イマヌエル・カント 単語

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イマヌエルカント

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イマヌエル・カント(1724年~1804年)とは、ドイツ哲学者である。

生涯

1724年、ケーニヒスベルク(現ロシアカリーニングラード)に生まれる。

1740年にケーニヒスベルク大学入学し、自然学を研究した。

1755年に最初の論文「界の一般的自然史と理論」が出版され、同年にケーニヒスベルク大学の私講師となった。

1770年にケーニヒスベルク大学に招聘され、哲学教授となり、哲学自然科学について教をとった。

1804年に死去。

著作

上学

『純理性批判』(1781)
プロレゴメーナ』(1783)

倫理

『実践理性批判』(1788)
『人倫の形上学』(1797)

美学

『判断批判』(1790)

政治

『永遠平和のために』(1795)

カントの有名な著作は『純理性批判』『実践理性批判』『判断批判』であり、この三つを「三批判書」と呼ぶことがある。

カントの思想

思想の背景

カントの思想は様々な言葉でられている。

これらは、いずれも正しい認識である。だが、あくまでカント思想の一面にすぎない。ここでは、まずカントが哲学において何を企図したのかを説明してゆこう。

哲学の再構築

「生涯」をご覧いただけば分かるように、カントは元々自然学を専攻していた。その彼が哲学を志すようになったのには理由がある。

カントが生きた18世紀のドイツ(当時はプロイセン)の大学では、ライプニッツ・ヴォルフ学流であった。これは、哲学ライプニッツの思想を、ヴォルフという学者が構築し直したものである。内容をまとめるのは難しいが、簡単にいえば、「すべてのものは経験によらず、演繹的に導くことが可である」といった合理論的な考え方である。

カントもこうした流思想に浴していたわけだが、彼はあるとき、イギリス経験論の哲学ヒュームの著書を読み、その内容に衝撃を覚えた。ヒュームの懐疑論・因果批判によって「独断論のまどろみ」から解放された彼は、ライプニッツ・ヴォルフ学に疑問を抱き始める。しかし、かといってカントはヒュームに全面的に賛成したわけでもない。

この経験を通じてカントが考えたのは次のようなことである。

  • 確かにヒュームのいう通り、人間は多くのものを経験から獲得している。ライプニッツ・ヴォルフ学のいうように、すべてが経験によらず演繹的に獲得されるとは考えられない。
  • しかし、ヒューム因果批判は、すべての因果関係を蓋然性にとどめてしまい、必然性や普遍性を存在しないものとして片づけてしまう。
  • つまり、すべてが経験から得られるわけでもないし、すべてが経験によらず得られるわけでもない。
  • では、何が経験によらないか、何が経験によるのか、何が普遍的で何が偶然的なのかを検討しよう。

以上のように、カントの哲学の出発点は、ライプニッツ・ヴォルフ学にもヒュームにも納得できず、自らの手で哲学を構築し直すことにあった。カント哲学理論と経験論の統一といわれるのは、上記の背景を踏まえてのことである。

批判主義

哲学を再構築するにあたって、カントはまず「批判」が必要であると考えた。この「批判」という言葉は、他者を批判・非難するといった攻撃的なイメージがつきまとうが、カントはそういった意味で「批判」といったわけではない。カントが「批判」にこめた意図は次のようなものである。

ライプニッツ・ヴォルフ学のように、経験を軽視し、過度に理性を重視する立場は独断論的である。一方、ヒュームのように、経験のみを重視し、理性をあまりにも軽んじるのは懐疑論的である。その両者にも偏らず、理性の判断はどこまで作用するのか、どこからどこまでが理性の範疇なのか、理性の成立条件は何かを吟味することが必要である。

簡単にいえば、理性の範疇外にないことを理性で考えても、答えが出るはずがない。それは理性の判断の過信から来ている。一方、理性の範疇内にあることを答えられないと考えるのは、理性の過小評価である。こうした理性の過大評価・過小評価を批判し、理性を正確に吟味しようというのが、カントの「批判」の意図である。

こうした立場から、カントは人間を純理性・実践理性・判断の三つに分け、感性・悟性・理性の範疇を検討し、アンチノミーについて議論し……と、理性に関する議論を細かく展開してゆく。カントが理性限界の吟味を行ったといわれるのは、こうした議論しているのである。

形而上学・倫理学・美学

上記の「批判」の末に、カントが著したのが『純理性批判』『実践理性批判』『判断批判』である。

このように、カントの三批判書は、それぞれ形上学・倫理学・美学という西洋哲学の伝統的テーマに対応している。

カント哲学の難解さ

カントの哲学書は、西洋哲学の中でも屈の難解さといわれる。それには、カントの文章自体が極めて読みにくいこと、日本語翻訳した際に悪文になっていること、概念議論が理解しにくいことなど様々な理由が挙げられる。

カント哲学の難解さにはドイツ人ですら頭を悩ませているようで、カントの同時代人のほとんどが理解できなかったとされているし、現代でもカントを理解できるドイツ人はごくわずかのようである。

後世への影響

カントの後世へのは甚大である。まず、フィヒテ・シェリング・ヘーゲルというドイツ観念論の系譜を作ったことが挙げられる。また、ヘーゲルの死後に新カント学という学が生まれ、カントの再評価が高まったこともの一つである。

それ以外にも、経験論と合理論がカントにおいて統一されたこと・底的な形上学批判が行われたことなども挙げられる。

一方で、物自体・現という世界の捉え方や、倫理学において形式義にしたことなどは後世の批判も浴びた。

逸話

  • カントは毎散歩に出ていたが、その時間帯が毎日同じであり、極めて正確であった。そのため、近所の人々はカントの散歩時間を見て、時計の狂いを直したという。
  • 中島というカント哲学者は、『カントの人間学』においてカントにまつわる様々な噂やエピソード・文章を紹介している。それを通じて、カントは従来考えられていたような清廉潔道徳的な人物ではなく、社交的であり、したたかであり、女嫌いであり……といったあくの強い人物なのだと説明している。ただ、そうした人間性も含めて、カントは偉大なのだともいっている。

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