作者の死とは、フランスの文学評論家、哲学者のロラン・バルトが1967年に著したエッセイのタイトル。
作者を神のように偶像崇拝してその代弁者を気取っていた「旧」批評家を風刺し、読み方を決めるのは読者だと述べたもの。
概要
作者の意図を背後に置く「作品」(作られたもの)という考え方に対し、作者の意図の存在を前提とせずに文学を解釈するときは中立的に「テクスト」と呼ぶ。
例えばこういう笑い話がある。
「現代文の小説の問題を、その小説の作者が解いたら、酷い点数をとった」
「国語の授業で、この時の作者の気持ちを答えなさいという問題で、作者本人が『そんなこと考えてないぞ』と言った」
他にも、こんな光景をみたことはないだろうか。難解な作品のファンが、多くの根拠を集め作品を深く考察して発表した。しかし制作者はまるでそんなことを考えておらず、考察した人が笑われる。
こういう話の裏側には「作品において、作者はほとんどの文を意識的に書いており、作者が提示した解釈に従わなければならない」という一つの思想(イデオロギー)がある。現代日本ではこの考えを絶対と考える人が多くなっているが、これはけっして普遍の真理ではない。
近代的「作者」という概念が死んだとき、書物は読者の中で永遠に書き続けられるのである。
背景
ロラン・バルトは古典が当代の価値観に即してどう読めるかところどころエロスも交えて書いた『ラシーヌ論』を1963年に出した。ところがその後数年に渡り、作られた当時の価値観に即して読むことを伝統とするレーモン・ピカール教授らから激しい論争に巻き込まれる。『「新批評」あるいは新手の詐欺』という本を出されたり「さらし首になったバルト」という記事を書かれるなどした。
ものすごく大雑把にたとえると、『源氏物語』をギャル語に翻訳したら「日本文化を破壊する」「無常観やもののあはれが感じられない」「ロリコン」「あんた地獄行く」等と集中砲火を浴びたみたいな状態だったのである。
フランス本国ではバルトは『批評と真実』を出し、旧批評は実際には特定のイデオロギーに即した解釈をしているのにそれに無自覚だと論駁(『神話作用』などにも表れているが、バルトは自明でないものをさも従うのが当然のように扱うことを嫌っていた)。
その後、アメリカのある雑誌に寄稿したのが「作者の死」である。
なお、当時のフランスはいわゆるポストモダンの時代であり、西洋中心の一極主義に批判的な目が向けられていた。
特定の創作方針の強要というのも一極的であり、さすがにバルトはそこまで意図していないだろう。
誰がこまどり殺したの?
バルトが殺したのではなく、一部の前衛的な作者は当時すでに死んでいたのである。
「作者の死」の中ではいくらかの作家が取り上げられているが、マラルメ、ブランショ、プルーストやシュルレアリスムは神がかり的な創作を行っている点で共通している。特に「顔の無い作家」の異名を持つブランショはバルトも影響を受けていて、「作者の死」の「作者は自らの死に入り込み、著述を始める」という部分はブランショの『文学空間』でも詳しく論じられている。
ほか言及されているものとしては、ブレヒト演劇は社会変革を究極の目的としたものでたいへん思想がかっているが、問題提起に留め結論を劇中に出さずに観客に求める点でやはり受け手に作品世界を委ねる点が共通する。
旧批評の死
ではバルトは誰に何を言いたかったのだろうか。
ポストモダンらしく肝心なところが代名詞でボカされているため読み取りづらいのだが、「旧批評陣営は自分たちのルールに沿わない解釈を異端として退けるが偽善であり、解釈の価値を決めるのは読者だ」と読者にアピールしたかったんじゃないかな。たぶんね。
「作者の死」では、何ヶ所かで旧批評陣営が作者を神であるかのように扱っていると書いている。バルトも読者も多くはキリスト教徒なので、そのような偶像崇拝は重罪である。
特に「理性、科学、法律の三位一体」に注目したい。ここは「父なる神、神子イエス、聖霊の三位一体」のパロディである。
ところで近代フランスではキリスト教が捨てられ神の位置に理性が置かれそうになった時期があった。フランス革命である。旧体制の一部であった教会への不満は強く、狂信に打ち勝った理性の女神を崇める「理性の祭典」まで開催された。
つまり、このあたりの表現では「彼ら」こそ真の異端で私欲のために「さらし首になったバルト」などとギロチンを使っていると読み取れる。(ポスト)構造主義も理性中心主義に批判的であったから、この箇所では理性は信仰とポストモダンの共通の敵とも言えるものになる。
前述のようにバルトは本文中で当時の作家が自分を殺していたことは書いていた。
直接的に作家を批判しているところはあまりないと思うのだが、あるとしたらその一つは「彼の唯一の力は文章を混ぜ合わせて他の文章に対抗させることだ。もし彼が自分自身を表現したいというなら、彼が『翻訳』しようと考えているものは既存の辞書に過ぎないということを知るべきだろう。ボードレールは純粋に文学的なテーマを追求するよりはるかに良い辞書を作り上げたと語っている」という箇所であろう。
ここは「テクストというものは例外なく様々な元ネタからなる二次創作だと知れ」と読まれることがある。本当にそんな唐突な作者批判なのだろうか。ボードレールは別だ(ないしアホだ)と言いたいような書き方で。
実は「彼の唯一の力は・・・」の直前には『ブヴァールとペキュシェ』のように滑稽な者がいると書かれているのだが、『ブヴァールとペキュシェ』というのはインテリぶった写字生があれこれ研究するが何も手に付かずに終わるという話である。
むしろ「彼の唯一の力は・・・」については「(ピカール教授のような)批評家は作者を代弁するふりをして『偽作』するのをやめろ」という警句ではないだろうか。
また最後のほうで、直近の研究でギリシャ悲劇の見落とされていた読み方が一つ明らかになったことを取り上げ、そのあとで「テクストは多くの文化から生まれる複数の著作物からなり、対話、パロディ、論争が生まれるが、それらが一つに結ばれるのは作者ではなく読者なのである」「彼は、テクストの痕跡をまとめるだけの存在なのである」と書いている。
これも「テクストというものは例外なく様々な元ネタからなる二次創作だと知れ」と読まれるのだが。
ここでも「彼は、テクストの痕跡を・・・」のあとには「読者の保護のためといって新解釈を非難するのは軽蔑に値する。旧批評は読者に注意を払っていない」と書かれている。
後年の『S/Z』などを読むと、バルトがテクストを読む(解釈する)こと=テクストを頭の中に「書く」ことそのものだと考えていることも分かる。
やはり「テクストは多くの文化から・・・」も「テクストは原典そのものや解説書やその他論争を踏まえて読者の頭の中に描かれる」「批評家などは読者にその材料を与えるに過ぎない」と読んだ方が自然ではないだろうか。
バルトは1964年の『批評をめぐる試み』で「批評家とはひとりの作家である」と断言していたが、傲慢なのではなく、テクスト批評というものが読者のテクストの読み方を左右してしまうことに自覚的であったことが分かるだろう。
『申命記』4:2に「神の言葉に付け加えてはならない」とあるように、本当に作者を神聖視するなら聞いてもいない作者の意図を付け加えてはならないのだ。
作者は生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ
「作者の死」は当時の時流を踏まえて書かれたものであり、半世紀以上経ってから無理に従うものでは到底ないだろう。
バルトは文中で唐突に「作者という概念は現代社会の産物だ」と言い出すのだが、これも当時のフランス人にとってはそんなに突飛でもなかった。
実は「作者の死」より前に、ミシェル・フーコーが「人間の死」と言っていた。
フーコーが1966年に刊行した『言葉と物』では同じように(自律した)人間というのは近代になって現れた概念だと論じられており、「そしておそらくその終焉は間近いのだ・・・賭けてもいい、(現代と同じ)人間(という概念)は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろうと」という恐るべき予測をしたことで当時のフランスではパンのように売れたのだ。
フーコーは近代以前は社会的には人間個人に目が向けられていなかったと論じているので、近代的「作者」もフーコー史観に乗ればそれ以前の時代に存在しないことになる。
時期的に、ヌーヴォー・ロマンなどの前衛文学が文学シーンを劇的に塗り替えるだろうとバルトが予測するのも無理のないことであった。
しかし、今はそんな時代ではないだろう。
また、「作者の死」やロラン・バルトの思想を理解するにあたっては、日本での受容史も理解しておいたほうが良い。
日本でロラン・バルトなどフランス現代思想またはポストモダンなどと呼ばれる思想が知られるようになったのは、1980年代のニュー・アカデミズムブームによる影響が大きい。
ポストモダン思想はフランスではその前の思想への反省として生まれたもの(バルトも初期はサルトルに傾倒していた)だが、日本ではそこをスルーして大衆に広まった。ポストモダンに括られる思想家はレトリックに凝った読み取りづらいものを好んで書くこともあり、消費社会の成熟も相まって「人それぞれ」「正しい事なんてない、やりたいことをやればいい」と言った部分が都合よく受容されることとなった。
だいたいバルトが作者が死んでいるものと称賛していたのは、『失われた時を求めて』みたいな主人公の頭の中がツイッター廃人のように流れる(失礼)ものとか、『異邦人』みたいな平均人の感情移入を拒むものとかそういう前衛文学なのだが、そんなテクストばかりになったら現代の大衆は作者は死んだどころか作者のオ◯ニーとか言い出すんじゃないだろうか。
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