ヴィクトリア女王 単語

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ヴィクトリアジョオウ

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人物
ヴィクトリア
基本情報
生年 1819年5月24日
生誕地 イギリスロンドン
1901年2月22日
イギリスワイト
イギリス
職業・肩書 イギリス女王インド皇帝
備考・その他
人物テンプレートボックス

ヴィクトリア女王Victoria、在位1837~1901)とは大英帝国女王インドである。

ヴィクトリアの治める19世紀のイギリスは全陸地の1/4を支配し、人類の歴史上もっとも巨大な帝国となった。その領域はかのモンゴル帝国をも上回る。

ネットスラングでいうところのブリカスの領袖。イギリス史上最も長い治世を誇っていたが最近、玄孫のエリザベス2世に抜かされた。

治世

即位当初

イギリス史にはイングランド時代を含めるとメアリ1世、エリザベス1世メアリ2世アン女王女王が多い。その5人に名を刻んだのがヴィクトリア女王である。古今東西王位相続には血なまぐさい後継者争いがつきものであり、特に女性が即位するとなると戚が出しゃばってくるのがよくあることだ。上記のメアリ1世もエリザベス1世も対抗を処刑している。

しかし19世紀ともなれば継承も安定している。イギリスの王室は基本は年長の男子が優先されるが女子継承も認めていた。時の王であるジョージ4世(ヴィクトリア叔父にあたる)には子はなく、その兄弟のいずれにも嫡子となる男子はいなかった。ジョージ4世の後にウィリアム4世が即位し、さらにその後に姪のヴィクトリアにお鉢が回ってきた。ヴィクトリアエドワード彼女の生後すぐに亡くなっていたが、叔父たちはヴィクトリアは可がった。ただし叔父たちはヴィクトリアヴィクトリア妃のことは嫌っていたようだ(ヴィクトリア女王の母親名前もヴィクトリア。ヴィクトリア女王の名前もヴィクトリアである。ややこしい)。

イギリス歴史的に爵位貴族貴族院議員)や地層のジェントリ(下位議員)から構成される議会が強く、英王はスルタンや中国皇帝のような専制君にはなりえなかった。それでも王には国王大権が与えられ時にその意思で政権の人事を操ったり、外宣戦布告を行ったりと国家の中枢業務を担っていた。とはいえ即位当初18歳のヴィクトリアにはまだ政治の知識は乏しく、ホイッグ党のメルバーン首相に助言を貰いながらを導いていた。

1850、60年代

史上のイギリス王の中は政治興味のない者もいたが、ヴィクトリアは積極的に政治に参画していく女王であった。性格はなかなか好戦的でクリミア戦争1853〜1856)でセヴェストポリ要塞が陥落して欧州が一息ついて講和を考えていたとき、ヴィクトリアは1人ロシアをさらに叩きのめそうと息巻いていたり、インド大反乱(1857~1858)が勃発した際に、政権にあったピール首相が出兵を渋ったのに対して叱を与えて大軍をインドに送っている。

女王の夫は1840年に結婚していた従兄弟アルバートである。ヴィクトリアは夫との間に9人の子(4人の男子と5人の女子)をけている[1]アルバートは英邁であり政治にも積極的に関わっていたが民からの人気が低く、反逆罪でロンドンに囚われたとデマが流れるほどであった。体も太っていて健康でなく、1861年に腸チフスで42歳の若さで亡くなってしまった。夫が亡くなったあと彼女は長く喪にし王の責務を滞らせたため世間から批難された。

実は夫が亡くなってからもヴィクトリアは責務を放ってサボタージュしていた訳ではなかった。ヴィクトリアは勢拡大を続けていたナポレオン3世とプロイセンビスマルクの動きにパーマストン首相ラッセル外相に諮りながら介入していたのだが、彼女はバッキンガム殿でなく南ワイトスコットランドなどロンドンでない場所で政務を執っていたため民からはその仕事が見えなかったのだ。

1867年には第二回選挙正によって都市部の男性労働者選挙法が与えられ民主主義の機運が高まると「もはや王室は不要だ」との共和政推進運動が起こった。1970年の普戦争によってフランス政が崩れ共和政に移行するとそのはさらに大きくなった。ヴィクトリアはその運動を抑えるため約10年ぶりに再び民の前に姿を表すようになり、1971年皇太子エドワードが難病から回復する朗報に民が大いに喜んだのをきっかけに王室止論はなりを潜めた。ちなみに復帰したヴィクトリアが一番最初に謁見した外使節が岩倉使節団であった。

1870、80年代

1870年代のヨーロッパはかの鉄血宰相の名をとってビスマルク体制と呼ばれていたが、たかがプロイセンごときが欧州で大きい顔をするなと女王はこれを苦々しく思っていた。捲土重来をフランスも着々と富を図り、イギリスを追い越さんと意気込んでいる。一番油断ならないロシアは隙あらばトルコに攻撃を仕掛け南下を狙っていた。ヴィクトリア大英帝国持を守るために社会にその存在感を示さなければいけなかった。

1875年にエジプト太守がスエズ運河株式を売りにだしたとき、議会が休会していたため首相ディズレーリはロスチャイルド家になんと「イギリス政府」を担保にして400万ポンドの大を借りた。この件は、そのような膨大なを即ポンと出せるイギリスの実世界中に知らしめることとなった。また同年には支配下においていたインド帝国化しヴィクトリアイギリス女王インド皇帝を兼ねることとなった。彼女ロシアドイツに負けないように王より上の「皇帝」の名前がどうしても欲しかったようだ[2]

1877年に始まった露土戦争のサン・ステファノ条約によってロシアの南下が進もうとしたとき、ヴィクトリアは宥和的に対応していたダービー外相をクビにして、オーストリアらと共にロシア外交をかけこれを防いだ。ついで今度は中央アジアから南下を狙ってアフガニスタンに使節を送っていたロシアと1778年に第二次アフガン戦争を戦っている。1779年には南アフリカズールーとの戦争が勃発した。広大大英帝国は同時のその各地に火種を抱えることも意味する。ヴィクトリアイギリスの権威を守るために帝国拡大政策を貫いたが、女王が過度に外交に掣肘を加えることは議員たちの反感を生んだ。

議員たちの積もり重なった不満と前年度から続く不況と不作によって、1880年に行われた総選挙ではヴィクトリアの望む政策を行っていたディズレーリ首相率いる保守党が大敗した。政権交代により反ヴィクトリア路線の最右翼であった自由党のグラッドストン首相になった。女王は彼のことを「半分キチガイ老人」と呼ぶほどに嫌っていた。特に彼がアイルランド[3]に自治を与える方針を打ち出したことは女王を憤慨させた。62年と206日に渡って議員を務め、生涯26回も選挙当選し、4度も首相になった怪物政治家グラッドストンは何度もアイルランド自治法案を議会に提出したが、ヴィクトリアの反対工作が功を奏して終ぞ通ることはなかった。

90年代と晩年

七つのにまたがる大英帝国女王として1887年に爛な在位五十周年式典をあげたヴィクトリアであったが安穏としている暇は一時としてなかった。ブルガリアでは火種が燻り、1898年にはアフリカを横切ろうとするフランスと縦に切ろうとするイギリスが衝突し一触即発の状態となる(ファッショダ事件)。1899年にはボーア戦争南アフリカ戦争)。1900年には極東で義和団事件が起こっている。

一流国家として栄ある孤立(splendid isolation)を貫いていたイギリスのヴィクトリアもやがてどこかの強と協定を結ぶ必要性を感じ始めていた。選択肢は、それぞれ自分の孫が支配するロシアドイツのどちらかになる。欧州では逆に位置するがバルカン半島中央アジアで争っていたロシアか、植民地戦争では対立が少ないが本の近くで巨大化するドイツのどちらと結ぶかというイギリスの悩みは一次大戦まで続く。最初はドイツに傾いていた女王であったが、皇帝ヴィルヘル2世南アフリカイギリス軍を打ち破ったクルーガー大統領に祝いの電報を送ったこと(クルーガー電報事件)が明るみにでてドイツを信用できなくなった。イギリスは結局は彼女の死後の1902年に日英同盟を結ぶこととなる。

80歳をえてもなお壮健に働き続けていたヴィクトリアであったが1901年に体調を崩し1月22日に81歳で崩御した。最後の言葉は「まだ死にたくない。私にはまだ差配しなければいけないことが山ほどある」だったと伝えられる。彼女の死後、長男エドワード7世が王として即位した。

関連項目

先代 イギリス女王 次代
ウィリアム4世(William IV
1830~1837
ヴィクトリアVictoria
1837~1901
エドワード7世(Edward VII
1901~1910

参考文献

脚注

  1. *彼女たちの孫の中には後の英王ジョージ5世、独ヴィルヘル2世、露ニコラ2世皇后であるアレクサンドラ・フョードロヴナが含まれている。彼らは1914年に第一次世界大戦で相争う仲となった。
  2. *ヴィクトリアの女即位に際してデリーでは盛大は大謁見式が開かれた。これを取り仕切ったリットン総督の長男こそがのちに満州事変の調を行ったリットン調団の団長リットン卿である。
  3. *当時イギリス植民地だったアイルランド1880年に土地差配人のボイコット氏に対する農民の排斥運動が起こった。これによりアイルランド土地戦争化し、ヴィクトリアアイルランドの土地革を迫られた。このボイコット氏がボイコット運動である。
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