カブラヤオーとは、失速しないツインターボ1972年生まれの日本の競走馬。
当時としては殺人的とも言える超ハイペースでの逃げ切りでクラシック二冠を達成したそのレース振りから「狂気の逃げ馬」と呼ばれた名馬である。
主な勝ち鞍
1975年:皐月賞(八大競走)、東京優駿(八大競走)、東京4歳ステークス、弥生賞、NHK杯
1976年:短距離ステークス
概要
父*ファラモンド、母カブラヤ、母父*ダラノーアという血統。母の半妹ネヴアーイチバンの子にダイタクヘリオス、孫にダイタクリーヴァ・ダイタクバートラム兄弟がいる。
競走成績は13戦11勝2着1回。皐月賞と日本ダービーの二冠を制しており、三歳(当時の表記)秋から五歳春にかけて記録した9連勝は日本中央競馬会における平地連勝記録。
屈腱炎を発症して菊花賞を回避せざるを得なくなったり、五歳時の復帰二戦目でゲートに頭をぶつけて脳震盪になって生涯唯一の二桁順位(11着)に敗れたりしつつも、結果的に引退レースとなった五歳秋のオープン戦では62キロを背負いながらも優勝。
種牡馬入りしてからも国内産種牡馬不遇の中でミヤマポピー(エリザベス女王杯優勝)やグランパズドリーム(ダービー二着)を輩出しており、そこそこ頑張っていた。
と、ここだけ書くとただの超一流馬なのだが、カブラヤオーが有名なのは成績以上にそのエピソードである。
狂気の逃げ馬・カブラヤオー
上記のように超一流の成績を残したカブラヤオーなのだが、そのレーススタイルは「逃げ」である。
と言ってもマルゼンスキーやサイレンススズカみたいに生まれ持った絶対的なスピードで他馬を圧倒するわけでもセイウンスカイやサニーブライアンみたいに絶妙なペースで後続を封じるわけでもなく、ツインターボかよ!って言いたくなるぐらいにただひたすら逃げるのである。
例を挙げると、例えば皐月賞は2000mのレースだというのに前半1000mを58秒9という1000mレース並のタイムで通過。後に「殺人ラップ」「狂気のハイペース」と呼ばれるハイペースである。そしてその言葉通り、同レースでカブラヤオーに競りかけていったレイクスプリンターは、レース中に骨折しまい、最下位入線後に予後不良の憂き目を見ている。
そして続く日本ダービー。カブラヤオーは皐月賞から直行せず、ダービートライアルのNHK杯を使ってからダービーに出走。そのNHK杯では大外を回って差し切り勝ちを収めており、さすがにダービーじゃ皐月賞ほど無理しないんじゃないか?という予想もあったとかなかったとか。
もちろん甘い考えでした。
今度はトップジローという馬に競りかけられつつも最初の1000mを58秒6、1200mを1分11秒8で通過。日本ダービーは当時も2400mであり、皐月賞よりも長い。なのに皐月賞を上回る超ハイペースで逃げたのである。
どれぐらいヤバいペースかというと、1200mの走破記録が破られたのは2000年の日本ダービーになってからで、しかも逃げたマイネルブラウは失速して14着に惨敗、勝ったのは追い込んだアグネスフライトという結果になるぐらいのハイペースだった。
もっとも、それ以上にヤバいのは、そんなペースで皐月賞も日本ダービーも勝っちゃうカブラヤオーである。ダービーに至っては苦しさのあまり口を割ってフラフラしながら後続を突き放すという、圧勝とか完封と言うにはあまりに狂気すぎる勝ちっぷりを見せつけた。
ちなみに皐月賞とダービーには後の天皇賞馬・エリモジョージと天皇賞二着馬・ロングホークが出ていたのだが、カブラヤオーの影も踏めずにレースを終えていたりする。
もっともこんな芸当が出来たのはカブラヤオー自身の驚異的な心肺機能のおかげであり、他の馬が真似したら普通は潰れる。
そんなカブラヤオーだが、幼少時に他の馬に蹴られて非常に臆病な馬になったという。つまり逃げという戦法も、自ら選択したと言うより選ばざるを得なかったのだ(NHK杯で差し切り勝ちした際に大外を回ったのも同じ理由)
こんな事情もあり、カブラヤオーが逃げる本当の理由は極秘とされていて、真実が明らかになったのはカブラヤオー引退から十年が経過した1980年代後半のことであった。
ちなみに全妹のミスカブラヤはエリザベス女王杯で追い込み勝ちを収めており、カブラヤオーも気性の問題がなければ無理な逃げを打たずとも普通に勝てたのでは?と言われている。
テスコガビーとの因縁
上記のようなエピソードで有名なカブラヤオーであるが、同期であり最強牝馬議論にもよく名前の出るテスコガビーとの因縁も語られている。
同馬との対戦は東京4歳ステークス(現在の共同通信杯) だけなのだが、このレースでクビ差の接戦(勝利したのは)を演じたこと、同じ逃げ馬同士だったこと、両馬の主戦騎手が同じ菅原泰夫騎手であることから、ロングエースや全盛期にカブラヤオーと対戦していないエリモジョージよりもテスコガビーこそがカブラヤオーのライバルという論調もある。
なお、テスコガビーは繁殖入り前に心臓麻痺で早逝しており、カブラヤオーとの子どころか産駒自体がいない。
血統表
*ファラモンド Pharamond 1957 黒鹿毛 |
Sicambre 1948 黒鹿毛 |
Prince Bio | Prince Rose |
Biologie | |||
Sif | Rialto | ||
Suavita | |||
Rain 1946 鹿毛 |
Fair Trial | Fairway | |
Lady Juror | |||
Monsoon | Umidwar | ||
Heavenly Wind | |||
カブラヤ 1965 黒鹿毛 FNo.8-g |
*ダラノーア 1960 黒鹿毛 |
Sunny Boy | Jock |
Fille de Soleil | |||
Danira | Dante | ||
Mah Iran | |||
ミスナンバイチバン 1959 黒鹿毛 |
*ハロウエー | Fairway | |
Rosy Legend | |||
*スタイルパツチ | Dogpatch | ||
Style Leader | |||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
- グランパズドリーム (1983年産 牡 母 フサキネン 母父 *ガーサント)
- ミヤマポピー (1985年産 牝 母 グリーンシャトー 母父 *シャトーゲイ)
- マイネルキャッスル (1990年産 牡 母 シロヤマハヤテ 母父 *ロムルス)
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関連項目
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