松姫とは、戦国~江戸時代で同名の女性が複数存在していた名前である。
曖昧さ回避
松姫(踊り手) - 踊り手、生放送主である。該当記事で記述。
松姫、後に信松尼(1561-1616)は武田信玄と側室の間に生まれた姫。近隣には美貌の姫として知られていたと伝わる。
概要
織田信忠との遠距離恋愛
7歳で当時武田家と同盟関係だった織田家の跡継ぎである織田信忠と婚約する。
この二人の関係は武田と織田の同盟の象徴としての政略結婚だったのだが、実際の二人の間では文や物のやりとりが行われており形だけではなく心を通わせていたことがわかる。
織田家との決別
しかし、戦国の世の倣いとして、武田家と織田家は同盟関係から敵対関係になり、松姫と信忠の婚約は解消されてしまう。
やがて父信玄が死に、兄勝頼が武田家を継いだ。そして勝頼は家中をまとめきることができず、武田家は織田家により滅亡するのである。武田家を滅ぼした織田の遠征軍の指揮官が織田信忠であったことは歴史の皮肉である。
武田滅亡。そして、
武田家滅亡後は北条家を頼り、武蔵国(現在の八王子)に落ち着く。
その後に信忠が松姫が落ち延びていたことを知ると二人は連絡を取り合い、松姫は長年心を通い合わせてきた恋人、あるいは御家を滅ぼした張本人との面会が実現することになった。
だが、またしても二人が出会うことはかなわなかった。松姫が信忠と対面する前に明智光秀により本能寺の変が起こり、信忠は信長ともども京都でその生涯を閉じることになってしまう。なお、信忠の正室の座は空白のままであった。
その後の松姫
信忠と会うことなく永遠の別れとなってしまった松姫は再び武蔵に戻り、そこで出家した。以降は信松尼と名乗り、武田滅亡の際に一緒に落ち延びてきた幼少の姪姫たちを育て、生涯独身を通したといわれている。「信」の字に込められた意味を想像すると面白いかもしれない。
なお、北条滅亡、そして徳川家が江戸に入ってきてもその地にとどまり江戸時代まで生きた。徳川家は武田家遺臣を多く取り込んだため、彼らからの信頼も篤かったとも伝わっている。松姫が生涯を過ごした寺は現在でも信松院として変わらず存在している。
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関連項目
外部リンク
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