概要
代表格である普賢岳(1359m)や後述する平成新山(1483m)のほか、国見岳(1347m)や妙見岳(1333m)、野岳(1142m)、九千部岳(1062m)、矢岳(943m)などの山々により構成される。噴火は約50年前に始まったとされ、「島原大変肥後迷惑」とされた1792年の噴火など、たびたび災害を引き起こしてきた。
一方で長崎県を代表する観光地としても知られ、1934年には日本で最初の国立公園のひとつに指定され、1957年には雲仙ロープウェイが開業したほか、2009年には雲仙温泉や小浜温泉、白土湖や眉山などが「島原半島ジオパーク」として認定されている。
平成の噴火災害
雲仙岳といえば1991年に起きた噴火災害で知られている。1984年より橘湾で地震が相次ぎ、雲仙岳にマグマが供給されるようになった。1990年11月より噴火が始まり、1991年5月の噴火により最初の溶岩ドームが形成された。このドームはその後成長と崩落を繰り返して、平成7年には雲仙岳の最高峰普賢岳のを凌ぐ1488mに達した。当初は噴気が確認されるだけだった火山活動は急激に活発化し、1991年6月には溶岩ドームの崩落に伴う大規模な火砕流の発生により、40名を超える死者・行方不明者を出す大惨事となった。火砕流が猛スピードで麓へ流れ下る様子は繰り返しテレビで放送され、新聞・雑誌にも悲惨な被害の模様が多く掲載されるなど大ニュースとなったのである(なお、これは世界で初めて鮮明な映像として記録された火砕流であり、学術研究上の価値は極めて高い)。その後も1995年春まで噴火活動が継続した。
島原市と雲仙市(旧小浜町)は、この災害を忘れず、また新たな復興の記念とするために平成8年(1996年)5月、ドーム部分を平成新山と命名した。容積約1億㎥もの溶岩が噴出後に冷えて固まったドームは、その後やや縮小して現在の標高(1483m)となっているが、仁田峠循環自動車道路の急な坂道を車で登る途中の第二展望台や、仁田峠から雲仙ロープウェイで登る妙見岳からは、間近にその威容を見ることができる。平成新山は日本で一番新しい溶岩ドームで、噴火が収まった今も内部は高温を保ったままである。
この噴火災害を後世に語り継ぐため、道の駅みずなし本陣ふかえには土石流に埋まった民家がそのまま保存されている。また島原市にある雲仙岳災害記念館や、雲仙温泉にある「雲仙お山の情報館」などにも、島原半島や雲仙岳についての資料が展示されている。
アクセス
- JR長崎本線長崎駅から長崎県営バス雲仙温泉ゆき特急に乗車し終点下車。そこから登山口の仁田峠までは乗り合いタクシーが運行されている。なお、雲仙温泉へは島原鉄道島原駅から島鉄バスの路線を利用してもアクセス可能。
- マイカーの場合、長崎自動車道諫早インターチェンジから仁田峠まで約45km。
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関連項目
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