作者の気持ちとは、文字通り作者の気持ちである。また、煽り文句である。
概要
国語の現代文の問題の答えが、出題者の解釈、考えによって変わる様や、信用できないいい加減さを揶揄して言った言葉。また、文系の学問のいい加減さや実用的でない空論である様を揶揄して文系の人間を煽る際に使う言葉。「文系は作者の気持ちでも考えてろよ」
ただし、中学受験はともかく、作者の気持ちを考える問題は随筆文や詩からの出題である場合がほとんどであり、高校受験大学受験を考えれば出題頻度で言うと物語文や論説文が多いので実際に多い出題は「登場人物の気持ちを考えよ」か「筆者の論旨を答えよ」である。物語文の作者の気持ちは「印税いくらはいるかな」である。
現代文はいい加減な問題なのか
少なくとも、論説文の場合は、筆者はある意見を主張したいからその文章を書いたのであって、その筆者の主張は一つであり、それを間違えて受け取ってしまえばそれは「誤答」である。論説文は「筆者の主張を捕まえるのが基本である。例えば、
古文を学習する意義はなんであろうか。戦前は擬古文という形で、新聞などに使われることがあったので、学ぶ意義はわかりやすかったが、古文擬古文が身の回りから追放されて久しくなる。そんな現代で古文を学ぶ意義は何であろうか。一つは、古文書を読むことは現代でも必要であり、読めなくなれば他の分野の学問の発展にも支障をきたすからである。例えば、「この地方ではだいたい100年に一度大地震が起きるのでそろそろ危ないぞ」という予知は、古文書を読まなければすることができない。古文を読めることが他の分野の発展につながることがあるのだ。二つ目は、文化の伝承である。神社の縁起や祝詞は古文であるし、茶道や古武術の古文書も古文で書かれている。これらの継承が、古文が読めなければ断絶してしまうのだ。確かに古文を学ぶ意義は大幅に減ってしまったが、今でも古文を学ぶ意義はなくなっていないと言える。
ア,古文を学ぶ意義はなくなってきたのでこれからは英語を学ぶべきである。
ウ,大地震は100年に一度は起きるので、地震に備えることが必要だ。
エ,古文を学ぶ意義は、薄くはなったがまだまだ健在だ。
小論文に限って言えば、作者の言いたい主張は通常一つか二つであり、それを答えればいいわけであり、正真正銘の確実な答えは存在するわけである。作者がAと言えば、それに対してBと答えてしまうのは間違いなわけである。だから少なくとも論説文は論理的で、いい加減な分野ではないと言える。まあ、言葉はファジーでしばしば曖昧な存在なものであるから、それによって日常会話でも齟齬が生じるわけで、だから現代文で満点というのはあまりないわけだけど。また、専門用語が難しくて何言ってるかわからない、作者の文章が悪筆などで点が取れないこともある。だからこそ消去法、記述であれば部分点でいたみわけする、が生きる分野である。この問題で言えば、「ア、イはそもそも文中に出てきていない」「ウはただの例え話」・・・といった具合に消去法で答えを確定出来るだろう。
・・・しかし、物語文の場合は、確かに微妙なところがある。以前タモリ倶楽部という番組で、出題者と作者が対決したところ作者は正解できなかったという企画があったし、大学入試の出題者に作者から「こういうつもりで書いたわけじゃない」という電話が来たという笑い話や、作者が自分の文が使われた問題を解いたら酷い点だった、という話もある。実は、これは「作者の死」と言われてフランスの哲学者に真面目に考察されている。例えば、
(1)彼女は顔が真っ赤になった。朝、彼女は登校するため歩道を歩いていた。すると突然、同じく登校中の近所の小学生からいきなり、罵詈雑言を浴びせられたのだ。「おっ!あいつバカ女子高校の制服着ているぞー!」「ホントだ!バカ女だバカ女だー!」「あはははは!!」確かに、お世辞にも彼女の高校は賢い高校とは言えない。偏差値40代の私学だし、実際彼女は他校は全て落ちて、だから今、彼女はここにいる。しかしながら、普通に平和に暮らしている女子高生を、大衆の面前で、いきなり罵倒するという行為は許されるべきであろうか。彼女は、一般的に言えば『美少女』と言われる部類であろう。しかし、多数の通行人の目があるにも関わらず、彼女は美少女が通常発するべきではない下品な言葉を吐きながら、小学生たちから走って逃げ出した。「あああああ!!、ちくしょおー!!!!!」
問1.下線部(1)の時の、『彼女』の気持ちとして、最も適当な選択肢を選べ。
ィ.バカにされたことに対する、怒り、苛立ち。
エ.急に熱っぽくなってきたことで、早く帰りたい気持ち。
・・・問題文の範囲だけでは、アとイのどちらにも解釈可能だろう。このように、ちょっと消去法で迷う場合も結構あって、どちらも正解に見えるような場合もあるんじゃないだろうか。また、解説を読んでも納得いかないこともあるんじゃないだろうか。だからこそ、センター試験で受験がスピンスピンしてしまう人もいるわけだ。とはいえ、国語の本質は、物語文であっても「全て文章の中に答えの根拠がある」なので、文章中の人物の言動、気持ちを表す言葉から推測していくしかない。それに身もふたもないことを言ってしまえば選択式の場合大抵5個中3個はあり得ない選択肢なので、全問中半分しか確実に当てられなくても残りを消去法に持ち込めばどんなに運が悪くても7割は取れる
いずれにせよ、問題文の中に全て正解の根拠があるというのが現代文の建前なので、現代文をいい加減な分野と決めつけるのは尚早と言える。
おまけ
前述の通り作者の気持ちを考える問題は随筆文か詩、俳諧などからの出題がほとんどである。そこで作者の気持ちを考える問題を考えてみたよ。暇だったら作者の気持ちでも考えてみてね。
私は一万円札より千円札が好きである。もちろん、一万円か千円かどちらかやろうと言われて千円を選ぶ人はほとんどいないだろう。金額の話ではない。
なぜならまず第一に、貧乏な私には一万円札より千円札の方がなじみがあるからである。子供のころから今に至るまで千円札の方が私にはなじみがあり、一万円札とは疎遠なのだ。そんな私にとっては千円札は子供のころからのヒーローである。みなさんも子供の頃を思い出してほしい。見よ、この財布の中に千円札や五百円玉がある時の心強さ、万能感。もう一つ。千円札の謙虚さが好きである。もし少女が笑っていて、周りで一万円札が舞っているイラストがあったら少し嫌らしさを感じるであろう。これがもし千円札だったらどうだろう。ギャグでしかない。千円札には嫌らしさがないのだ。最後に、私は福沢諭吉より夏目漱石(当時)の方が好きだったのだ。無教養な私には、福沢諭吉の文章は古い文章すぎて魅力が理解できず、また彼が一万円札に描かれるほどの偉人には見えなかったのだ。その一方、夏目漱石は面白いと感じていて、好きだったのだ。小学生の時に読んだ「坊ちゃん」の面白さは今でも忘れない。福沢諭吉より夏目漱石の方が偉大ではないか!ホントにあなた一万円札の顔になるほどの偉人なの・・・?
などと思っていたら、ある日、経理の仕事をしている私の預かり金から、諭吉さんが3人逃亡してしまったのだ。足りないのだから当たり前だが、不思議なもので何度電卓をたたいても3万円合わないのだ。自腹を切って埋め合わせることも考えたが、それは認められないと言われ、上司に合うまで帰るなと言われてしまった。ああ、諭吉さんが怒って逃げ出したんだなぁ、と(1)私は苦笑いを浮かべながら、上司と11時までかかって諭吉を捜索したのだった。
問1 下線部(1)について、この時の作者の気持ちとして最も適切な選択肢を選べ。
ア.失敗を犯しているのに笑っている自分は社会人のクズだなと自嘲する気持ち。
イ.我ながらくだらないことを考えているなと自分で自分を笑っている気持ち。
ウ.どうすることもできず、途方に暮れ、笑うしかないという気持ち。
関連項目
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