- プロ野球選手一覧 > 平野光泰
平野光泰(ひらの みつやす)とは、元プロ野球選手である。故人。
概要
OB | |
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平野光泰 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
生年月日 | 1949年4月23日 |
没年月日 | 2023年9月9日 |
身長 体重 |
181cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト6位 |
引退 | 1985年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
明星高等学校へ進学。3年時にはエースとして春夏連続で甲子園大会に出場したが、ともに初戦敗退に終わっている。
卒業後、クラレ岡山に入社。外野手に転向し、1971年の都市対抗野球大会では5番打者として活躍した。
1971年ドラフト会議にて、ドラフト6位で近鉄バファローズに入団。同期には佐々木恭介・梨田昌崇・羽田耕一ら、近鉄の中心選手として活躍する選手の多いドラフトであった。
1974年、一軍に定着し70試合に出場したが、ほとんどが代走や守備固めであり、打撃面では打率.188と数字を残せなかった。
1975年には61試合に出場して4本塁打を放ったが、1976年は15試合の出場にとどまり、打撃成績も無安打に終わるなど、いつ首になってもおかしくない立場に追い込まれていた。
1977年、スランプに陥った阿部成宏に代わり、センターのレギュラーに定着。初めて規定打席に到達し、打率.262、8本塁打、46打点、10盗塁、10犠打を記録し、ブレイクを果たした。
1978年、主に1番打者として、打率.270、7本塁打、39打点、27盗塁を記録。
1979年、長打力がつき、打率.279、18本塁打、51打点、21盗塁を記録。前期優勝のかかった南海ホークス戦では、チームのピンチを救う捕殺を記録し、前期優勝に貢献。このプレーは『奇跡のバックホーム』として語り継がれている。その後、プレーオフを勝ち抜き出場した日本シリーズでは、本塁打も放った。シーズン後にはダイヤモンドグラブ賞を受賞している。また、オールスターゲームにも初出場している。
1980年、7月の阪急ブレーブス戦でサイクル安打を記録するなど打撃好調、オールスターゲームでは平松政次から本塁打を放ちMVPを受賞。パ・リーグプレーオフでは打率.750、2本塁打、5打点を記録しプレーオフMVPに選ばれるなど大活躍を見せ、パ・リーグ連覇に貢献。日本シリーズでも9安打7四球を記録するなど活躍を見せ、日本シリーズ優秀選手賞に選出。最終的には全試合に出場して、打率.284、23本塁打、68打点を記録し、2年連続でダイヤモンドグラブ賞にも選ばれるなど、充実のシーズンを送った。
以降も近鉄打線の中心選手として活躍し、1984年まで6年連続で二桁本塁打を記録している。
1985年、23試合の出場に終わり、シーズン終了後に自由契約となり、そのまま現役を引退。
引退後は解説業の傍ら飲食店を経営。その他、野球教室を開催するなど後進の指導にもあたっていた。
人物・エピソード
気迫あふれるプレーでいてまえ打線を引っ張ったガッツマン。走攻守三拍子を高いレベルで備えていた。
高校時代に江夏豊からランニング本塁打を記録しているが、これは江夏が高校時代に許した唯一の本塁打であった。
通算成績
打撃成績
通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1183 | 4418 | 4000 | 551 | 1055 | 107 | 423 | 106 | 50 | 24 | 326 | 17 | 482 | 58 | .264 | .320 |
獲得タイトル・表彰・記録
- ダイヤモンドグラブ賞:2回(1979年、1980年)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回(1980年)
- オールスターゲームMVP:1回(1980年 第2戦)
- パ・リーグプレーオフMVP:1回(1980年)
- サイクルヒット:1980年7月17日、対阪急ブレーブス戦 ※史上32人目
関連項目
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