遠藤航単語

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遠藤航(えんどう わたる、1993年2月9日 - )とは、神奈川県横浜市戸塚区出身のプロサッカー選手である。
イングランドプレミアリーグリヴァプールFC所属。サッカー日本代表

178cm75kg。ポジションはDFとMFで複数の守備的なポジションをこなすユーティリティプレイヤー。利き足は右足。

概要

湘南ベルマーレの下部組織で育ち、高校3年生のときにJリーグデビューを果たす。浦和レッズ時代の2017年にはAFCチャンピオンズリーグ優勝2018年から海外プレーするようになり、2019-20シーズンからドイツVfBシュトゥットガルトに移籍。2021-22シーズンからはキャプテンを任されるなど、チームにとって代えの効かない中心選手となり、チームを残留の危機から救う活躍を見せる。

2023-24シーズンからはプレミアリーグの強リヴァプールFCに移籍。

日本代表では、U-19代表、U-23代表ではキャプテンを務め、2015年8月フル代表デビュー森保一監督日本代表監督に就任して以降は不動のボランチとして活躍している。FIFAワールドカップには、2018年ロシア大会のメンバーに選出されたが出場機会は得られなかったが、2022年カタール大会ではとして出場し、日本ベスト16進出に貢献。第二次保政権では日本代表キャプテンに選ばれる。

オリンピックには2014年リオデジャネイロオリンピック2021年東京オリンピックオーバーエイ)に二度出場。

ドイツブンデスリーガで2シーズン連続でデュエル(相手との1対1の守備)の勝利数が1位記録。体格の優る相手に身体をぶつけられても動じないボディバランスと、鋭い寄せでボールを奪い続ける姿から「デュエル王」と呼ばれるようになる。守備的MFとしてはワールドクラスの実の持ちとも言わている。

経歴

生い立ち

横浜市戸塚区で3人兄弟長男として生まれる。元々父親サッカーをやっていたもあり幼稚園の頃から公園と一緒にサッカーボールを蹴っていた。また、地元のJリーグチームである横浜マリノスファンだったこともあり、よく試合の観戦に訪れていた。

小学1年生のときに地元の南戸塚SCに入り、本格的にサッカーを始めることになる。全大会をすような強ではなく、サッカーを楽しむためのクラブであったが、父親コーチとしてチームに参加していたため、実質父親からサッカーを学んでいた。この頃、FWからGKまで全部のポジションを経験している。小学3年生のときにはクーバーコーチング・サッカースクールというサッカー塾にも入り、様々な技術を習得している。とはいえ、幼少のから特別な才を見せていたわけではなく、な選手でとても将来プロになれそうな選手ではなかった。小学校6年生の時、横浜F・マリノスジュニアユースの入団テストを受けるが、落選している。ちなみにこのときの入団テストは後に代表でチームメイトとなる伊東純也も受けていたが、こちらも落選している。

中学の頃は、立校である地元の南戸塚中学校サッカーを続けていた。当時のポジショントップ下だったが、中学2年生のときにDFに転向。このコンバートが今後のサッカー人生を左右するターニングポイントとなった。部員には初心者が多く、とても恵まれ環境ではなかったが、愚痴をこぼさず人一倍の努を重ねたことで頭を現すようになり、3年生になると神奈川県選抜に選出。また、ごろに何度か湘南ベルマーレユースの練習に参加したとき、当時ユースチーム監督だった曺裁のにとまりオファーを受ける。

湘南ベルマーレ

高校進学と同時に湘南ベルマーレユースに入団。ここで劇的な飛躍を遂げることになる。試合には1年生のときから出場しており、2年生のときに、神奈川県少年選抜のキャプテンとして、国体優勝を経験。この国体での活躍が評価され、アンダー世代の日本代表にも選ばれるようになる。

2010年に2種登録選手として登録され、9月18日J1第23節川崎フロンターレ戦で高校3年生にしてJリーグデビューをスタメンで飾っている。しかし、この試合では6失点を許しての大敗となり、DFとしてはほろ苦い経験となった。12月4日の第34節アルビレックス新潟戦において初ゴールを決めている。

高校卒業後の2011年トップチームに昇格し湘南プロ契約を結ぶ。神奈川大学人間学部に入学しているが、中退している。前年度にチームは降格していたためJ2での戦いとなったが、開幕戦からCBとしてスタメンで起用されると、そのままに定着。実質プロ1年18歳にして34試合に出場とU-20日本代表の活動でチームを離れていた期間以外はシーズンフル稼働することに。しかし、最後まで調子が上がらなかったチームは14位と低迷し昇格争いに加われないままシーズンを終える。

2012年からはユース時代の恩師である曺裁が監督に就任し、19歳にしてチームキャプテンを任される。背番号も「3」に変更され、3バックの中央でディフェンリーダーの役割を任され、PKのキッカーも任されるなど曺監督からの大きな信頼を得る。本業である守備のみならず、最終ラインからの縦パスで攻撃のスタート地点としての役割も担い、さらにはDFながら7得点をあげるなど攻守に活躍しJ1昇格に貢献。

2013年1月高校同級生だった一般人女性結婚。しかし、2月離れによって長期離脱し、J1でのデビューは大幅に遅れることになる。8月になって復帰した後、チームは一時的に巻き返すが、11月になって再び怪によってチームを離脱。湘南は1年でJ2に降格することになる。

前年度の反省から改造を図って臨んだ2014年は、その効果もあってシーズンを通して大きな怪もなくフル稼働。チームJ2リーグ開幕から14連勝と破の勢いを見せ、連勝が途切れた後も21試合負けなしという快進撃を続ける。キャプテンの永木亮太と共にチームリーダー的な選手となった中で38試合に出場と1年間をタフに戦い抜き、勝ち点101というぶっちぎりでのJ1昇格とJ2リーグ優勝に貢献する。オフには浦和レッズからのオファーを受けるが、湘南に残留することを決意する。残留の背景には、永木とのファミレスでの6時間に及ぶ話し合いがあったという。

2年ぶりにJ1ピッチに立つこととなった2015年も、最終ラインから攻守両面でチームを引っる。曺監督の作りあげた「湘南スタイル」(ミスを割り切りアグレッシブトライする攻守一体の堅守速攻)はチーム全体に浸透し、前年のJ2で見せた戦いぶりをそのまま継続させることでJ1残留という標を大きく上回る8位という成績を残す。湘南で不動のCBという地位を築き、J1湘南を上位に進出させるという標も達成した遠藤の気持ちは新しい挑戦へと傾いていた。

浦和レッズ

2015年12月23日浦和レッズへの全移籍を発表。5チームから獲得オファーが届いていたが、浦和からは前年もオファーを受けていたこともあり、2年越しでの移籍実現となった。背番号は「6」。2016年シーズン序盤からミハイロ・ペトロヴィッチ監督の戦術に適応し、3バックの中央に定着。10月5日には、YBCルヴァンカップ決勝のガンバ大阪戦にフル出場し、PK戦では5人キッカーとして成功し、プロ入り初タイトルを獲得。J1リーグ年間王者には後一歩のところで届かなかったものの、この年年間勝ち点1位だったチームに貢献した。

2017年は、4月1日J1第5節ヴィッセル神戸戦で移籍後初得点記録。この年のJリーグではチームは低迷。7月にペトロヴィッチ監督が解任となり孝史監督に交代となると4バックが採用され、ボランチや右SBとして出場する機会が増える。11月19日11月25日AFCチャンピオンズリーグACL)決勝では、2試合とも右SBとしてフル出場し、アルヒラルの猛攻に耐え抜き、浦和の10年ぶり2度となるアジア制覇に貢献。12月には、UAEで開催されたFIFAクラブワールドカップ2017にも出場している。

2018年チームが苦戦する中で2得点記録するなど奮闘するが、ワールドカップ後の7月ベルギーへ移籍するため退団が決定。7月22日セレッソ大阪戦が日本でのラストマッチとなる。

シント=トロイデン

2018年7月21日ベルギー ジュピラー・プロ・リーグシント=トロイデンVV全移籍。背番号は「33」。チームには、同じ日本人冨安健洋鎌田大地らが所属していた。8月5日の第2節KRCヘンクとのダービーマッチで初出場を果たすと、その試合で初得点を決め、上々の海外デビューとなる。浦和や代表では便利屋として起用されることが多かったが、STVVでは自身が希望するボランチのポジションでほぼ固定され、レギュラーとして活躍。2019年1月アジアカップに出場した際に左太ももを負傷した公式戦出場試合数は19試合にとどまったが、チーム過去最高成績となる7位フィニッシュに貢献。

シュトゥットガルト

2019年8月13日ドイツツヴァイテリーガ(2部)のVfBシュトゥットガルトへの期限付き移籍が発表される。背番号湘南時代と同じ「3」。加入当初はチームからの評価は低く、加入後9試合連続で出場機会を与えられず、11月3日第12節のSGディナモ・ドレスデン戦でようやく初出場を果たす。11月24日の第14節カールスルーエ戦で初スタメンを飾ると、この試合でMOM級の活躍を見せたことでボランチとしてレギュラーに定着するようになる。遠藤が中盤で起用されるようになってから前半戦燻っていたチームの成績も浮上する。この活躍が認められ、2020年4月28日シーズン終了を待たずに全移籍への移行が発表される。5月28日の第28節には、昇格を争うハンブルガーSVとの直接対決で移籍後初ゴールを決め、チーム2位に浮上させる。このままチーム2位シーズンを終え、1シーズンでの1部復帰に貢献する。この活躍が認められ、キッカー誌が選出するツヴァイテリーガ年間ベストイレブンチームから一選出される。

ブンデスリーガでの戦いとなった2020-2021シーズンも開幕から不動のボランチとしてチーム心臓としての重要な役割を果たす。開幕から5試合でのデュエルでの勝利回数は101回を記録し、2位以下に大きく差を付けてのリーグトップ数字叩き出し、中心選手として欠かせない存在となる。2021年2月27日ブンデスリーガ第23節シャルケ04戦では、ブンデスリーガゴールを含む2ゴール2アシストの大活躍を見せチームの大勝に貢献。この試合では11.2kmという走行距離記録しており、同じ節で2ゴールを決めたロベルト・レヴァンドフスキを抑えてキッカー誌が選出する第23節のMVPに選出される。累積警告で出場停止となった最終節以外の全試合にスタメンで出場し、昇格組ながら9位と健闘したチームの中心として活躍。年間でのデュエル勝率リーグ1位となり、大きな飛躍の1年となった。

2021-2022シーズンからはキャプテンに任命される。開幕戦のグロイター・ヒュルト戦では東京オリンピックから合流4日で出場し、前半36分にチームシーズン一号となるゴールを決めている。代表との過密日程のも心配される中、一列前のインサイドハーフで起用されたことでパス出しでの貢献が増え、低迷するチームにあって欠かせない存在であり続ける。2021年の代表戦も含めた公式戦でのスタメン出場数は56試合となった。2022年2月25日第24節ホッフェンハイム戦、第25節ボルシア・メンヘングラッドバッハ戦ではリーグ戦2試合連続ゴール記録。厳しい残留争いに巻き込まれたチームは残留が決まらないまま最終節を迎えることになる。5月13日の最終節ケルン戦では、1-1のまま試合は終盤に差し掛かり、このままでは入れ替え戦を戦わなければならない状況となるが、試合終了間際のCKで伊藤洋輝がフリックしたボールダイビングヘッドゴールに押し込み、起死回生の決勝ゴールを決める。結果、順位は15位に浮上し、大逆転での残留を決めるというクラブレジェンドとして扱われるレベル救世主となる。ちなみにシーズンにおけるチームの最初と最後のゴール記録することにもなった。また、デュエルでの勝率は2シーズン連続でリーグ1位記録している。

2022-23シーズンでは、2022年8月13日の第2節ヘルタ・ブレーメン戦で快なミドルシュート叩き込み、シーズンゴール記録する。個人としてはインサイドハーフ戦場デュエル勝利数を記録し、攻撃面でも奮闘していたがチームはまたもや残留の危機に直面。二度監督が交代するほど迷走するチームにあって不動のレギュラーとしてプレー。残留のかかった正念場となった第33節マインツ戦では1ゴール1アシストの活躍で勝利に貢献する。その後、チームは入れ替え戦まで回るが、ハンブルガーSV相手に勝利し、前年同様に辛うじて残留を果たす。デュエル王3連覇は逃したが、5ゴール5アシストと攻撃面では工場を見せた。

リヴァプール

2023年8月18日イングランドプレミアリーグリヴァプールFCに移籍することが発表される。契約期間は4年、背番号シュトゥットガルト時代と同じく「3」となる。移籍1600万ポンド(約30億円)と報じられている。
加入決定からわずか1日後の8月19日プレミアリーグ第2節ボーンマス戦でベンチ入りすると、退場者が出て10人となった後半18分という難しい時間帯に投入され、念願のプレミアリーグデビューを果たす。しかし、チーム戦術にフィットできずにいたことで満足な出場機会を得られず、アンカーの控えという立場になっていた。10月26日UEFAヨーロッパリーグ グループステージ第3節トゥールーFC戦で移籍後初ゴール記録する。その後もカップ戦が戦場という立場が続き、チームにもフィットできず苦戦が続いていた。そんな中、12月3日の第14節フラムFC戦で投入から4分後にミドルシュートを決め、プレミアリーグゴール記録。しかもチームを敗戦から救う値千の同点ゴールとなった。その後、出場機会が増え、12月16日に迎えた第18節アーセナルとの首位攻防戦では高いスタッツを残し、これまで酷評してきた英国メディアから高評価を得る。12月公式戦ではチーム公式戦7試合連続でフル出場しており、リヴァプールリーグ首位での折り返しに貢献。クラブ最優秀選手にも選出される。アジアカップのために1かほどチームを離れた後もスタメンで出場し続けて評価を高めると、2024年2月25日カラバカップ決勝でも120分間をフル出場し、チェルシー完封海外に移籍してから初のタイトルを獲得する。3月10日プレミアリーグ第28節マンチェスター・シティとの首位攻防戦でも高いパフォーマンスを見せ、ケヴィン・デ・ブライネ仕事をさせなかったうえに交代に追い込む働きを見せ、大一番でのサポーターが選ぶMOMに選出され、さらにプレミアリーグ公式による週間ベストイレブンにも選出される。

日本代表

湘南ユースに所属していた時代から各年代のアンダー代表に選出されており、2010年には飛び級U-19日本代表に選出され、10月に開催されたAFC U-19選手権2010に出場。チーム最年少ながらCBとしてレギュラーを掴んでいたが、準々決勝の韓国戦では守備崩壊に起因してしまい、U-20W杯出場権を逃す。2012年にもAFC U-19選手権2019に出場。今度はキャプテンを任されるが、準々決勝でイラクに敗れ、またもやU-20W杯出場はならなかった。

2014年には、リオデジャネイロ五輪出場を標とするU-21日本代表メンバーに選出され、9月韓国の仁で開催された第17回アジア競技大会にキャプテンとして出場。ディフェンリーダーとしてチームをまとめあげたが、準々決勝で韓国に敗れている。以降も手倉監督率いる五輪代表のキャプテンを務める。

2015年8月に開催されたEAFF東アジアカップに出場する日本代表に初めて選出される。8月2日北朝鮮戦でフル代表デビューを飾り、チーム事情もあって慣れない右SBでの起用となったが3試合にフル出場。その後もレギュラー獲得とはならないまでも、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督から守備のユーティリティプレイヤーとして評価され、五輪代表のスケジュールの合間に代表に呼ばれていた。

2016年1月カタールで開催されたAFC U-23アジア選手権2016に出場。ボランチとして、グループリーグ第3戦を除く5試合にフル出場。決勝で韓国を破り、優勝とともにリオデジャネイロ五輪出場権獲得に貢献。8月に開催されたリオデジャネイロオリンピックにもU-23代表のキャプテンとして選出され、3試合全てにフル出場。初戦のナイジェリア戦で5失点して敗れた後、チームの守備を立て直すが、グループリーグ敗退となる。

2018年6月ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップ日本代表メンバー23名の中に選ばれるが、出場機会はく、ベンチでチームを見守ることとなった。

ロシアW杯後の日本代表では、代表を引退した長谷部誠に代わるボランチのレギュラーとして一歩リードしている。2019年1月に開催されたAFCアジアカップ2019では、負傷のため初戦を欠場したものの、グループリーグ第2戦のオマーン戦からスタメンで出場。柴崎岳パートナーとして、守備の役割に重を置いてプレーしていた。しかし、準決勝のイラン戦で左太ももを痛めて後半15分に交代となり、決勝は試合に出場できず、ベンチからチームの敗戦を見届けた。2019年10月10日カタールW杯アジア2次予選のモンゴル戦で代表初ゴールを決める。

2020年10月におこなわれたオランダ遠征では、ボランチとしてコートジボワール戦に出場。吉田麻也冨安健洋と共に中央で堅い守備を披露し、完封勝利に貢献する。11月12日パナマ戦では後半開始から投入され、前半は停滞していた日本リズム善させる大車輪の働きを見せ、決勝ゴールのPKを呼び込む縦パスを入れるなど勝利の立役者となる。2021年3月25日韓国戦でも、守田英正とのボランチコンビで攻守に渡って中盤を支配し、後半38分にはセットプレーから代表2得点となるヘディンシュートによるゴールを決め、3-0の快勝に貢献。この試合のMOMに推すも多く寄せられた。

2021年5月20日東京オリンピックに出場するU-24日本代表オーバーエイとして選出され、一前回リオデジャネイロ大会に続いての2大会連続での出場となる。持ち前のボール奪取を駆使し、田中碧とのボランチコンビは日本心臓として攻守両面で機し、ベスト4進出の立役者となる。しかし、中二日で5試合という過密日程の中でフル出場を続けたため、疲労困憊の状態で出場した3位決定戦のメキシコ戦では自身のミスもあって3失点に絡んでしまう。

2021年9月からの2022 FIFAワールドカップアジア最終予選でもチームの中心となり、フォーメーションが4-3-3に変更になってからはアンカーとしてプレー吉田麻也が負傷で欠場した中国サウジアラビアとのホーム2連戦では代わりにキャプテンを務めた。最終予選では、消化試合となったベトナム戦以外の9試合にスタメンとして出場し、チーム軸としての立ち位置を不動のものとした。

2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップでは、直前のブンデスリーガの試合で震盪を起こし出場が危ぶまれたが、グループリーグ第1戦のドイツ戦にはフル出場し、ドーハの歓喜と称される歴史勝利に貢献。第2戦のコスタリカ戦にもフル出場するが、この試合で右膝を負傷。一時は欠場濃厚と見られたが、驚異的な回復を見せて第3戦のスペイン戦では途中出場してクローザー役をこなし、歴史勝利逃げ切りに一躍買う。ラウンド16のクロアチア戦でスタメンに復帰し、120分間を戦い抜き、試合中「デュエル王」にふさわしいスタッツ記録するが、チームPK戦で敗れる。

2023年6月より日本代表キャプテンに任命される。2024年1月にはキャプテンとして初のビッグタイトルがかかったカタール開催のAFCアジアカップ2023ではフィールドプレイヤーとしては一全試合にフル出場。第2戦のイラク戦では2点ビハインドの場面で一矢を報いるゴールを決める。チームは守備の不安定さを露呈しながらも準々決勝まで進出するが、イラク戦では後半に守勢に回って劣勢が続き、試合終了間際にPKを与えて敗戦。優勝補の大本命と言われながらも不本意な結末を迎える。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2010 湘南ベルマーレ J1リーグ 6 1
2011 湘南ベルマーレ J2リーグ 34 1
2012 湘南ベルマーレ J2リーグ 32 7
2013 湘南ベルマーレ J1リーグ 17 3
2014 湘南ベルマーレ J2リーグ 38 7
2015 湘南ベルマーレ J1リーグ 31 4
2016 浦和レッズ J1リーグ 27 0
2017 浦和レッズ J1リーグ 30 3
2018 浦和レッズ J1リーグ 16 2
2018-19 シント=トロイデンVV ジュピラー・プロ・リーグ 17 2
2019-20 シント=トロイデンVV ジュピラー・プロ・リーグ 3 0
シュトゥットガルト(loan) ツヴァイテリー 21 1
2020-21 シュトゥットガルト ブンデスリーガ 33 3
2021-22 シュトゥットガルト ブンデスリーガ 33 4
2022-23 シュトゥットガルト ブンデスリーガ 33 5
2023-24 シュトゥットガルト ブンデスリーガ 0 0
リヴァプール プレミアリーグ

プレースタイル

ボランチ、センターバック、右サイドバックと様々なポジションをこなすことができる守備のユーティリティプレイヤーであるが、本人はボランチでの出場を希望しており、海外に移籍してからはボランチでの出場でほぼ固定されている。JAPANでは「チーム心臓」と呼ばれるほど重要な代えの利かない存在と言われている。

上背は高くないが、ヘディングが強く、フィジカルも強いためデュエルの強さが持ち味となっている。ボランチとしては、相手との間合いを詰めてボールを奪取するプレーと奪ったボールを確実に攻撃に繋ぐシンプルプレーが特徴。長い距離の縦パスも得意としており、ビルドアップでも貢献できる。

弱点は、際立ってここが凄いという武器がないことで、そのため日本国内でプレーしていた頃は評価があまり高くなかった。しかし、シュトゥットガルト移籍後は、前述したデュエルの強さに磨きがかかり、よりしくボールを奪えるようになっている。しばしばカゼミーロやエンゴロ・カンテのような選手と言われるようになり、以前言われていた器用貧乏からは全に脱却したと言える。

体格の優れた選手が多いブンデスリーガでもトップクラスデュエルの強さを示しており、いつしか「デュエル」「デュエルマスター」という異名が付くようになる。

一方、ボールを保持したときのプレッシング耐性には課題があり、ボールロストやパスミス立つようになる。また、ビルドアップが低いわけではないが、リヴァプールのようなトップチームレベルではチームとみなされ狙われてしまう。

プレミアリーグ公式サイトは「エンドウの最大の働きはルーボールを拾い、効率的にポゼッションをやり直すところにある。さらに必要なタイミング動的にプレーができる」と評している。

人物・エピソード

湘南ベルマーレ時代に19歳でチームキャプテンに就任するが、「嬉しかった」と感想を述べ、年上の選手にも怯むことなくリーダーシップを発揮し、ベテランの選手と口喧嘩したこともあった。

2013年1月30日に19歳の若さ結婚している。相手は高校時代の同級生で、大学進学後にアプローチし、交際することとなった。結婚後は、男の子3人、女の子1人の4人の子どもを授かっている。

2021-2022シーズンからシュトゥットガルトキャプテンに就任した際、監督から打診されたのは東京オリンピック初戦の南アフリカ戦直後の電話だった。

浦和に所属していた頃、当時23歳ながら柏木陽介から「おじいちゃん」と呼ばれ、ハリルホジッチからは「おまえは40歳みたいだな」と言われるほど、冷静沈着で落ち着いたプレイヤーである。

海外に移籍してからはマウスピースを付けてプレーしているが、理由は「基本的にはを守るというところ」だが、「自分のイメージとして、球際が強い、デュエルが強いというイメージが浸透しつつあるので、ファイターらしく見えるかな」というイメージ戦略の部分もあるという。製作費は、高級が軽く買えるぐらいの額にはなっているらしい。

リヴァプールに移籍が決まった当初はイングランドでは知られておらず、現地のメディアサポーターから獲得に対して批判的な意見が渦巻いてた。当初はフィットするのに苦労したものの、次第に自分の存在価値を示すようになるとチームに欠かせない選手へと台頭し、酷評していたメディアサポーター手のひら返し遠藤を称賛するのだった。

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遠藤航

1 ななしのよっしん
2020/11/07(土) 19:03:17 ID: bpTHIxIJhQ
まだ6試合くらいとはいえ、ドイツデュエル勝率断トツ1位なのは立キーパスも多いし、今シーズンここまで海外日本人選手で一番安定して評価されてる選手だろ
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2 ななしのよっしん
2020/11/14(土) 11:12:27 ID: bpTHIxIJhQ
昨日パナマ戦のプレー見てたら、ブンデスリーガで高く評価されているのも納得のレベル。いつの間にかとんでもない選手に進化してた

後半パナマが疲れていたとはいえ、ボランチがめられる全ての仕事をほとんど一人でこなしていたようなレベルだもん
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3 ななしのよっしん
2021/06/07(月) 23:28:16 ID: 2AfxI8UA8X
ガチ今期ブンデスリーガで航よりも上のボランチはキミッヒだけだった
それくらい2020-21シーズンパフォーマンスは凄かった
ボール奪取だけじゃなく、モドリッチみたいなプレッシング回避までやってたのは流石ビビった
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4 ななしのよっしん
2023/08/18(金) 06:36:38 ID: ZLuvm5vhAV
リバプールにようこそ
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5 ななしのよっしん
2023/08/18(金) 22:23:48 ID: xPrb9WAQxv
本当の電撃移籍だよな、これ
本当にたいへんなのはこれからだけど、イギリスファン手の平返しするような活躍をして欲しい
ドイツに渡ったときも最初は戦外同然の扱いだったし、そこから地デュエル王の地位を手にしたわけだし
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6 ななしのよっしん
2023/08/18(金) 22:25:23 ID: bHJXy8Q1lB
まぁあれだけ活躍しておいてずっとドイツにいたのがおかしいんだけどな
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7 ななしのよっしん
2024/02/26(月) 14:49:53 ID: QeomtCViSi
アジア差別エグい」2年前の南野拓実に続いてまた...遠藤航優勝カップを掲げる寸前に現地中継カメラが“切り替え”。
https://www.soccerdigestweb.com/photo/id=148603exit
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8 ななしのよっしん
2024/02/26(月) 20:30:31 ID: 42r8ZJTFPz
タイトル獲得おめでとう!!
人続出のリヴァプールにとって救世主
年末あたりからアジアカップを含めて、ずっとフル稼働してるよな
加入当初はあれだけ馬鹿にされてたのが、今やリヴァプールにとって必要不可欠な選手だもんな
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9 ななしのよっしん
2024/03/11(月) 20:07:23 ID: xPrb9WAQxv
ティ戦、寝不足覚悟で見てたけど完璧仕事をしたと思うわ
デ・ブライネベルナルド・シウバ相手にあんだけ渡り合えるのは素晴らしいし、あのデ・ブライネに何もさせずに交代に追い込んだのは圧巻だったわ
それにしてもリヴァプールvsティレベルの高い、いい試合だった。だからこそあそこ日本人いていたのが嬉しいよ
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10 ななしのよっしん
2024/03/14(木) 21:25:58 ID: SqK5f9ecU5
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