ペルーサとは、2007年生まれの日本の元競走馬である。牡・栗毛。
ファンから愛され続けている競走馬である。
概要
父ゼンノロブロイ、母*アルゼンチンスター、母父Candy Stripes。
父ゼンノロブロイはGIで勝ちきれないレースが続いたが4歳の秋に覚醒し天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の「秋古馬三冠」を史上2頭目に制覇した名馬。
母アルゼンチンスターは名前の通りアルゼンチン生産馬で、日本で1戦1勝。
母父Candy Stripesは6戦2勝でプール・デッセ・デ・プーラン(フランス2000ギニー)を2着。
2007年のセレクトセールにおいて1億円で落札される。馬名の由来はあのディエゴ・マラドーナの愛称からとったもので母名からの連想だと思われる。
デビュー戦、2戦目共にあっさり連勝。3戦目は元々皐月賞に出走する予定はなかったが藤沢師曰く「間隔的にちょうどよかった」とのことで皐月賞トライアルの若葉ステークスに出走した。
ここでは後の天皇賞馬、ヒルノダムールがいたがペルーサはヒルノダムールを半馬身競り落とし、無傷の3連勝を飾る。この後予定通り皐月賞をパスして青葉賞へ駒を進めた。
この青葉賞でペルーサは圧巻のレースを見せる。内でじっくり脚を溜めてから直線に入り抜け出すと後続を離す一方。2着馬に4馬身差をつける圧勝劇を飾ったのだ。また勝ちタイムも優秀で青葉賞は例年だと2分25~6秒台での決着が多いのだがペルーサの勝ちタイムは2分24秒3とダービー本番並みのタイムで勝利したのである。サマーサスピション、ハイアーゲーム?知らんがな。青葉賞を勝利するもダービーでは2着に敗れた厩舎の先輩シンボリクリスエスや父よりも青葉賞の勝ちっぷりがよかったためダービー制覇への期待はより大きくなっていった
凱旋門賞への挑戦も囁かれる中、皐月賞馬ヴィクトワールピサに次ぐ2番人気でダービー本番を迎えるがレースでは痛恨の出遅れ+例年では有り得ない超スローペースに巻き込まれてしまいエイシンフラッシュの6着に敗れ初黒星を喫してしまう。これにより凱旋門賞挑戦は白紙になり秋では菊花賞路線ではなく古馬王道路線に参戦するも毎日王冠では再び出遅れてしまい敗退。天皇賞(秋)でも出遅れてしまい2着には入るが続くジャパンカップでは3歳馬の中では1番上位人気に推されるも4レース連続出遅れで5着。このころからペルーサはマルカシェンクの後継者説が出始める。年末の大一番有馬記念は珍しく好スタートを切り実況にも驚かれるほどだったが出遅れた方がいいのか直線で思ったほど伸びず4着。結局G1を勝利できぬまま3歳時を終える。
4歳になったペルーサだが天皇賞(春)は見せ場なく惨敗、天皇賞(秋)で3着に入ったのが目立つ程度で次走のジャパンカップはまさかの最下位敗北。2年連続出走を目指した有馬記念ではザ石のため出走取消。
明けて5歳、去年と同じようにG1路線を進んでいくのかと思われたが、なんとOP特別である白富士ステークスに出走。今までと比べて明らかに格下の相手+同舞台の天皇賞(秋)では3着に入っており「こんなところでペルーサが負けるわけない!」と思われ1.4倍の断然人気に推されたが2着敗北、完全にネタ馬と化してしまった。続いて出走したのは中距離のレースではなくなんと安田記念。しかし1000m通過56秒3の超ハイペースを無理に先行したのが祟り最下位惨敗。この後喘鳴症を患ってしまい、彼は1年半もの期間ターフを離れることとなる。
喘鳴症手術を行い復帰したペルーサであったが既に彼は7歳、復帰後は掲示板にすら入れないような惨敗を1年以上繰り返していた。スピルバーグの英国遠征時は帯同馬としてともに英国へ渡る予定だったがキャンセルされてネタとしては話題になることはあっても彼自身が好走して話題になることはもうなくなっていた。同期のヴィクトワールピサ産駒がデビューしているというのに彼には哀愁しか漂ってなかった。一部のファンは応援し続けていたが大抵のファンは「ペルーサは完全に終わった」そう思っていた。
そして8歳時の8月、あの青葉賞の勝利から5年と3か月の時間が経っていた。
札幌日経オープンに出走したペルーサ、鞍上には今年からJRA騎手となったクリストフ・ルメール。今までにはなかった逃げの戦法を打った。「ペルーサが逃げてるよw」「最初で最後の逃げw」レース中大抵の競馬ファンはこう思っていた。だがこの日の彼は違った。ペルーサはリードを保ったまま最後の直線に入る。ゴールが違づくにつれ大きくなっていく歓声。それは間違いなくペルーサに向けられたものだった。そしてペルーサは5年3か月ぶりに先頭で、しかもレコードタイムでゴール板を駆け抜けていった…
レース直後の札幌競馬場は大歓声、Twitterではペルーサがトレンド入りし、Yahooトップにはペルーサの勝利を伝える記事が載るなどとてもOP特別とは思えないお祭り騒ぎで競馬ファンは皆謎の感動に包まれていた。そして5年3か月ぶりの勝利はアドマイヤセナが保持していた5年2か月の記録を塗り替えた。後にこの記録は2021年にブルーガーディアンが6年6か月28日ぶりと大きく更新することになる。
復活か。と思われたがこれ以後のレースでは大敗が続き、2016年に競走馬登録抹消された。
引退後はアロースタッドに種牡馬入りすることになったが、種付け頭数は2017年に12頭、2018年に5頭、2019年に7頭、2020年に2頭と厳しいものであった。初年度産駒からはラペルーズが地方へ転入後産駒初勝利を挙げ、その後中央に再転入しヒヤシンスステークスを制している。
2020年に種牡馬を引退、乗馬となった。2021年夏には馬術大会デビューを果たし、充実した第三の馬生を送っているようである。
血統表
ゼンノロブロイ 2000 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ローミンレイチェル 1990 鹿毛 |
*マイニング | Mr. Prospector | |
I Pass | |||
One Smart Lady | Clever Trick | ||
Pia's Lady | |||
*アルゼンチンスター 1996 栗毛 FNo.6-a |
*Candy Stripes 1982 栗毛 |
Blushing Groom | Red God |
Runaway Bride | |||
*バブルカンパニー | Lyphard | ||
Prodice | |||
*ディフェレンテ 1984 栗毛 |
Propico | Dorileo | |
Prontisima | |||
Derepente | Samos | ||
Desalmada | |||
競走馬の4代血統表 |
関連動画
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関連項目
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