杉本正(すぎもと ただし)とは、
概要
黄金期の西武では、1982年から一軍の先発ローテーションに定着し、2連覇に貢献している。
1985年に田尾安志とのトレードで中日ドラゴンズに移籍。1986年には12勝13敗と負け越しながらも優勝に貢献。
1990年に福岡ダイエーホークスにトレードし、1993年に現役を引退。
投手コーチとしては、所属したチームの防御率を低迷させていたり、特定の投手が潰されているなどから、投手に対してやたら変化球を覚えるように言うなど、起用法にも指導法にも無能で、デス杉本という異名を持つ。野村克也や豊田泰光といった解説者などにも酷評されている。
2008年の福岡ソフトバンクホークスは故障者も多かったが、投手に至っては中継ぎを酷使した末に、12年ぶりの最下位に転落し、杉本は戦犯の一人となり、解任。尾花高夫が維持してきた投手陣をぶっ壊し、投手王国を崩壊させた。
2009年は横浜ベイスターズ1軍投手コーチに就任。杉本をコーチに呼んだ横浜フロント陣も酷評された。チーム防御率、失点、被本塁打全て最下位終わり、球団も2年連続ダントツの最下位に終わり、杉本は2年連続最下位で解任された。
2010年の起亜タイガースは、前年優勝し安定した投手陣ではあったが、杉本がコーチだったこの年は投手陣が崩壊、最下位を争うぐらいに低迷し、球団ワーストの16連敗を喫し、7月に二軍投手コーチに降格、解任。杉本は3年連続で解任された。
2011年は東北楽天ゴールデンイーグルスのスカウトをしていたが、2012年から埼玉西武ライオンズに1軍投手コーチに復活するもチーム防御率5位に終わり、翌2013年はリーグワーストの被本塁打、8月の救援防御率5点台に終わり、同じく1軍投手コーチだった石井貴は責任を取って辞任したものの、杉本は翌2014年も2軍投手コーチで残留した。2014年解任。2017年楽天の1軍・2軍投手巡回投手コーチに就任するものの、監督の梨田昌孝に期待されていた左投手育成は全くできず、2018年楽天は3年ぶりの最下位に終わり杉本は西武時代コーチ、選手の関係だったGMの石井一久によって解任された。
関連動画
なし
関連項目
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