「張繍」(チョウシュウ ? ~ 207)とは、驃騎将軍張済の甥で、張済が戦死した後にその軍を率いて曹操と対立し、時流を読む事に定評のある隠れた三国時代最強軍師・賈詡(賈ク)の助言を受け入れて曹操を窮地に追い込むも、後に帰順して官渡の戦いで活躍した騎将。
正史では
涼州武威の人で、馬術や武勇に優れていた事から、劉雋に取り立てられて県吏として仕えた。
韓遂らの反乱の際に、反乱に加担した麹勝により恩人の劉雋が殺されると、張繍は軍を率いて麹勝と戦い、主君の仇を討って韓遂らも撃退した為、今度は董卓に取り立てられ、一族の長である叔父・張済に従った。
董卓が王允に謀殺された後は、張済と共に劉表と戦ったが、戦いの最中に張済が流れ矢に当たって戦死した為、張繍は軍を引き継いで宛に駐屯し、叔父の代には敵であった劉表と結んで曹操に対抗した。
幾度かの交戦の後に、曹操に帰順する事にした張繍だったが、自軍随一の勇将・胡車児を気に入った曹操が黄金を与えた事で、胡車児を引き込んで自分を暗殺するのではと疑った事から、時代の波乗りに定評のある賈詡(賈ク)の進言を聞き入れて曹操に夜襲を仕掛けて、曹操の長子・曹昂や曹一族の曹安民や護衛の典韋を討ち取り、曹操にも一度は死を覚悟させる程の大損害を与えた。
その後も何度か曹操と争い、同じく曹操と対立していた袁紹から味方になるように誘われたが、時代の波乗りに定評のある実力派軍師・賈詡(賈ク)の進言により再度曹操に帰順する道を選び、息子を殺され、自身も一度は死をも覚悟する程に追い込まれた曹操だったが、袁紹との戦いに集中する為に背後の張繍が味方になった事を恵みの雨と喜び、手をとってその帰順を迎えて張繍の娘を子の曹均の妻に迎えて外戚に加える程に厚遇し、張繍も厚遇に応えて官渡の戦いで奮戦して破姜将軍に昇進し、袁譚を破った功績から他の諸侯が千戸に満たない者が多い中で、二千戸を領有するまでになった。
その後、柳城の鳥丸征伐中に陣中にて病死したが、曹操の息子曹丕に対して目通りした際に
君は私の兄(曹昂)を殺したのに、どんな顔して私に何度も頼み事に来ているのか
と定番のドS発言を受けた事から、不安を感じて自殺したとも言われている。
三国志演義では
宛の群雄として登場し、正史同様曹操に降伏するが、曹操が叔父・張済の未亡人鄒氏の虜となっている間に、軍師・賈詡(賈ク)の進言をうけて胡車児に典韋の武器を奪わせてから曹操を強襲し、曹昂・曹安民そして典韋を戦死させ、曹操に
俺はお前が命を張って守ってくれただけの男になって見せる
と誓わせるイベントを発生させた。
その後、正史通り賈詡(賈ク)の助言と、袁紹からの使者を賈詡(賈ク)が勝手に追い出した事から曹操に正式に帰順した。
※その他「張繍」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
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補足
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | 76 | 50 | - | 90 | - | - | 81 | 74 |
三國志II | - | 75 | 50 | - | 75 | - | - | - | - |
三國志III | - | 74 | 53 | 49 | 67 | 68 | 28 | - | - |
三國志IV | 68 | 76 | 58 | 49 | 70 | - | - | - | - |
三國志V | - | 75 | 69 | 58 | 79 | - | - | - | - |
三國志VI | 71 | 72 | 69 | 63 | 75 | - | - | - | - |
三國志VII | - | 72 | 69 | 35 | 55 | - | - | - | - |
三國志VIII | - | 76 | 57 | 38 | 69 | - | - | - | - |
三國志IX | 82 | 72 | 62 | 49 | - | - | - | - | - |
三國志X | 84 | 72 | 62 | 41 | 60 | - | - | - | - |
三國志11 | 80 | 73 | 60 | 45 | 59 | - | - | - | - |
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関連項目
- 騎将張繍の野望
- 張済
- 鄒氏
- 董卓
- 李傕(李カク)
- 郭汜(郭シ)
- 賈詡(賈ク)
- 胡車児
- 曹操
- 曹昂
- 曹安民
- 典韋
- 曹丕
- 韓遂
- 三国志
- 三國志
- 三国志の登場人物の一覧
- ニコニコ歴史戦略ゲー
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- 三国志大戦
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