宇宙開発事業団とは、宇宙開発を目的とした日本の特殊法人である。通称および英語名はNASDA(National Space Development Agency of Japan)。
2003年(平成15年)10月1日、航空宇宙技術研究所 (NAL) ・宇宙科学研究所 (ISAS) と統合し、独立行政法人宇宙航空研究開発機構 (JAXA) に改組された。
概要
歴史
1969年(昭和44年)10月1日、前身の宇宙開発推進本部を引き継ぐ形で設立。管轄官庁は科学技術庁(現 文部科学省)。
日本には宇宙開発事業団設立以前に東京大学 宇宙航空研究所(後の宇宙科学研究所/ISAS)がロケット・研究開発を進めていた。そこへ一大学の研究所が軍事に繋がるロケットを運用することへの危惧と、アメリカのように実利のある宇宙利用を行いたい日本政府(科学技術庁)は1964年に宇宙開発推進本部を設立。
最初こそは共同でロケット開発をしたりもしていたが、東大を監督する文部省と科学技術庁の縄張り争いやらアメリカが怖いと仲良くしたい科学畑官僚と日本独自の研究をしたい糸川博士研究職員との軋轢やらで紛糾、国会をまきこんだ論争へと発展した。
結果、自体を決着したのは時の科学技術庁長官、中曽根康弘(後に首相)の「宇宙航空研究所は衛星を上げて良し。但し、実用(というかメイン)はウチ、宇宙研は科学観測に限定。ロケットのサイズも大きいものは不可。」という采配であった。(1966年 衆議院科学技術振興対策特別委員会 宇宙開発審議会「人工衛星の打ち上げとその利用に関する長期計画」)
こうして文部省と科学技術省、ISASとNASDAという一つの国内に二つの宇宙開発機関の枠組みが出来る事となった。
1969年10月には種子島宇宙センターを事業団と同時に開設したものの、初めのうちは組織内にロケットや宇宙に関わったことのある人間がいなかった事もあり(初代理事長はD51を設計した鉄道関係の人)、宇宙航空研究所の固形ロケットの技術を取り入れよう(Q計画)としたりもしたが、日本のロケット開発に介入したいアメリカの横槍協力を惜しまないアメリカの技術供与を得て本格的な打ち上げロケット生産開発(新N計画)が始まる。これに合わせて1972年新N計画で打ち上げる衛星の管制拠点として筑波宇宙センターが開設。
そうして宇宙航空研究所に遅れること約5年半後の1975年9月9日14時30分、宇宙開発事業団初のロケットN-Ⅰは実験衛星「きく」を載せて青空広がる種子島から飛び立った。
N-Ⅰ以降もN-Ⅱ(1号機 1981年2月11日打上)をアメリカの技術供与で開発、次のH-Ⅰ(1号機 1986年8月13日打上)では2段目に日本が初めて独自でほぼ完成しかけていたのをアメリカが「ワイも噛ませんかい!」と技術指導と称して半ば無理やり絡んで開発した液体ロケット「LE-5」を積むまでに成長した。
衛星も気象衛星「ひまわり」のようにアメリカの衛星をはじめは購入していたが徐々に開発能力を身につけ能力面で他国の衛星に勝るとも劣らない機体を作れるようになった。(ただし、価格面では大量生産が出来ない分高額になってしまい、そこを貿易摩擦に怒れる資本主義国家アメリカに突かれて通信・放送衛星をはじめとした商用衛星の契約をもっていかれている)
ここまでのロケット開発に関してはアメリカの協力という名の監督・監視の元に機体が開発されてきたが、これらのロケットは軍事転用に繋がる技術を含み、しかもそれらの技術はアメリカがブラックボックスとしていた為、この技術に関する部品で問題や故障が発生しても日本の技術者は修理どころか分解することも許されず、日本が自由に宇宙開発を行えない要因になっていた。(ISASのロケットは純国産だが、運用を科学調査に制限されていた為、フルサービスの宇宙利用の為にはNASDAのロケット開発が必須であった。)
―――日本人が自分の手で、自分たちの自由に出来る宇宙へのキップを!
こうして完全純国産の打ち上げロケットが望まれ、開発技術者・メーカーの苦労の末に1994年2月4日、H-Ⅱ 開発・打上に成功。日本は完全に自由な宇宙開発の手段を手に入れることが出来た。
このH-Ⅱを元にさらに信頼性を高め国際競争にも勝負できる打ち上げ費用を目指したH-ⅡAを開発(1号機2001年8月29日打上)。
2003年10月1日、行政改革の波を受け宇宙開発の分野も事業のスリム化が目止められた結果、航空宇宙技術研究所および宇宙科学研究所と統合する事となり、独立行政法人宇宙航空研究開発機構 (JAXA) に改組される。
宇宙科学研究所(ISAS)との違い
宇宙開発について知らない人にとって全く分からないNASDAとISASの違い。
今現在では一緒の事業体となった(様にあんまり見えない気もするが)この二つにどのような差があったのか、片方にはあって片方にはないものを列記することで比べてみよう。
(ここでの「ある/ない」はあくまで「他方と相対的に比べるとと比較的その要素に乏しかった」という意味で、絶対的に無かった・乏しかった訳ではない事をご承知ください。)
NASDAにあってISASになかったもの
項目 | 解説 |
アメリカとのしがらみ強いつながり | NASDAのロケット開発がアメリカの協力で行われたのは前出の通り。そのほかISASとの役割分担の関係で有人宇宙開発はNASDAが取り仕切っていました。 ちなみにもちろんISASも科学観測の関係から特にジェット推進研究所(JPL)とのつながりは強いです。 というか、NASDAがあるのはアメリカからいい様に使われたり(ISSの件)圧力を受けてる点であって… |
お金 | 打ち上げ施設に併設してある展示博物館をみると貧富の差が一目瞭然です。 1999年の予算額でみると、NASDA 1919億3000万円、ISAS 302億6000万円、おまけのNALが156億6000万円。ISAS…(; ω ;) ちなみにNASAは2000年度予算で136億5700万ドル。当時の平均円相場105円で計算すると1兆4339億8500万円…。もうね…(T ωT) |
液体ロケット | ISASは液体ロケットを開発していません。なぜなら固体ロケットの方が断然安いから。ISAS…(TωT) |
静止衛星 | NASDAは市場利用価値の高い(通信・放送・気象観測に必須の場所)静止軌道衛星を24基打ち上げましたが(失敗含む)、ISASは1基も打ち上げていません。惑星上層の大気や磁場の観測を生きがい科学調査の主題にしている関係上、定位置での観測にあまり意味をなさないためだと思われます。 |
ISASにあってNASDAに無かったもの
項目 | 説明 |
地球外探査機 | NASDAの衛星は他の惑星はおろか月にも行っていません。静止軌道のある36,000㎞付近が最遠到達地です。 なぜなら、他の天体に行ってもまだ商売にならないから(科学観測でしか行く意味がまだない)。 |
制約 | ISASが開発できる衛星は科学観測と工学実験衛星のみ。ロケットも当初直径1.4mを越えるものはNGとされた(これについては後にM-Ⅴで枷が外れている)。 |
ロマン溢れすぎな野心的計画 | (多大に編集者の私見を含んでいますが)ISASの衛星やロケットは学術調査・研究を目的としています。その目的のためや、科学者が運用している事もあってか、先進的な事やいろんな無茶ともいえる事に挑戦していたり、何処かに遊び心が見え隠れするエピソードが多いです。 それに対しNASDAの衛星・ロケットは最終的な目標を実利を上げる所に定めていること、やや官僚色が強い組織であることなどが要因か、堅実・着実な運用傾向にあります。その様な為なのか、一般知名度は(お金を多く持っていた)NASDAの方が高いですが、ファンの多さ点では(魅力的なエピソードに溢れる)ISASの方に分がある様な気がします。 それを表すかのようにニコニコ大百科での記事作成もJAXA(08年11月)、ISAS(10年1月)、NASDA(10年4月)の順に作られています。衛星の記事もISAS系の衛星の記事が多いです。…NASDAも魅力的なエピソードがたくさんあるんですよ?ロケットエンジン開発に関わるあれこれや、ロケットと町工場の職人技の話、気象衛星「ひまわり」をはじめとするISASにも負けない衛星運用の話などなど―――。 |
関連動画
関連商品
宇宙開発事業団に関するニコニコ市場の商品を紹介してください。
関連コミュニティ 関連チャンネル
関連項目
- 1
- 0pt