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ポストコロニアル理論 / ポストコロニアリズムとは、社会理論のひとつである。

概要

雑な理解でいえば、20世紀後半に出現した、ポストモダンなどと同様西洋の近代化を批判する立場にあるが、これを「西洋の他者」との関係性を強調して行うことが特徴のものである。植民地解放が起きたがために、このような視点が生まれたといってもいい。また、マルクス義やラディカルフェミニズムと同様、政治参加の傾向が強い特徴がある。代表的な存在として、エドワードサイードがいる。

ポストコロニアル理論の歴史

ポストコロニアル理論にとって重要なのは「抵抗」である。それは政治的なものでもあり、文学的なものでもある。というか、第三世界においてこの両者は極めて近いところにあった。

こうした抵抗を受けて、植民地支配の残虐性への非難をえて、その心理的、文化を探しようとする論者1950年代に現れ始めた。この代表例がエメ・セザールである。彼はマルクスの商品化概念され、植民地住人が商品化されている、としたのである。

これをさらに推し進めたのが、フランツ・ファノンである。黒人科医だった彼は、黒人恐怖症などの心理的な側面から思索を進めた。黒人アイデンティティの否定、もっと言えば消滅が、その終局にあるとしたのである。

一方、アルベール・メンミは植民地支配が消えつつあってもなお、コロニアリズムが頑強であることを注する。もともとある病理的相互依存性が、植民地化が消えてもなお、打ち破ることが難しいとしたのである。少なくとも、植民地支配が精的にどのように悪を与えたのか、というのがここまでの議題であった。

やがて、1970年代に問題となったのが、不均衡な「開発」である。世界的機構が先進国優位にあるという批判とは別に、開発プロジェクトの正当性についても批判が相次いだ。つまり、結局は途上に「西洋化」を押し付け続けているのは、植民地支配時代と何も変わらないという見方が広まったのである。

ここで登場したのが、1978年に『オリエンタリズム』を発表した、エドワードサイードである。彼はアントニオ・グラムシレイモンドウィリアムズを受け、植民地化に起因する東洋と西洋のモノの見方に対して打撃を加えたのである。

ここで、エドワードサイードが何をしたかについて筆を進めたい。彼は西洋において「オリエンタリズム」という言葉が、どのように言説形成されたのかを分析した。コロニアリズムの進展に伴って、オリエンタリズムという言葉に特定の見方がもたらされ、西洋学識の権威によってこのモノの見方が拡散定着されていったとするのだ。

こうしたエドワードサイードの植民地言説の研究への一歩は、理論化が進んでいる。例えば以下のようなものである。

  1. 植民地言説は植民地の統合的要素であり、しばしば高名な人物によって形作られる
  2. これらは互いにしあっていく結果、最終的に同質的な言説に落ち着く
  3. 植民地言説は階層的で対立する思考様式を作った。
  4. 植民地言説は、結局未だなおネオコロニアリズムや新帝国義を容認している

オリエンタリズム」、「原始義」、「熱帯化」といった植民地言説は、決して軽蔑的ではなく、両面価値的だったからこそ、広まっていった。それは今もなお、とするのが、ポストコロニアル理論の特徴である。

要するに何がしたい分野なのか

ポストコロニアル理論にとって重要な社会プロセスこそ、この5世紀ほどに行われた植民地支配である。この社会プロセスの理解こそがポストコロニアル理論の核であり、フェミニズム理論における、ジェンダーと長制、史的唯物論者における階級が、植民地支配にあたるのだ。

多様な彼らをまとめるのが、コロニアリズムへの批判である。彼らにとって、コロニアリズムは、歴史的なほかの支配/被支配の関係と全く異なるとする。というのも、グローバル化を生じさせたその規模が、圧倒的に広すぎるとするからだ。この結果、植民地支配政治的領域だけにとどまらなかった。これは経済だけではなく、現在の「文化」の誕生にもつながるとしているのである。

そして、それは植民地支配がほとんど消え去った今も、構造上はほとんど変化なしに続いているとする。これに加えて、「ヨーロッパ中心義」、「西洋中心義」は、彼らからは批判的に見られる。

また、彼らにとって重要視されるのが、ハイブリディティ、つまり異種混淆性である。融合性やクレオール化ともいわれるが、要するに違うものは違うし、純血思想などもってのほかなので、文化はやがて混ぜあっていき世界は進歩していくのだろう、というものの見方が、意識的/意識的問わず、エリートの心を奪ったとするのだ。

ポストコロニアル理論の中で、ハイブリディティへの立場は肯定的、否定的の2つの立場がある。否定論者は、そもそもハイブリディティを自発的ではなく、不可避的にさせられたものだとする。肯定論者は、ハイブリディティを現行の新帝国義への抵抗になるとするのだ。

彼らは、当然文化的多元義に傾倒している。また、支配と抵抗弁証法についてはマルクス義者に近しい存在である。こうした理論の実践者は、冒頭にも書いた通り、この分野は実践ありきだとみなしているのである。

主な研究者

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