スーパーカートリオとは、1985年に近藤貞雄によって横浜大洋ホエールズにて結成された俊足選手3人組を示す言葉である。
概要
1985年、監督として中日を優勝に導いたこともある近藤貞雄は前年最下位に終わった横浜大洋の監督を関根潤三から引き継いだ。
近藤は前年リーグ最下位だった得点力をどうすれば引き上げられるのか模索した結果、「必ずしもクリーンアップを長打力のある打者で固める必要はない。1番から3番は足でかき回し、4番以下で点を取る。」というアイデアを思いつく。
近藤は1番打者に前年盗塁王を獲得した高木豊を、2番打者に加藤博一を、3番打者には当時球界屈指の走力を誇っていた屋鋪要を置き、3名には「50個アウトになってもいいから100個走れ!」「走って走って走りまくれ!」と命じ、走れる場面にもかかわらず盗塁を躊躇すると怒ったという。
当初は「スポーツカートリオ」という名前だったが、ダサい語感が古いという理由で「スーパーカートリオ」に変更されている。
スーパーカートリオのメンバー
※選手に関してはそれぞれ個別記事を参照
成績
1985年
打順 | 守備 | 選手名 | 打席 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
1 | 遊 | 高木豊 | 左 | 125 | .318 | 11 | 50 | 42 | 前年盗塁王 |
2 | 左 | 加藤博一 | 両 | 129 | .280 | 4 | 35 | 48 | 盗塁数自己ベスト |
3 | 中 | 屋鋪要 | 両 | 118 | .304 | 15 | 78 | 58 | 盗塁数自己ベスト |
4 | 三 | レオン・リー | 右 | 128 | .303 | 31 | 110 | 6 | |
5 | 右 | ジェリー・ホワイト | 両 | 88 | .263 | 10 | 45 | 11 | |
6 | 一 | 田代富雄 | 右 | 110 | .260 | 24 | 68 | 0 | |
7 | 二 | 山下大輔 | 右 | 99 | .280 | 6 | 25 | 3 | |
8 | 捕 | 若菜嘉晴 | 右 | 130 | .268 | 7 | 44 | 1 |
スーパーカートリオ結成初年度。この年は前年の最下位から4位に順位を引き上げ、チーム盗塁数はリーグ1位の188盗塁、このうちスーパーカートリオだけで148盗塁を記録しプロ野球史上初の40盗塁以上3人という記録も作った。(ちなみにこの年の盗塁王は73盗塁を記録した高橋慶彦が獲得)
課題としていた得点力もチーム本塁打リーグ最少の中でリーグ4位となる589得点を記録し、前年の484得点から大きく引き上げるとこにも成功した。
またこのスーパーカートリオの活躍によってそれまで地味と言われあまり注目されなかった横浜にも連日マスコミが取材に訪れるようになり、近藤監督はマスコミに取り上げられることによって選手が張り切り、チームが活性化すれば尚良しと考えていたという。
ただしすべての盗塁に意味があったかというとそういうわけでもなく、時には無駄な場面での盗塁もあったため、4番に座っていたレオン・リーは「塁上でチョロチョロされると集中できない。」と苦言を呈しており必ずしも大成功だったわけでもなかった様子。
1986年
打順 | 守備 | 選手名 | 打席 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 備考 |
1 | 遊 | 高木豊 | 左 | 125 | .310 | 1 | 29 | 24 | |
2 | 左 | 加藤博一 | 両 | 75 | .317 | 3 | 30 | 22 | |
3 | 中 | 屋鋪要 | 両 | 127 | .237 | 8 | 34 | 48 | 盗塁王獲得 |
4 | 三 | カルロス・ポンセ | 右 | 130 | .322 | 27 | 105 | 18 | |
5 | 右 | ダグ・ローマン | 左 | 126 | .291 | 14 | 75 | 14 | |
6 | 一 | 田代富雄 | 右 | 67 | .240 | 13 | 40 | 0 | |
7 | 二 | 山下大輔 | 右 | 118 | .265 | 7 | 33 | 9 | |
8 | 捕 | 若菜嘉晴 | 右 | 122 | .288 | 4 | 29 | 3 |
スーパーカートリオに文句を言ったせいなのか前年活躍したレオン・リーとジェリー・ホワイトを解雇し、新たにカルロス・ポンセとダグ・ローマンを獲得した1986年は屋鋪要が打撃不振、前半戦大活躍した加藤博一が後半戦は怪我で離脱したため、スーパーカートリオの盗塁数は前年の半数程度にとどまったものの、屋鋪は少ない機会の中盗塁王を獲得し、チーム盗塁数も前年同様リーグトップの180盗塁を記録。
しかし得点は482得点と前年を大きく下回り(ただしセリーグで唯一チーム本塁打が100以下にもかかわらず得点は前年同様4位のため、元々得点はなかなか期待できない打線でもあった。)、順位も4位から引き上げることは出来ず、近藤監督はこの年限りで監督を退任。
後任の古葉竹識になると加藤博一は出場機会が減り、屋鋪要は打順を落としたためスーパーカートリオは自動的に解体となった。
ちなみに2006年7月16日の広島戦のイベントとしてスーパーカートリオVS川口和久&達川光男の盗塁対決が行われ、高木は二盗死、加藤は牽制死、屋鋪はかろうじて二盗成功という結果となった。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt