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ベーブ・ルース(George Herman "Babe" Ruth, Jr.、1895年2月6日-1948年8月16日)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー(投手、外野手)である。
概要
OB | |
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ベーブ・ルース Babe Ruth |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | メリーランド州 |
生年月日 | 1895年2月6日 |
没年月日 | 1948年8月16日 |
身長 体重 |
188cm 98kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 投手、外野手 |
プロ入り | 1913年 |
引退 | 1935年 |
殿堂入り | 1936年 |
経歴 | |
選手歴
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メジャーリーガーテンプレート |
父親は酒場経営で母は病弱で15歳の時に母が他界。万引き、未成年で煙草と様々な非行に手を染めたため、セント・メアリー少年工業学校で過ごすことになる。その間に恩師、育ての父として慕ったマティアス・バウトラー神父から野球を教わった。
セント・メアリー少年工業学校で左投のエースとして活躍していたが、ボルチモア・オリオールズのスカウトの目に留まり、1913年に19歳にしてプロ入りする。
世間知らずで子供じみたところがあったことから、ボルチモア・オリオールズの時にはチームメイトからベーブと呼ばれていた。
選手時代
1914年にボストン・レッドソックスに移籍して5試合に出場し、内4試合は投手として出場。4試合に登板し2勝1敗だった。投手としてあまり登板ででなかったため、バットを折られるという嫌がらせに遭っても古いバットを見つけては打撃練習を行っていた。オフにヘレン・ウッドフォードと結婚する(後述)。
投手としては1919年まで89勝を挙げていたが、1917年にチームメイトが打者の方が価値が上がると提言し、1919年に外野手としての出場が増え、当時のMLBで最多記録の29本塁打を記録し、ホームランが見直されるきっかけとなった。オフに金銭トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍した。
最優秀防御率1回、94勝、首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回、通算714本塁打、2217打点と数々の記録を打ち立てたため、野球の神様と称された。通算本塁打記録はハンク・アーロン、バリー・ボンズに抜かされたが、長打率.600、OPS1.164は現在も打ち破られていない。
1935年6月1日にボストン・ブレーブス(現:アトランタ・ブレーブス)で現役を引退した。
1918年に投手として13勝、打者としてリーグ最多の11本塁打を記録していて、MLB唯一の10勝10本塁打達成者だったが、2022年に大谷翔平が10勝25本塁打を達成し、2人目となった。
引退後
1936年に殿堂入りを果たした。1938年にはブルックリン・ドジャース(現:ロサンゼルス・ドジャース)で一塁コーチを務めたが、コーチを務めたのはこの年が最初で最後だった。
1946年に鼻咽頭癌に侵され、新薬が投与されて一時的に回復した。1947年にはベーブ・ルース財団を立ち上げ、恵まれない子供のためにチャリティー活動を行った。1948年に癌で死亡した。享年53歳。
人物
1919年にヘレン・ウッドフォードと結婚しているが、1926年から別居。1929年にヘレンは火災で死亡し、その死を悼んだ。
荒れた少年時代を送った影響で粗暴な性格となり、1917年6月23日の試合では先頭打者への四球判定についての口論の末に審判を殴って退場したこともあった[1]。しかし子供には優しく、落馬で重傷を負った子供のためにホームランを打って子供を元気にさせ、後に子供は海軍となっている。このホームランは「約束のホームラン」として伝記で取り上げられた。またお金がなくて球場に入れない子供のためにチケット代を買ったこともあったという。
暴飲暴食、不規則な生活が原因で1922年は結果を残せていなかったが、ルースを励ますパーティーの際に議員から「子供たちは英雄として君を見ているのに、そんな体たらくでいいのか?」ときつく叱られたことで泣いて反省し練習に取り組むようになったという。
1992年にはベーブ・ルースを題材にした映画「夢を生きた男/ザ・ベーブ」が上映されたが、「ホームランを打つ以外称賛に値しない不幸な人物」として評判が悪く、興行収入は良くなかった。
成績
通算打撃成績
通算:22年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
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MLB | 2503 | 10617 | 8398 | 2174 | 2873 | 506 | 136 | 714 | 2217 | 123 | 113 | 2062 | 43 | 1330 | .342 | .474 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最優秀防御率 | 1回 | 1916年 |
最多本塁打 | 12回 | 1918年-1921年、1923年-1924年、1926年-1931年 |
最多打点 | 6回 | 1919年-1921年、1923年、1926年、1928年 |
首位打者 | 1回 | 1924年 |
表彰 | ||
MVP | 1回 | 1923年 |
その他 | ||
MLBオールスターゲーム出場 | 2回 | 1933年、1934年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
脚注
- *この話には続きがあり、ルースの後を継いだアーニー・ショア投手の初球で一塁走者が盗塁失敗でアウトになり、残る26人を1人も塁に出さずに0封して勝利した。この記録は当初はショア投手の完全試合と認定されたが、1991年に記録の見直しが行われた際に史上初の継投ノーヒットノーランに記録が改められている。なお継投ノーノーでワンアウトも取らずに降板した投手はルースが唯一。
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