松尾相永とは、幕末の非蔵人である。
概要
文政11年(1828年)、代々非蔵人の家に生まれる。通称但馬。
朝廷に非蔵人として出仕。非蔵人は朝廷の雑務や行事に携わる嘱託の吏員で、無位無官だが正六位上に準じ、正月には天皇への拝謁が許されていた。
安政5年(1858年)、岩倉具視が画策した八十八卿列参運動に賛同し、非蔵人の同志達と勅許反対を申し立てた。
文久3年(1863年)、8月18日の政変で参朝停止処分を受ける。
松尾は「柳の図子党」と呼ばれた志士の1人で、岩倉とは和宮降嫁運動の際に親しくなり、岩倉失脚後に不憫に思った松尾は同志の藤井九成と共に慶応元年(1865年)春頃に岩倉の元を訪れ、以降岩倉の政治活動を補佐した。岩倉を公武合体派の姦物と見ていた人々も松尾、藤井の説得で岩倉と面会し、傑物であることを知って協力するようになっていった。
慶応4年(1868年)2月、新政府の参与、弁事、軍務官権参事に就任し、戊辰戦争に従軍。
明治2年(1869年)、宮内省に出仕。宮内権大丞、大掌典などを歴任した。
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