七月革命とは、1830年7月にフランスで始まった革命である。パリ市民がブルボン王朝のシャルル10世を倒し、オルレアン家のルイ=フィリップを国王に即位させた。
革命以前
ナポレオンの没落後ブルボン王朝のルイ十八世が即位、フランスは再び王国となった(王政復古)。しかし、以前のような封建制度は復活せず、法の前の平等・所有権の不可侵・基本的人権を認めた憲章が公布された。さらに有権者が10万人たらずの制限選挙から選ばれた下院と、貴族院の二院制が定められ、国王が執行権・司法権を持った。
ルイ十八世の治世では、極右王党派(ユルトラ)の活動は抑えられ、ブルジョアと貴族の妥協による政治が行われた。
1824年のルイ十八世の死後、ユルトラ派の指導者であった王の弟アルトワ伯がシャルル十世として即位。以前からユルトラ派の支持で政権についていたビレール内閣が、王の手足となって反動的政策を推進し、1825年1月十億フラン法(革命期に財産を没収された貴族への賠償)が成立。
これに反発する形で自由主義運動が広がり、1827年の選挙では自由派が与党となった。その後、1829年に王党派のポリニャックが首相になると、国民の不満が高まった。
革命勃発
30年3月、ポリニャック内閣への不信任が議会で可決され、シャルル十世は5月に議会を解散した。6・7月に行われた選挙は自由主義ブルジョア勢の大勝利に終わった。これに対し王は七月勅令(1、議会解散2、出版の自由の禁止3、有権者を制限し大土地所有者に限る)を発布。
これに対しパリの学生・労働者・商人が立ち上がり、「栄光の三日間」(Les Trois Glorieuses)と呼ばれるデモが巻き起こった。民衆と政府軍の間で市街戦が起こり、シャルル十世は亡命。大ブルジョアの支持を得たオルレアン公ルイ・フィリップが即位し、七月王政が始まった。
ヨーロッパへの影響
関連項目
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