歴史哲学講義とはドイツの哲学者フリードリヒ・ヘーゲルが大学で行った歴史哲学の講義が後に纏められたものである(ヘーゲル自身の著作ではない)。
概要
19世紀のドイツで活躍した哲学者ヘーゲルは、生涯を通じて歴史哲学に関心を持っていた。哲学の歴史ではなく、歴史を哲学する試み。彼の歴史観は”理性”中心とするいわば観念史観である。これは”物質”を歴史の根幹とした、カール・マルクスの唯物史観とは正に対照的な考え方と言えよう。いうまでもなくヘーゲルはマルクスがもっとも影響を受けた哲学者である。マルクスの唯物弁証法は、ヘーゲルの観念論的弁証法を唯物的に逆立ちさせたものだといわれている。そこで本稿はヘーゲルの歴史観の概説、その限界と唯物史観との比較をしていきたいと思う。
ヘーゲルは歴史を「精神が自由へと至る発展過程」と捉える。つまり彼の歴史観とは、精神(理性)を発端とする観念論的進歩史観なのである。彼が学生に対して行った歴史の授業は、今日では『歴史哲学講義』というタイトルで現在に残っており、その序文においてヘーゲルは自らの歴史観を解説している。
3つの歴史的方法
①「事実そのままの歴史」
②「反省を加えた歴史」
③「哲学的な歴史」
①「事実そのままの歴史」は分かりやすいだろう。ヘロドトスやトゥキディデスに代表される歴史家のように、現実の世界(ヘーゲル的にいうところの外界の現象の世界)を文字にして記述する歴史的見方である。
⑴「一つの民族、一つの国土、或いは世界史全体を概観する歴史(いわゆる通史)」
⑵「実用的な歴史」
⑶「批判を主眼とする歴史」
⑷「芸術や法律などの分野史」
に分類している。
⑴「一つの民族、一つの国土、或いは世界史全体を概観する歴史」。これは①「事実そのままの歴史」に対して解釈を試みることである。歴史上の人物の行動や、歴史的事件の内容と目的を捉え、その上で歴史を組み立てていく。
⑵「実用的な歴史」とは、歴史の出来事を現在の生活の中に活かすという考えである。温故知新というように、様々な歴史の中から教訓や示唆を得ようとする姿勢であるが、ヘーゲルはそれが可能なのは個々人の範囲であり、民族や一国家の過去の事例を元に今後の指針をとるのは別次元であると断ずる。曰く「歴史から学べることは、民衆や政府が歴史から何も学んでいないということだ」。それぞれの時代はそれぞれの固有の条件のもとに独自の状況を持っている。そのため今発生している世界的事件に過去の歴史を紐解くことは無意味なのだとヘーゲルはいう。
⑶「批判を主眼とする歴史」とは歴史そのものではなく、史学に関する批判的な態度のことである。ここでは歴史的な出来事とは別に、余人の史学的発見や研究法が正しいのかどうかが主題となる。
⑷「芸術や法律などの分野史」で重要となるのは、その細分化された分野史が全体の歴史の中にある精神活動と繋がりを持てるか否かであるとヘーゲルはいう。細切れにされた史学分野を単独で研究するならばそれは偶発的な事象を見ているだけにすぎない。理念こそが民族や世界史の導き手であり、理性の持つ意志が現実的な歴史的事件を導くこととなる。
哲学的な歴史
そして本題となるのが観念論史観ともいうべきヘーゲル独自の③「哲学的な歴史」である。
ヘーゲルは歴史哲学とは理性によって歴史を捉えることだという。彼は世界というものは理性が支配し、また歴史も理性的に進行すると考えていた。
現在、一般的な歴史研究の方法は実証主義である。そこではまず歴史的人物や事件などの物質的存在があり、それに対して史料を踏まえながら論理的検証を加える。つまり物質が根底にある歴史観である。これに対してヘーゲルのいう哲学的な歴史とは、与えられた存在に捉われることなく自発的に思索を生み出す、観念が物質に優越する歴史観なのである。
ここで、そもそも観念や理性とは何かという疑問が浮かぶだろう。ヘーゲルは理性の特徴を以下のように示す。
目に見えない理性が実体や力を持っているのは不自然に思われるかもしれないが、ヘーゲルによればこうである。つまりこの世にある物質や存在は、自らの中に必ず理性を含んでいるのである。よってあらゆるものは理性の実体であり、力であり、素材なのである。しかも理性は物質と違っていかなる前提も持たない。例えば人間という物質が在るためにはたんぱく質や水などが前提として必要となるが、理性が必要とするのは理性のみなのだ。
あらゆる物の中に理性が存在する以上、理性の活動はあらゆる物質の目標と一致することとなる。つまり、人類という物質の動き(世界の歴史)のみならず、宇宙の動きそのものも理性の活動の一環なのである。
このような観念論的歴史観に対して実証史観は「それは歴史の捏造だ」と批判する。しかし、実証主義者のいうように、理性を無視して史実をありのままに捉えるということは不可能なのである。どんな事象であっても歴史が人間の手によって叙述される以上、理性を無視するわけにはいかない。実証主義の歴史学者が史料を下に歴史を把握しようとするとき、必ず彼の中では理性が働いているのである。
精神の本質とその目的
ヘーゲルは世界史の主役は精神であるといい、世界史とは精神の発展過程であるという。すなわち世界史の最終目標とは精神の完成である。では精神の完成とは何を意味するのだろうか? それは「精神の本質が何であるか」という問いに置き換えることができる。
物質の本質は重さである。重さなくして物質は存在はできない。それに対して精神の本質とは自由である。先述したように精神は物質とは違い、自分以外に何も前提を持つことなく存在することが可能である。このことから精神は何にも依存せず自由であり、むしろ精神は自由でなくては精神足りえないといえる。
とするならば世界史とは精神が本来の自己を意識していく過程、すなわち自由を獲得していく道のりであると定義できる。この定義でいうと東洋世界の皇帝のように専制君主が支配する国家は皇帝一人のみが自由であり、一方で共和政を営むギリシャ、ローマは自由だといえる。しかしギリシャやローマにも自由でない人々(奴隷)がまだ存在しているため完全ではない。ローマ崩壊後のゲルマン世界におけるキリスト教は全ての人は自由であると言ったが、それですぐに現実の社会で自由と理性的な政治体制が生まれるわけではない。人が自由を獲得するためには長い年月が要る。その自由を得るための長い年月こそが歴史なのである。実際の精神の発展具合と、それが人々の生活に浸透していることは全く違うことである。しかしそれでも自由の意識が前進することは必然的な過程である。
上で説明した「東洋では一人(皇帝)、ギリシャ・ローマは一部(市民)、ゲルマン世界は全ての人間が自由である」というのはヘーゲルの歴史哲学の重要な命題である。ヘーゲルは歴史は東洋から西洋へと進んでいくと述べている。東方で生まれた世界史は西へと移行し、青春の時代を経て近代ヨーロッパにて完成に至ると彼は考えていた。
精神の自己実現の手段
では自由は世界史の中でいかにして自己を実現するかというと、それはもちろん人間の手によってである。いうまでもないことだが理性や精神はそれ自体は抽象的な概念であり、現実的なものではない。誰もが内部に持っている理性であるが、それを実現させるには人間の活動が必須になるのである。
一方で、人間が活動するためには何かしらの動機が必要である。ヘーゲルは行動を起こすモチベーションを関心や情熱と呼んだ。人は関心も情熱もなくして活動を行うことはない。
理性と人間の関心(情熱)が紡ぎ合って生まれるものが、国家における政治的な自由なのである。つまり国家とは現実における精神の自由の実現形態なのである。
市民の私的関心・情熱が満たされるとき、国家の全体的な目的(国家の安定)は満たされることになる。無論、個々人の関心と国家の関心が一致するまでには多くの事業や施設が必要になるし、闘争も生まれることだろう。しかし一度安定した国家では理性の自由が花開く事となる。
しかしここで抑えておきたいものは、理性とは単に人間が持つ目的のことを指すのではない。人間に限ればその目的はまず生命と財産の安全ということになるが、世界史全体に通じる精神の目的は潜在的であり、山や海のごとく自然に存在するにすぎない。それは人の奥底にある無意識の衝動である。世界史の営みの全体が、この衝動を意識にもたらす作業なのである。
ヘーゲルの歴史観への評価
以上のように序文で自らの歴史観を解説した後、ヘーゲルは本文で東洋世界(中国、インド、ペルシャ、エジプト)と西洋世界(ギリシャ、ローマ、ゲルマンの中世、近代)を詳述していくのだが、実をいうとヘーゲルの歴史記述自体は現代史学の目線からみれば間違いの山である。上の解説をみて分かる通り、ヘーゲルの歴史観は西欧自由主義に偏りすぎている。彼の歴史観はすべて西欧中心であり、例えば中国に至ってはこうである。
中国人は自尊心が強く、多くの点でヨーロッパの優秀さをみとめざるをえないものの、ヨーロッパからなにかを学ぶ気になれなかった。(中略)目をひくのが精神に属するすべてのもの、たとえば、自由な共同精神、道徳心、感情、内面の宗教、学問、芸術などが欠けていることです。(歴史哲学講義227P 岩波文庫、以下同)
当時の中国は清王朝が最盛期であり、確かにヨーロッパ使節に三跪九叩頭(土下座のすごいやつ)を要求するなど中華思想からくるプライドの高さが目立ってはいたが、それにしても中国史に学問や芸術がないというのはありえないことである。学問に関しては諸子百家が、芸術では陶磁器や文藝をはじめそれこそ山のように優れた作品があるというのは異論を待たない。そもそもヘーゲルの東洋史観はかなり適当で雑である。「多様な文化を描く西洋に比べ、中国は単一的だ」と言ったり、清王朝をモンゴルの系譜だと言ったり(清は女真族の王朝である)、単純な誤解には枚挙に暇がない。
ヘーゲルは西洋近代自由主義に重きを置きすぎて、それ以外の文化を認めていない。『歴史哲学講義』においては東洋世界で中国、インド、ペルシャ、エジプトが紹介されているが、それ以外の国が解説されていないのは講義時間の都合ではなく、単にヘーゲルがこれらの国以外に歴史が存在していないと考えていたからだ。彼の歴史観がいうように国家が精神の自由の現実化だとするならば、国家を持たない民族は歴史がないということになる。
世界史においては、国家を形成した民族しか問題にとらない。(中略)国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。(73P)
岩波文庫版『歴史哲学講義』についている解説によれば、西洋的な自由以外は認めないヘーゲルは歴史における非自由を通りのやり方で捌いている。
①歴史の外に置く(南北アメリカやアフリカ)
②西洋の理性的自由と対照的な存在とする(中国、インド)
③西洋の理性的自由と対立するものとする(古代、中世ヨーロッパ)
このようにヘーゲルは非自由を徹底的に歴史の異端に置いたのである。
はっきり言ってしまえばヘーゲルの歴史観自体は現代的な意味合いはほとんど持たない。マルクスの唯物史観もかなり西洋中心主義だと言われるが、ヘーゲルの歴史哲学はそれ以上だ。ヘーゲルが言う精神が支配する歴史というのは、実証主義の立場からいえば頭の中の妄想もいいところである。
とはいえこれらの事から21世紀に生きる我々が「ヘーゲルは愚かだ」とは口が裂けてもいえまい。彼が生きていたのは18世紀のドイツである。いかにヘーゲルが卓越した頭脳の持ち主だったいえ、時代の制約というものがある。当時の欧州では、啓蒙思想の萌芽はみられるものの近代的科学はまだ生まれていない。近代的な史学がヨーロッパで生まれるのはヘーゲル死後に活躍したレオポルド・ランケの登場を待たなければいけない。まだ人がアダムとイブの子孫であると本気で信じられていた時代だということを思えば、遠く離れた中国やインドのことをここまで詳細に学んでいたヘーゲルの博覧強記にはむしろ驚かされる。
観念史観と唯物史観の共通点
ヘーゲルの歴史哲学の概観を示したところで、マルクスの唯物史観との比較をしてみると、たくさんの共通点があることに気づく。違いといえば観念論か唯物論かくらいのものだ。とりあえず箇条書きにしてみると、
①歴史が自由を目指していること
②西洋中心主義
③歴史が根幹を持っていること
④進歩史観
⑤弁証法的
①「歴史が自由を目指していること」
ヘーゲルは、精神が自己実現するために自由を目指す過程こそが歴史であるとした。マルクスも自由こそが歴史における最高の価値としている。マルクスによれば資本主義社会において、賃金労働者は自らを切り売りして、日々の糊口を凌いでいる。毎日毎日、意に添わない労働を強いられるプロレタリアートは疎外、つまり自由を失った状態にあるとマルクスは指摘する。そのため共産主義革命によって疎外を克服し、人間性を取り戻す。そうした次なる社会、共産主義国では人々は自らの内から湧いてくる衝動によって自由に労働を楽しむことができるとしたのである。
②「西洋中心主義」
よくマルクスの唯物史観がどこまでの範囲を想定していたかが議論になる。東欧のソビエトやアジアの中国共産党はこれを全世界的なものだと喧伝したが、マルクス自身はザスーリチ宛への書簡において、唯物史観が該当するのは西欧だと言っている。彼が共産主義革命の先鋭として考えていたのは、わけても当時の最先進国であるイギリスである。
とはいえこの際マルクス自身が唯物史観の範囲をどこまでだと考えていたかは些細な問題であろう。マルクスが活躍したのはヘーゲルより50年ほど後の時代であるが、それでも中国や南北アメリカに関する近代的歴史研究はまだドイツにもたらされていなかった。確かにマルクスも日本を含めた東洋やアメリカ新大陸への関心は高く、当時から多くの資料を読んでいたようであるが、ともあれマルクスは西欧の歴史を研究し唯物史観を発見したのであるからその範囲は西ヨーロッパに限るのが順当なところである。マルクスの『古代社会ノート』では彼がヨーロッパの古代の文化を詳細に研究していることが見て取れる。
③「歴史に根幹があること」
ヘーゲルは歴史の根元には精神。これは言ってしまえば神さまのことであるが、神が歴史を支配し、その神(絶対知)から人間に与えられた精神の元に人々は歴史を作っていくと考えた。これに対してマルクスは歴史の根幹を経済においた。マルクスは神ではなく、人々がいかにしてご飯を食べるか、財を生産するかという経済諸関係こそが歴史を動かす下部構造であると言う。
④「進歩史観」
ヘーゲルは歴史を、精神が自由を目指す発展過程であるとしたが、マルクスも歴史が生産諸関係の契機に応じて発展していくと考えた。原始共産制→古代奴隷制→中世封建制→近代資本主義を越えて、やがて共産主義社会が到来するとマルクスは言う。
⑤「弁証法史観」
弁証法については他のページで解説しているので他に譲る。
結論
以上にようにヘーゲルとマルクスの歴史観には多くの共通点があることが分かるが、それは同時に欠点も同じであることを意味する。
歴史とは人間集団の数、地域の数だけ存在するといっても過言ではない多種多様なものである。いまや地球上の各地域に住む人間が生み出す色とりどりな歴史を近代西洋的な価値観で一義的にあれこれいうことは不可能であろう。そもそも歴史とは工業や科学のように一方向に向かって発展するものではない。一見、退化や停滞しているように見える社会があってもそれは一面的な見方の結果にすぎない。
マルクスが『経済学批判』の序言で示した唯物史観の定説は歴史的役割を終え、今日的な意味はもうないのかもしれない。少なくとも今生きている人が生きているうちにマルクスやレーニンがいうような共産主義国家はもう生まれないことだろう。
今時、ヘーゲルがいうように「歴史とは精神が自由を獲得していく道のり」だとか、マルクスがいうように「資本主義を超克し、共産主義に至るのは歴史の必然である」というのは完全にナンセンスだ。彼らの歴史考察は結果は間違っていた。しかし、その発想に行き着くまでの思考の過程は、今でも光る物があると思える。マルクスの唯物史観に関する思考過程は『ドイツ・イデオロギー』のフォイエルバッハの章に詳しい。それを読めばマルクスが人間と自然の調和としての歴史をどのように思い描いていたのかが理解できる。ヘーゲルもマルクスも一代の思想家であることには紛れはない。結論の誤りのみをみて、彼らの思想そのものを否定するのはいかにももったいない話であろう。
関連項目
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