黄金時代の正捕手パンチのある打撃も魅であった。

現在女子野球の振にも関わり、高校女子野球大会決勝戦の甲子園開催実現にも尽した。

通算成績

打撃成績

通算:14年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 965 2538 2192 199 505 51 226 8 95 12 228 11 393 72 .230 .305

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