- プロ野球選手一覧 > 許銘傑
許銘傑(Ming-Chieh Hsu、1976年12月1日-)とは、台湾出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は埼玉西武ライオンズのコーチを務める。
概要
埼玉西武ライオンズ #91 二軍投手コーチ |
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許銘傑 Ming-Chieh Hsu |
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基本情報 | |
国籍 | 台湾 |
出身地 | 高雄市 |
生年月日 | 1976年12月1日 |
身長 体重 |
182cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1998年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
台湾プロ野球チームの台中金剛では150km/hのストレートを放っていた。かつて西武に所属していた台湾人選手にちなみ「郭泰源二世」と呼ばれ期待された。
2000年、異例の9年という長期契約を結び西武ライオンズに入団。入団時の背番号は17(2004年から23番に変更)。
最大の武器である切れ味鋭いシュートにスライダーや他の球種を交えて打たせてとるピッチングを心掛けている。先発や中継ぎをこなし、10年以上西武で投げ続けている。まだ居たのかよとか言わないように。単年契約となった2009年からは通訳がいなくなり、インタビューに対して日本語で受け答えするようになった。
2011年からは登録名が「ミンチェ」となる。また、タフィ・ローズがオリックスを退団し自由契約となったことから、現役外国人選手としては日本球界在籍最長選手となった。さらに、6月1日に出場登録日数がようやく8年に達し、国内FA権を取得した。そのため2012年からは日本人選手扱いとなる。
この年は絶好調で、先発としては5月7日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で実に9年ぶりの完封勝利を飾る。中継ぎ陣の不振から中継ぎへ回されるとここでも安定感に溢れるリリーフを連発、49試合に登板し抑えの牧田和久と共に勝利の方程式を確立した。
パッとしなかった「許銘傑」と大活躍の「ミンチェ」が同一人物だと信じられないファンも居るようである。
2011年オフ、FA権を行使してオリックス・バファローズへ移籍。背番号は00に。ちなみに外国人選手として入団した選手がFA移籍したのは初の事例である。
オリックスでの2012年は平野佳寿・岸田護へ繋ぐセットアッパーとして期待されたが、開幕から打ち込まれる場面が目立ち、一軍と二軍の行ったり来たりに。37試合に登板したが、0勝3敗10ホールド1セーブ、防御率5.29に終わった。
2013年は1試合のみの登板で戦力外通告を受け、台湾のLamigoモンキーズと契約した。
引退後
2018年からは西武の二軍投手コーチを務める。登録名は「許銘傑」に戻った。
人物
来日2年目(2001年)に視力矯正のためにメガネをかけたところ、これがハマって11勝と大活躍。後にメガネからゴーグルに変わったものの、登板時にはほぼ必ず着用しトレードマークとなっていた。
許さん
ネットでは、変換のしやすさから「ゆるさん」→「許さん(シュウさん)」が定着。文化放送『ライオンズナイター』のジングルではかつて一言の後に発した「ハァー」から、俺達スレではハァー者とも呼ばれる。近年は成績の低迷振りからいつ切られてもおかしくないのに生き残るさまから「残留力」などと形容される事も。
成績
通算投手成績
通算:17年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB:14年 | 301 | 113 | 8 | 5 | 49 | 49 | 2 | 39 | .500 | 885.0 | 351 | 476 | 470 | 413 | 4.20 |
CPBL:3年 | 63 | 27 | 1 | 1 | 11 | 9 | 0 | 6 | .550 | 211.1 | 65 | 114 | 136 | 107 | 4.56 |
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関連項目
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