バルト帝国とは、バルト海を中心とした覇権を確立した国への呼び名であり、一般にスウェーデン王国が大国であった時代の呼称とされる。スウェーデン帝国とも言う。
主にグスタフ2世アドルフによるストルボヴァの和約(1617年)から、カール12世の死(1718年)までのおよそ一世紀を指す。
概要
前時代に、カルマル同盟下にいたスウェーデンは「ストックホルムの血浴」を契機として独立を果たす。その後、デンマークによる再連合を阻止しかつバルト海における影響の排除を目指した。一方南ではリトアニアとの連合を果たしたポーランド王国がチュートン騎士団、リヴォニア騎士団を属国としてバルト海に進出してきた。また、東ではリューリク朝のモスクワ大公国がタタールの頸木から脱してツァーリを名乗りノブゴロド共和国を併合して大国化し始めていた。
こうした中で、グスタフ・アドルフはリヴォニア戦争によって、モスクワ大公国のバルト海進出を阻み、ポーランドとの戦いでは外交によってリヴォニアを獲得し、三十年戦争に介入しつつトルステンソン戦争でデンマークを北方の覇権から脱落させて、ドイツ地域に利権を得ることに成功した。グスタフ・アドルフの時代に軍制・法制・商工業や教育制度を整えたスウェーデンは一世紀の大国時代を迎える。
この「帝国」は、カール10世の時代に全盛期を迎える。デンマーク王国を亡国手前まで追い込んで北海へ進出、ロシア、ポーランドの圧力を跳ねのけて、バルト海沿岸の過半を有して、新大陸やアフリカにも植民地を形成した。
この隆盛は北方戦争における消耗によって斜陽を迎え、ブランデンブルク=プロイセンの台頭で北ドイツにおける優位を失い、大北方戦争でピョートル1世のもと近代化政策を進めたロシアが北方・バルト海における覇権に挑戦したことで崩壊を迎えた。また、スウェーデンは伝統的に陸軍国家で海軍が弱体であったが、このために海外植民地を失い、バルト海の海上優勢が失われた。
第一次ロシア・スウェーデン戦争によって、未だ大国であることは示せたが北方の覇権を奪還するには至らなかった。
ナポレオン戦争後、フィンランドを完全に失い、ノルウェーとの同君連合を組むことに成功したスウェーデンは、汎スカンディナビア主義の効用の下、再び北方の大国の地位を目指すが、オスカル1世の死とドイツ帝国の成立によって挫折し、バルト帝国の残光は失われ、以後、スウェーデンは大国間において中立を至上として外交に取り組んでいく。
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関連項目
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