朝倉氏景(あさくら・うじかげ)は少なくとも2人名乗っている。
両方とも本項で記述する。
名前が『A⇒B・・・・A⇒B』となっている当主は朝倉氏景⇒朝倉貞景以外に、松浦隆信⇒松浦鎮信、河野通直⇒河野通宣、岩城親隆⇒岩城常隆の3ケースがある。
3代当主 朝倉氏景
1355年に起きた京都の合戦において、貞宗の名刀で奮戦し、将軍・足利尊氏から偏諱を賜り、氏景と名乗ったという。
8代当主 朝倉氏景
この時はまだ元同僚の甲斐氏・二宮氏の攻撃もあり、完全に越前を平定していたわけでもなかった。
また、旧主の斯波家の越前守護職の返還の訴訟が起きたりするほど、この時はまだ室町幕府の権威はまだ残っていた。
その後、旧主に対抗するため、かつて敵対関係であった斯波義廉の子・斯波義俊を将軍家一門の鞍谷公方を継がせて名目的な越前守護として傀儡とした。
この奇策により旧主・斯波家は完全に越前の領土を失い、将軍家も渋々これを認めることになった。
また、朝倉家の越前における領国支配の大義名分を完全に不動のものにすることに成功したのである。
しかし、父の死後わずか5年後に死去した。越前を朝倉家のものとした直後の出来事であった。
関連項目
上記の4つはすべて朝倉当主の複数名が名乗った名前である。本項のも含めると5つ。
- 戦国時代の人物の一覧
- 足利義尚
- 足利義政
- 斯波義廉
- 斯波義良(斯波義寛)
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