ヘイザム・ケンウェイ(Haytham・E・Kenway)とは、UBIソフトのゲーム「Assassin's Creed」シリーズに登場するキャラクターである。
概要
アサシンの家系に生まれながらテンプル騎士として生きた、主人公デズモンド・マイルズとその父ウィリアム・マイルズの先祖。
Ⅳの主人公であるエドワード・ジェームズ・ケンウェイと、彼の二番目の妻のテッサ・ケンウェイの間に生まれ、12歳上の異母姉ジェニファー・スコットと共に、ロンドンのクイーン・アン・スクエアで育つ。
29歳の時にアメリカ大陸へ渡り、モホーク族の女性、ガジー・ジーオとの間にⅢの主人公コナー/ラドンハゲードンをもうける。
「アサシンクリードⅢ」のメイン操作キャラクターの一人。また、彼の手記という形をとったⅢの小説版「Assassin's Creed FORSAKEN」 もⅢと同時に発売されている。作者は前四作と同様、オリヴァー・ボーデン。
※この記事は「Assassin's Creed FORSAKEN」 を元に作成しました。
生い立ち
家族構成は父エドワード、母テッサ、12歳年上の異母姉のジェニー。
ロンドンの「クイーン・アン・スクエア」で両親から愛情を注がれ、何不自由なく育てられる。このころからすでにアサシンとしての教育を受けていたが、本人はそれが何のためのものであるか知らされていなかった。
1735年12月3日。ヘイザムの10歳の誕生日の前夜、屋敷が何者かに襲撃される。この時母を守るために初めて殺人を犯す。父を目の前で殺され、自身も危うく殺されかかったが、偶然居合わせた父の仕事仲間にして異母姉ジェニーの婚約者であるレジナルド・バーチによって救われる。
襲撃者はジェニーを誘拐し、屋敷に火を放って逃走した。今まで書きためていた日記はこの時すべて焼けてしまったため、手記の最初は1735年12月6日から始まっている。レジナルドは父の仕事を引き継ぎ、ヘイザムの後見人となった。母テッサは幼い息子が目の前で人を殺したことのショックからか、ヘイザムと距離を置きたがっている節もあり、彼はレジナルドについてイギリスを離れる決意をする。
レジナルドは後にテンプル騎士団の身分を明かし、ヘイザムにあらゆる教育を授けた。各国の言語に堪能になり、剣士としても腕を上げたヘイザムは18歳の時に正式に騎士団のメンバーに加わる。ヘイザムは組織の優秀な暗殺者として、オーストリア皇太子暗殺など重要な任務に関わるようになっていった。
1747年(ヘイザム22歳)
スペインでチーズ売りに変装し、アサシンを暗殺。暗号化された手記を奪う。ヨーロッパを巡りながら襲撃者とジェニーの行方を探し続けていたヘイザムは、あの夜使用人の中に内通者がいたことを知り、レジナルドと共に元執事を追う。しかし先手を打たれ、元執事も襲撃者によって殺されてしまった。
レジナルドの行動に不審を抱いたヘイザムは彼と別れて一人で襲撃者を追い続け、彼の友人で騎士団の一人であるブラドックの部隊に奴がいることを突き止めた。執念で父の仇を追い詰めたヘイザムは、そこで父エドワードがアサシンだったという事実を知り、ショックを受ける。さらに父が殺された理由について迫ろうとしていたところを兵に見つかり、脱走の罪で追われていた襲撃者ともども絞首刑にかけられてしまった。ブラドックのおかげで幸い死は免れたが、肝心の犯人は処刑され、真相は闇に葬られてしまった。
その後、ブラドックの軍に加わってヨーロッパ各地を転戦。この時にブラドックの悪行の数々を目撃し、彼と袂を分かつ決心をする。
1753年(ヘイザム28歳)
独立戦争のさなかにあるコルシカ島で、アサシンの暗号解読者の誘拐任務をこなす。その際交戦したアサシン、ミコからアサシンブレードを奪う。
1754年(ゲーム本編開始時点・ヘイザム29歳)
イギリスの王立劇場でミコを暗殺。宝物庫の鍵を奪い、レジナルドから「かつて来たりしものたち」の神殿の位置を記したアサシンの本を受け取ってアメリカへ向かった。
三ヶ月の航海を経て新大陸に到着したヘイザムは、騎士団の協力者たちと出会い、神殿の位置を特定するためにモホーク族に近づいた。彼らの協力を取り付けるため、奴隷として捕えられていた先住民を解放に向かった先で、強く気高いまなざしの女性を見て、一目惚れする。
もう一度彼女に会えないかと思いを馳せていた彼のもとに、リーが先住民の情報をもたらした。英語を理解できると思われる彼女を頼りに神殿を探そうと、ヘイザムは雪深いフロンティアに分け入った。彼女はガジー・ジーオと名乗り、ヘイザムの持っていた護符に興味を示す。彼女の信頼を得るためにヘイザムは先住民の土地を脅かしている旧友ブラドックを殺害しようと試み、その過程で二人は徐々に親密になっていった。
春になり、遠征が始まってブラドック暗殺の最大のチャンスが訪れた。しかし、あと少しというところでワシントンの妨害が入り、ヘイザムは彼に深手を負わせたまま取り逃がしてしまう。ジーオにはブラドックを殺したと伝え、ヘイザムはモホークの聖地に立ち入ることを許された。だが、そこにあったのは彼の期待するものではなく、ヘイザムは失望する。そんな彼をジーオは慰め、同年7月~8月4日の間、レキシントンの郊外で彼らは二人だけの生活を送った。
そこでの暮らしは穏やかで幸福なものだった。しかし、たまたま訪れたチャールズ・リーが、長い間患っていたブラドックがようやく死んだという知らせを伝えに来た際に、同時にジーオにも聞かれてしまい、「嘘つき」と罵られてこの生活と二人の関係は終わりを迎えた。
1757年(ヘイザム32歳・コナー2歳)
ヘイザムの従者、ホールデンが長年行方不明となっていたジェニーの居場所をつかみ、二人でシリアのダマスカスへ向かう。ジェニーはアゼム宮殿でハーレムの奴隷になっていた。ジェニーを連れて宮殿を抜け出そうとした際に警備の兵に見つかり、ホールデンが囮となって二人を逃がす。捕えられたホールデンの奪還のため、エジプトへ向かったヘイザムは、無事彼を救い出すことに成功し、(この時ホールデンは拷問によって去勢されていた)改めてジェニーの口からあの夜の真相を聞かされる。
襲撃の黒幕はレジナルドだった。彼の狙いは父エドワードが所有していた、神殿の位置を記したアサシンの本だったのだ。レジナルドの数々の不審な行動が自分を真実から遠ざけるための画策だったと知り、ヘイザムはジェニーとホールデンを連れてフランスへ向かい、レジナルド・バーチを殺害。復讐を遂げた。
そしてレジナルドの家で監禁されていた、かつて自分がさらってきた暗号解読者を解放するが、彼に腹を刺されてヘイザムは重傷を負ってしまった。そのことでしばらくフランスで療養を余儀なくされ、身体を治しながらアサシンと騎士団の二つの生き方のどちらを取るかで悩んだ彼は、テンプル騎士団である自分を受け入れ、生きていくことを決意する。ヘイザムの回復を待ってホールデンが自殺。ジェニーはロンドンのかつての家に戻り、ヘイザムもアメリカのヴァージニアの農場で暮らし始める。1773年には、イギリスから戻ったチャールズ・リーも隣に越してくる。
1774年(ヘイザム48歳・コナー18歳)
ボストン茶会事件後、ブラドック襲撃以来初めて植民地騎士団のメンバーが全員揃って会合を開く。チャールズ・リーからアダムスら「自由の息子たち」の中にアサシンのローブをまとった先住民の少年が一人おり、1760年に彼らがモホークヴァレーの森で出会った少年と同一人物ではないかと報告を受ける。同時にジーオがワシントンによって殺されていたことを知る。
ジーオの部族の少年であることと年齢、またつけていたネックレスの特徴が彼女のものと一致したことから、ヘイザムはその少年が自分の息子なのではないかと疑いはじめる。
1776年(ヘイザム50歳・コナー20歳)
監獄で初めて少年と対面する。ジーオの面影をとどめた彼を自分の息子に間違いないと確信するが、リーの提案を受け入れて処刑命令を下す。翌朝、乱れた心のまま黒いローブで素性を隠し、ひそかにコナーの公開処刑に向かった彼は、アキレスの仲間がコナーを助けようとしていることに気付く。しかし、彼らが射た矢はロープを完全には断ち切れず、コナーは宙吊りとなってしまった。ヘイザムはとっさに短剣を投げて首縄を切って息子を救い、目撃者を何人かその場で切り殺して逃亡する。そして苦い気持ちを押し殺しながら、リーからワシントン暗殺失敗の報告を聞くこととなった。
1778年(ヘイザム52歳・コナー22歳)
チャーチ暗殺のために一時行動を共にする。コナーが14年前の襲撃を騎士団の仕業と思い込んでいると知り、誤解を解こうとするが無駄に終わる。だがその意志の強さ、誠実さ、高潔さには感嘆するところがあり、自分が歩むことのできなかったアサシンとしての道をまっすぐ生きる息子に羨望も感じていた。チャーチ暗殺後の同年6月、かつて自分が目指し、そして挫折したアサシンと騎士団を和解させるという希望を抱いてコナーが再びヘイザムのもとを訪れる。ヴァレーフォージで誤解を解く最後の機会を得るが、結果として真実を知りながらそのことを黙っていたヘイザムに怒り、コナーは父と決別してしまう。
1781年(ヘイザム55歳・コナー25歳)
チャールズ・リーにアサシンが自分の息子であることを告げ、鍵を持たせてジョージ砦から逃がす。肉体の衰えを感じているヘイザムはコナーと戦えばおそらく自分が負けるだろうと確信していた。日記の最後に息子に向けた言葉を残し、最期の闘いに赴く。
"手記の最後の言葉"
砲撃が開始された。私はチャールズがうまく逃げきってくれることを祈った。おそらくこれが私の最後の日記となるだろう。最期の言葉をここに記す。
私はコナーが、私の息子が、この日記を読んでくれることを願う。おそらく彼は私が歩んできた人生の旅路の一部を知り、そして理解してくれるだろう。私を許すことさえあるかもしれない。私の道は嘘で塗り固められ、裏切りと不審に彩られていた。だが、お前の父は決して嘘はつかなかった。この日記の中でさえも。これは私の昔からの習慣だ。
私はお前に真実を贈ろう、コナー。あとはお前の好きなようにするがいい。
<エピローグ>
父と息子は砲弾の飛び交う中、血みどろになって剣を交えた。お互いの姿は、まるで鏡を合わせたようにそっくりだった。
やがて一発の砲弾が死闘に決着をつける。コナーは動かなくなった父の瞼を閉ざし、その場を後にした。
約ひと月に及ぶ追跡の末、フロンティアの宿の片隅でチャールズ・リーを追い詰めたコナーは、ついに本懐を遂げる。逃亡に疲れ切ったリーは、ようやく最期を迎えることができてどこか安堵したようでもあった。
使命を果たしたコナーは、これで平和な日々を取り戻すことができると信じていた。しかしガナダセトンの村がもぬけのからになっていることを知って愕然とする。彼らは土地を捨て、西へ移住してしまったのだ。
ああ、父は正しかった。この国の「自由」に、自分のような人間は含まれていない。その事実に打ちのめされ、悔恨を噛みしめるコナー。しかし、彼は父の遺品と、母の形見を握りしめ、立ち上がる。「俺はまだ父さんのように世界に絶望したりしない。すべては変えていけるはずだ」と。そして遺品の護符を土に埋め、新たな決意を胸に彼は再び歩き出した。
そしていつの日か、ヘイザムの手記を手にとったコナーは、こう記している。
父についてそれほど多くの事は知らない。彼の日記を読んで、本当の父を理解するまで、俺はそう思っていた。今となっては遅すぎる。父を誤解していた、すまなかったと謝ることも…もうできない。(プロローグ)
関連項目
タイトルのForsaken:(形)とは、 「見放された、見捨てられた、縁を切られた」という意味
ヘイザム(Haytham)とは、古いアラビア語で「若き鷲」を表す。
日記の最後の日付は1781年9月16日となっている。享年55歳。
1754年から亡くなった1781年まで、植民地騎士団のグランドマスターを務めた。
最後の戦いに赴く際、ヘイザムは息子の手で討たれるつもりでいた。
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