サムソンビッグ(Samson Big)とは、1991年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
ナリタブライアンが圧倒的な強さで三冠を達成した1994年、同じクラシック三冠をナリブ以外に唯一完走し、史上2頭しかいない記録を打ち立てた馬。
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「サムソンビッグ(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父サクラショウリ、母シユンイチオーカン、母父*フロリバンダという血統。
父は1978年の日本ダービー馬にして、皇帝シンボリルドルフなどで知られる名種牡馬*パーソロン産駒初のクラシックホース。種牡馬としても二冠馬サクラスターオーを送り出しているが、他にはこれといった活躍馬が出ず、他に中央重賞を勝った唯一の産駒がサムソンビッグである。
母は笠松で43戦3勝。
母父はイギリスの馬で、1961年のキングジョージSの勝ち馬。*ファバージなどと同様、*テスコボーイの成功で導入されたPrincely Gift産駒の1頭であるが、中央重賞馬は2頭のみとあまり目立った結果は出せなかった。
牝系は1907年に小岩井牧場が導入した20頭の繁殖牝馬の1頭、*アストニシメントに始まる、いわゆる日本の基礎牝系のひとつで、5代母の「年藤」は1943年の変則三冠馬、11戦11勝の「史上最強馬」クリフジである。
1991年4月14日、門別町のサムソン牧場で誕生。サムソン牧場の生産馬では唯一の中央重賞馬である。メイショウサムソンとは無関係。
オーナーの田中由子は、メガネスーパーの創業者・田中八郎の妻。サムソン牧場はこの田中夫妻の経営していた牧場だそうで、かつてはメガネスーパーの公式サイトにサムソン牧場の紹介ページが存在した(2000年当時のアーカイブ)。そのため、牧場生産馬のほぼ全てが田中夫妻の所有であり、牧場生産馬には全て「サムソン」冠名を用いていた。[1]
田中オーナーは2019年まで馬主を続けており、2012年のエリザベス女王杯を制したレインボーダリアなどを所有している。
馬体重はデビュー時で412kg、クラシックを戦っていたときも410~420kg台。現役晩年は450kg台まで増えたが、馬名に反して小柄な馬であった。
性格は非常におとなしくて人なつっこく、放牧中も牧場スタッフが入っていくととんできてじゃれついてくるほど。洗い場までの移動には引き綱を使わずとも担当厩務員のあとを素直についてきたという。
※本記事では馬齢表記は当時の数え年(満年齢+1歳)で表記します。
小さな身体、大きな挑戦
ヤツにも一度は先着したのだ
栗東の鹿戸幸治厩舎に入厩したサムソンビッグは、1993年7月10日、札幌のダート1000mの新馬戦で鹿戸師の親戚である鹿戸雄一騎手(現調教師、スクリーンヒーローやエフフォーリアでおなじみのあの人)を鞍上にデビュー。2番人気に支持され逃げ切り勝ちを収める。
しかし続く札幌3歳S(GⅢ)では3番人気に支持されたがブービー15着。クローバー賞(OP)5着を経て、函館3歳S(GⅢ)に出走する。9頭立ての7番人気という低評価だったが、横山賀一に重賞初制覇を贈ったマリーゴッドの2着に健闘、収得賞金をゲットする。
……ところでこのレース、2番人気で6着に沈んだ1頭の馬がいた。そう、後の三冠馬ナリタブライアンである。これがサムソンビッグとナリタブライアンの初顔合わせ、そして言うまでもなくサムソンビッグが先着した唯一のレースとなった。
それはともかく、武豊が騎乗した萩S(OP)では3着。中1週で田原成貴を鞍上にデイリー杯3歳S(GⅡ)に向かい、ナリタブライアンと二度目の顔合わせとなったが、あえなくブービー14着に撃沈(ナリブは3着)。さらに中1週で福島3歳S(OP)へ遠征し2着。使いすぎでは?
そして中2週で朝日杯3歳S(GⅠ)に参戦。シャドーロールをつけて覚醒したナリタブライアンの前に、終始後方のまま何もできずブービー13着に撃沈した。
史上2番目の大波乱
ここまでの戦績、どう見たって重賞で勝ち負けのレベルではない。それでも陣営はきさらぎ賞(GⅢ)へ彼を送り出した。鞍上は初騎乗の田所秀孝。
ここまで重賞では1200mの函館3歳S以外全部ブービー。馬券に絡んだ萩Sと福島3歳Sも1200m戦。それが初の2000m戦である。買う理由があるだろうか? いやない(断言)。11頭立ての11番人気、単勝172.0倍というぶっちぎりの最低人気だった。10番人気が61.9倍なのでガチのマジでぶっちぎりである。
ところがこのレース、積極的に逃げようとする馬がいなかったこともあって、サムソンビッグはハナに立って逃げる格好になる。そのまま1000m通過65秒1という超スローペースで逃げたサムソンビッグは、後続の追撃を振り切って逃げ切り勝ち。
勝ちタイムは驚くなかれ、芝2000mの良馬場で2:07.4。当時としてもびっくりするほど遅いタイムである。そして単勝17200円は当時、グレード制以降ではあのサンドピアリスのエリザベス女王杯に次ぐ重賞史上2番目の高配当記録となった。この配当は2023年現在も重賞単勝高額配当の歴代10位に残っている。
なにはともあれ立派な重賞馬となったサムソンビッグ。続くトライアルのスプリングS(GⅡ)ではナリタブライアンと4度目の対戦となったが、先行策からあえなく沈んでブービー9着。
そしてサムソンビッグは、迎えたクラシック三冠で、史上2頭目の記録を打ち立てることになる。
逆・準三冠馬サムソンビッグ、爆誕
さて、1994年のクラシックといえば、ナリタブライアンが圧勝に次ぐ圧勝で三冠を達成、今なお「クラシック時点でなら史上最強」と言われるほどのパフォーマンスを見せたことで知られる。
そんな1994年のクラシック三冠、3戦全てを走った馬は、ナリタブライアンの他に誰がいただろう?
答えは1頭。ただ1頭。そう、サムソンビッグである。彼だけがシャドーロールの怪物の三冠、その全てをターフの上で見届けた唯一の同期なのだ。
そして、ナリタブライアンの三冠の陰で、彼もまた、過去に1頭しかいない記録を打ち立てていた。
皐月賞、18頭立て17着(ブービー)。
東京優駿、18頭立て18着(最下位)。
菊花賞、15頭立て15着(最下位)。
そう、たとえばハナ差7cmで三冠を逃した2000年のエアシャカールを「準三冠馬」と呼ぶならば。
サムソンビッグのこの戦績は、「逆・準三冠馬」というべきであろう。
この記録、他には1961年のヨドノハル(ダービーのみブービー)しかいない。史上2頭目の大(?)記録であった。
しかも皐月賞最下位のトラストカンカンはレース中に心房細動を発症していたため、何事もなく完走した馬に限れば最下位。トラストカンカンのアクシデントがなければ、三冠馬の裏で逆三冠馬が誕生していた可能性はある。
ちなみにサムソンビッグは皐月賞とダービーの間に京都4歳特別(GⅢ)にも出走、ここでも大差の14着(最下位)に沈んでいる。
ライバルと呼ぶのもおこがましい、三冠馬の背中は遥か彼方。
けれど、それでも、三冠全てでナリタブライアンに挑んだ同期が彼だけだったのもまた事実である。
挑まなければ敗れることさえできない。そもそも中央の世代重賞を勝ってクラシックを皆勤したというだけでも、中小の生産者にとっては一生の自慢になるような孝行息子である。
きさらぎ賞で大穴を開けた賞金で、彼は果敢に最強の三冠馬と同じ舞台に挑み、敗れた。そしてただ1頭、ナリタブライアンと一緒に三冠を完走した馬となった。その事実は決して消えることはない。
「皐月がブービー ダービーがシンガリ 菊もシンガリだろ」「話にならないよ」
…じゃあ他に誰が その3冠レースに全て無事に出た?
見くびっちゃいけない 彼は僕に先着したこともある
獲得賞金も僕らに次いで6番目だよ―よしだみほ『馬なり1ハロン劇場(6)』第27R「おめでとう!三冠出場!?」より
94年世代の同期会でサムソンビッグを隣に招くナリタブライアン
……なお、菊花賞の次走の愛知杯(GⅢ)ではルーキージョッキーの渡辺薫彦(これが重賞初騎乗)を背に出走するが、直線で突然言うことを利かなくなり、内ラチを壊した挙句、渡辺騎手をコース緩衝地帯に落として競走中止。この年の重賞で1着、ブービー、最下位、競走中止をコンプリートしたのであった。
古馬戦線~障害競走へ
古馬でのサムソンビッグの平地での戦歴については、あまり語るべきことはない。95年の4月から12月までで11戦を走るという過密ローテで、新馬戦以来のダートを走ったり短距離に戻ったりといろいろ試したが惨敗続き。
阪急杯(GⅢ)で18頭立て7着となり、初めて重賞で連対・ブービー・最下位・競走中止以外の着順を記録。11月の秋野S(OP)できさらぎ賞以来の馬券圏内となる3着に健闘したが、あとはオープン特別でも2桁着順がほとんどであった。
結局、年末の愛知杯で最下位13着に敗れたのを最後に障害競走に転向する。平地での重賞成績は15戦して1着1回、2着1回、ブービー6回、最下位4回、競走中止1回であった。
さて、明けて6歳(現5歳)となり障害転向初戦の未勝利戦(京都・障害2910m)、なんとサムソンビッグはここをいきなりコースレコードで8馬身差の圧勝。きさらぎ賞以来、2年ぶりの勝利を挙げる。ちなみにこのときのレコードタイム3:11.2は、四半世紀以上経った2023年現在も更新されていない。
平地重賞馬が障害で開花か!と思われたが、その後は400万下を勝つのに4戦を要し、しかも勝ち上がったところで1年の長期休養。復帰初戦のオープンでポレールの3着となったが、結局1997年の小倉障害S6着を最後に現役引退となった。
通算35戦4勝 [4-4-3-24]、うち障害競走8戦2勝 [2-2-1-3]。
引退後
引退後は故郷のサムソン牧場で余生を過ごす予定だったが、おそらくサムソン牧場がほどなくして廃業したことの影響か、筑波大学馬術部に譲渡されることに。2008年に那須トレーニングファームに移り、2009年まで馬術競技大会に参加していた記録が残る。2011年にも那須トレーニングファームのホースショーに出ていたという記録が発見されているが、その後の消息は今のところはっきりとはわかっていない。ネット上にも2011年頃まで那須トレーニングファームで乗馬をしていたという目撃情報が残っている。
競走馬の「消息不明」は「廃用処分」の婉曲表現として受け取られがちだが、サムソンビッグの場合は最後に所属していた乗馬クラブを出たという情報もなく、「2011年に乗馬クラブのホースショーに出ていたのが確認できる公的な最後の記録であり、それ以降については純粋に何も情報が出ていないのでわからない」という意味での「消息不明」である。一介の重賞1勝馬ゆえメディアで余生の追跡取材がなされることもなく、結果として単に情報が公開されなかっただけで、最後の消息の時点で20歳という年齢からしても、そのまま乗馬クラブで余生を全うした可能性は普通にある。正確なところを知るのは関係者のみだろうが。
ちなみに、サムソンビッグの生まれたサムソン牧場は今はもうないが、サムソン牧場が導入した輸入繁殖牝馬の1頭であるロッタレースがノーザンファームに売却され、GⅠ馬フサイチパンドラを産んでいる。そして、そのフサイチパンドラが産んだのが、言わずと知れたアーモンドアイである。
またサムソン牧場の跡地は、桜花賞馬プリモディーネなどを生産したサンシャイン牧場の移転先になったそうである。
血統表
サクラショウリ 1975 鹿毛 |
*パーソロン 1960 鹿毛 |
Milesian | My Babu |
Oatflake | |||
Paleo | Pharis | ||
Colonice | |||
*シリネラ 1968 芦毛 |
*フォルティノ | Grey Sovereign | |
Ranavalo | |||
Shirini | Tehran | ||
Confection | |||
シユンイチオーカン 1978 栃栗毛 FNo. 7-c |
*フロリバンダ 1958 鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Astrentia | Denturius | ||
Aherlow Valley | |||
フジカワ 1966 黒鹿毛 |
*チャイナロック | Rockefella | |
May Wong | |||
ツキカゲ | *ヒンドスタン | ||
イチジヨウ |
クロス:Nasrullah 5×4(9.38%)、Bois Roussel 5×5(6.25%)、Avena, Choclo 5×5(6.25%)
関連動画
さすがにニコニコにはナリブ絡みのレースしかないが、YouTubeには勝ったきらさぎ賞の映像がある。
関連リンク
関連項目
脚注
- *なお、サムソン牧場が現在は廃業しているのは確かであるが、いつまで存続し競走馬の生産をしていたのかはいまいち定かでない。データベース上では「サムソン牧場」名義での生産馬の登録は1998年産が最後だが、サムソン牧場の場主であった鹿戸美明名義の生産馬はその後も登録されており(2023年産馬もいる)、JBISでは鹿戸美明名義の馬もサムソン牧場扱いになっている(ただし現在の鹿戸美明牧場は日高町庫富(Yogiboヴェルサイユリゾートファームの近く)にある)。また前述のメガネスーパー公式サイトのサムソン牧場紹介ページの2000年時点のアーカイブでは、ノーザンファーム産として登録されている田中オーナーの所有馬サムソンハッピー(ロッタレースの産駒)や、別の牧場産として登録されている99年産・2000年産馬もサムソン牧場の馬として紹介されている。X(旧Twitter)では牧場の血縁者が2002年頃のサムソン牧場の写真を公開しているので、2002年頃にはまだ存続していたのは確かなようだ。
鹿戸美明名義の生産馬を見ると、1987年産で一旦途切れて1998年産から再び出現するが、これがサムソン牧場名義の馬が生産されていた時期と完全に一致するので、鹿戸美明牧場を田中夫妻が買い取って「サムソン牧場」に改名、1998年産馬の登録が行われたあとぐらいに鹿戸美明場主の名義に戻ったものと推測できる。その後、鹿戸美明名義の生産馬は2005年産までが門別町産、2007年産からが日高町産となっているので、実質的には2005年までサムソン牧場の敷地で生産が行われていたのではないだろうか。あくまでデータの登録状況からの推測なので、実際のところは当時の関係者に聞かないとわからないが。
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