- プロ野球選手一覧 > 陳偉殷
陳偉殷(チェン・ウェイン、1985年7月21日-)とは、台湾出身のプロ野球選手(投手)である。
日本での登録名は「チェン・ウェイン」。
概要
無所属 | |
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チェン・ウェイン (陳偉殷) Wei-Yin Chen |
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基本情報 | |
国籍 | 台湾 |
出身地 | 高雄県 |
生年月日 | 1985年7月21日 |
身長 体重 |
183cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2004年 |
経歴 | |
国司大会 | |
代表チーム | 台湾 |
五輪 | 2004年、2008年 |
メジャーリーガーテンプレート |
中日時代
一軍デビューは2005年4月3日の横浜ベイスターズ戦。リリーフで2回を投げたが5失点(自責4)と打ちこまれた。8月7日の横浜戦で延長11回を抑えて初セーブを挙げたが、10試合で防御率6点台に終わった。
2006年に左肘の疲労骨折と靱帯断裂で手術を受け、リハビリのため2007年は育成選手として契約。
2008年、支配下登録に復帰すると、中継ぎとして一軍に定着。中盤からは先発も務め、完封勝利も記録するなど7勝6敗、防御率2.90の好成績を残す。また北京五輪台湾代表に選ばれた。
2009年は開幕からローテーション入りを果たすと、驚異的な安定感と無援護で、好投→勝ち星つかず、のパターンを繰り返す。その回数実に11回、同僚の川井雄大が開幕から11連勝したのとは対照的に、記録的な防御率を維持しながらも勝ち星は伸びなかった。終盤には最多勝を狙う吉見一起が5回から登板し勝ち星を奪われる(ヌッス)など、采配にも嫌われる1年となった。
結局、セ・リーグ歴代10位となる防御率1.54(規定投球回数到達で防御率が1.6を切ったのは、1970年の村山実以来39年ぶり)という圧倒的数字を残し最優秀防御率を獲得したにも関わらず、8勝4敗に終わった。なおクライマックスシリーズでも2試合に登板して2敗。その勝ち運の無さは留まるところを知らない。
2010年は序盤こそ少し苦しんだが、徐々に調子をあげ13勝をマーク。前年よりは援護があったがリーグ2位の防御率にも関わらず10敗を喫し援護が少ないことに変わりはなかった。クライマックスシリーズでは初戦に先発し勝利。日本シリーズでも第2戦、第6戦に先発し1勝、防御率1.38と活躍した。
2011年は左足の故障で開幕から先発ローテーションに入れず、無援護にヌッスも重なり8勝10敗に終わった。かねてからメジャー願望があり球団もシーズン終了後の自由契約を認めたため、オフに中日を自由契約となり、2012年1月にボルチモア・オリオールズと3年契約を結んだ。無援護からくる不憫なイメージもあったためか中日ファンからも好意的に見られており、移籍後の報道も日本人選手に準じる形で行われている。
オリオールズ時代
2012年は1年間先発ローテーションを務め、チーム最多の12勝をマーク。ア・リーグ最優秀新人賞の投票では4位の得票を得た。
2013年は5月に脇腹を痛めて2ヶ月ほど故障者リスト入り。そのため規定投球回数に届かず、7勝7敗に終わった。
2014年は1年間ローテを務め、31試合に登板し、16勝6敗。防御率が初めて4点台を切り、勝利数、勝率ともア・リーグ4位の好成績を挙げ、地元メディアでも「今季のMVP」「エース」と賞賛される。
2015年は11勝を挙げ、ア・リーグ7位の防御率3.34と活躍した。オフにFAとなった。
マーリンズ時代
2016年1月にマイアミ・マーリンズと5年契約を結んだ。背番号は54。台湾の選手としては王建民以来2人目となる開幕投手を務めたが、左肘の故障の影響で22試合の登板で5勝5敗、防御率4.96に終わった。
2017年は、前年手術を回避した左肘が再び故障し、9試合の登板に終わる。2年目終了時点でFAになれるオプトアウト権つきの契約だったが、行使せず残留。
2019年はリリーフで45試合に登板したが、防御率6.59に終わり、オフに契約を1年残して戦力外。5年総額8000万ドルの契約ながらマーリンズでの4年間は102試合13勝19敗、防御率5.10という成績に終わり、地元メディアでは「史上最低のFA契約の1つ」などと酷評される羽目に。
マーリンズ退団後
2020年はシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶが、新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグが開催中止になってしまい、6月に自由契約となる。なおこの年は試合数削減によりメジャーリーガーは年俸がカットされたが、メジャー契約を結んでいないチェンは対象外だったため「2020年に最も稼いだメジャーリーガー」と揶揄された。
ロッテ時代
2020年9月21日、千葉ロッテマリーンズに入団。9年ぶりの日本復帰となった。背番号58。登録名は中日時代と同じ「チェン・ウェイン」となる。中日時代同様無援護に苦しみ勝ち星を挙げることは出来なかったが、貴重な左のスターターとしてロッテのCS進出に貢献した。CS敗退後、自由契約となる。
阪神時代
12月22日、阪神タイガースに入団した。背番号は前年まで能見篤史が背負っていた14。
2021年はオープン戦で結果を残せず二軍スタート。4月29日の古巣・中日ドラゴンズ戦で初登板し、NPBでは10年振りとなる白星を手にした。しかし球速が昨年より5km/h程度落ちるなど最早衰えは隠せず、次戦で打ち込まれ二軍落ち。二軍では抜群の結果を出していたもののジョー・ガンケルが好投を続けていたため昇格機会はなく、6月に左肩を痛めそのままシーズン終了となった。
2022年も回復が遅れる。衰えはいよいよ深刻となり、往年の剛速球や変化球のキレは完全に失われてしまった。二軍では防御率3点台ながら被打率も3割に迫るなど全く上がり目が見えず、シーズン中の6月29日に自由契約、事実上の戦力外となった。2年間で4億円以上の高額年俸を貰っておきながら一軍登板は僅かに2試合とほとんどチームに貢献できず、マーリンズ時代に続いて不良債権の烙印を押されてしまった。
プレースタイル
全盛期は最速154km/hのストレートにキレのあるスライダーやカーブを織り交ぜ、空振りを量産した。肘を故障してからは150km/h弱に留まったものの、打者の手元で動く速球で三振や平凡なゴロに打ち取ることが多かったが、阪神入団後は急速に衰えていった。
人物
ヒーローインタビューに日本語で受け答えるなど、日本語が上手である。平田良介が覚醒した2011年はインタビューでアホの子ぶりを発揮すると「チェンに日本語教えてもらえwww」とコメントされる事も多かった。2019年にはかつての同僚だった小田幸平のYouTubeチャンネルに出演し、当時噂されていた中日復帰について「小田さんがやりたいんだったら一緒にやりたい」と冗談交じりに前向きな姿勢を示していた。
ニコニコなどでは東方Projectの登場キャラクターである「橙(ちぇん)」とかけて「ちぇえええええええん」と弾幕が張られることが多い。
成績
- (2022年終了時点)
通算投手成績
通算:15年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB:7年 | 133 | 95 | 14 | 8 | 37 | 33 | 1 | 14 | .529 | 686.0 | 166 | 541 | 221 | 198 | 2.60 |
MLB:8年 | 219 | 170 | 0 | 0 | 59 | 51 | 0 | 3 | .536 | 1064.2 | 270 | 846 | 526 | 495 | 4.18 |
タイトル・表彰
タイトル | |||
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NPB | 最優秀防御率 | 1回 | 2009年 |
表彰 | |||
NPB | 月間MVP | 1回 | 2009年8月 |
関連動画
関連項目
外部リンク
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