プリゴジンの乱とは、2023年6月24日にロシア国内で発生した武装反乱である。
概要
同グループの創設者である「エフゲニー・プリゴジン」が中心人物となったため、日本語インターネット上では「プリゴジンの乱」と暫定的に呼称されている。他にも「プリゴジンの変」「ワグネルの反乱」など様々な呼ばれ方をしている。
2023年6月24日、ロシアの民間軍事会社(傭兵組織)「ワグネル・グループ」を率いるエフゲニー・プリゴジンは、突如ウクライナ領内に展開していたワグネルの部隊をロシアに侵攻させた。
ワグネルはロシアの首都モスクワから200km付近まで一気に進軍したものの、同日夜にプリゴジンは突然撤収を命令。後述するように、ロシアの隣国ベラルーシのルカシェンコ大統領の仲介により、「ワグネルがロシアの政権から一定の譲歩を引き出しつつモスクワへの侵攻を停止して撤収。参加したワグネル隊員などへの訴追などは行われず、プリゴジン本人もベラルーシに移る」というかたちで収束した。この時点でワグネルはロシア正規軍の軍用機を数機撃墜していた。
同年8月にプリゴジンは搭乗していたプライベートジェットの墜落事故により死亡したため、反乱の動機も、一日で侵攻を中止した理由も不明なままとなった。
背景
同グループは民間の存在であってロシア国防省/ロシア軍の傘下にあるわけではないにもかかわらず、ロシア大統領「ウラジーミル・プーチン」とのコネクションを背景として勢力を拡大。スーダン・中央アフリカ共和国・マリ・リビアなどのアフリカ諸国でロシア政府の意向を反映した軍事活動を行う大規模な民間軍事会社(PMC)となっていた。
2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻においては、最前線で戦うなど目立った働きを見せていた。「数か月間戦って生き延びれば刑期を免除して給与をもらって除隊できる」といった条件で囚人をリクルートしていたとされ、これは日本語インターネット上では俗に「ワグネルチャレンジ」などと呼ばれている。
プリゴジン自身の主張によれば、激戦地「バフムート」では、戦闘員として採用した受刑者5万人のうち2割にあたる1万人が死亡、また別のルートで採用した戦闘員もほぼ同数が死亡、つまりワグネルグループから約2万人の死亡者を出すという激烈な戦闘を行っていたことになる。
だがこの戦いの中で、ワグネルの創設者であるプリゴジンはロシア軍に対する不満を明確に表明するようになっていった。
2023年5月5日には、プリゴジンはSNS「テレグラム」にて、ロシア国防大臣の「セルゲイ・ショイグ」やロシア連邦軍参謀総長でウクライナ侵攻の総司令官「ワレリー・ゲラシモフ」を名指しして「弾薬はどこだ!」と怒りの声を挙げる動画を公開。戦闘に必要なだけの弾薬がロシア軍から提供されていないことに対する強い不満の表明だったとされる。[1]
2023年5月下旬には、プリゴジンは親プーチン派の政治ブロガー「コンスタンティン・ドルゴフ」氏のインタビューに答えて、上記のバフムートでのワグネルの死者数について触れつつ、ウクライナ軍の能力の高さとそれに対するロシア軍の対応の拙さを批判した。そして
「こうしたすべての分断は1917年のような革命とよばれるものに行き着きうる」
「まず兵士が立ち上がる。その後は、彼らの愛する人々が立ち上がる。その数が数百だと思うのは間違いで、既に数万人はいるだろう。殺された者の親族だ。そして今後も数万人が加わるだろう。我々はそれを避けられない」
とも語ったという。[2]
2023年6月2日には、プリゴジンはテレグラムにて「バフムートからワグネルが撤退するルートに、ワグネルの部隊を狙う地雷や爆発物が敷設されていた。これはロシア国防省の関係者によるものだ」との主張を投稿。「ロシア軍がワグネルに危害を加えようとしている」と明確に主張し始めた。[3]
2023年6月4日には、ウクライナの占領地でロシア正規軍の軍人にワグネル部隊が攻撃を受けたため、この軍人を拘束したと発表。その軍人を尋問する動画も公開した。[4]この軍人はロシア軍のロマン・ヴェネヴィチン中佐。彼は解放された後に「ワグネルが武器を盗み、動員された兵士にワグネルと契約を結ばせ、国防省から武器を強奪しようとするなど、ロシアの最前線で「無秩序」をあおっている」と非難するコメントを読み上げる動画を公開している。
2023年6月5日には、プリゴジンは「東部ドンバスでのウクライナ軍の反攻に対し大きな損害を与えた」というロシア軍の主張について「単純に乱暴でばかげたSFだ」と非難した。[5]
2023年6月10日には、ロシア国防省のニコライ・パンコフ次官が「志願部隊」(ワグネルも含む)に「国防省と直接契約を結ぶ(つまりロシア軍の傘下に下る)よう要請するつもりだ」と述べた。「要請」としつつも、7月1日までに契約を結ぶ義務があるとする、強制的なものであったようだ。だが翌日11日にはプリゴジンから「ワグネルはそのような契約をボイコットする」という声明が発表された。[6]
2023年6月13日には、プーチン大統領が会合にて契約を結ぶことへの支持を表明。ワグネル/プリゴジンとプーチンとの意見の相違が明確になった。[7]
2023年6月17日には、プリゴジンは「独自の契約書案をモスクワの国防省に持ち込んだが、受理を拒否される」という様子を収めた動画を公開した。契約書案には「国防省がワグネルの活動を全面支援し、次官ポストを用意する」ことなどを盛り込んでいたという。[8]
2023年6月21日には、ウクライナでの戦況に関し、「ロシア国防省が国民を欺いている」「ウクライナの反転攻勢が失敗しているとロシア国防省は発表しているが、実際には武器や弾薬の不足により多くの村がごっそりと敵側に奪われている」と批判する動画をプリゴジンが公開した。[9]
勃発
そして2023年6月23日、プリゴジンはテレグラムに投稿した音声で、「ロシア軍がワグネルの部隊を攻撃し、ワグネルの戦闘員が大量に死亡した」と非難する声明を発表。「次は我々の番だ」「クーデターではなく正義の行進だ」とも表明した。[10]
これに対してロシア連邦保安局(FSB)は「武装反乱の呼びかけ」と見なすとしてプリゴジンへの刑事捜査を開始すると発表。[11]
翌日2023年6月24日にはプリゴジンが、ウクライナに入っていたワグネルの部隊が国境を越えてロシア南部ロストフ州に入ったと発表。「国防省の部隊、むしろ我々の道をふさぐために投入された徴集兵と言うべきだが、彼らは脇に退いた」「国境警備員が我々を出迎え、戦闘員と抱擁を交わした」とも述べた。[12]さらに、そのロストフ州の州都である要所ロストフナドヌーに到達したワグネル部隊がロシア軍の南部軍管区司令部を包囲する写真も公開。[13]その後、同司令部に入り、ワグネル部隊が飛行場を含む市内の軍事施設を掌握したとも発表した。[14]
また同日プリゴジンは「民間車両に混じって移動していたワグネルの車両に対してロシア軍のヘリが攻撃してきたため、これを撃墜した」と表明した。[15]
同日、ロシア国防省は公式テレグラムにて、この軍事行動に参加したワグネル隊員に呼びかける以下のようなコメントを発表した。
Минобороны России ✔
⚡️ Обращаемся к бойцам штурмовых отрядов «ЧВК «Вагнер».
▫️ Вас обманом втянули в преступную авантюру Пригожина и участию в вооруженном мятеже.
▫️ Многие ваши товарищи из нескольких отрядов уже осознали свою ошибку, обратившись за помощью в обеспечении возможности безопасно вернуться в пункты постоянной дислокации.
▫️ Такая помощь с нашей стороны всем обратившимся бойцам и командирам уже оказана.
▫️ Просим проявить благоразумие и скорее выйти на связь с представителями Минобороны России или правоохранительных органов.
▫️ Мы гарантируем всем безопасность.(和訳例:
⚡️ 私たちはPMCワグネルの傭兵部隊の戦士たちに訴えます。
・あなたは騙されてプリゴジンの犯罪的挑戦と武装反乱への参加に巻き込まれました。
・いくつかの分隊に所属するあなたの同志の多くは、恒久基地に安全に帰還できるように支援を求めており、既に自分たちの間違いに気づいています。
・私たちの側からのそのような支援は、申請したすべての戦闘員と指揮官にすでに提供されています。
・慎重に、できるだけ早くロシア国防省または法執行機関の代表者に連絡してください。
・私たちは皆様の安全を保証します。
)
同日、プーチン大統領は国民に向けた演説を行い、その中で「我々は反逆罪に直面している。この反乱に参加したものは全員処罰する」「内部の裏切りから自国を守る」などと、プリゴジン/ワグネルのこの軍事行動について「反乱」「裏切り」と見なして厳しい対応をとる旨を語った。[16]
だが、プリゴジンはこの演説に対して、テレグラムで「大統領は大きく誤っている。我々は母国の愛国者であり、我々は戦ってきて、今も戦っている。ワグネルの戦士全員だ」「大統領や連邦保安局(FSB)、その他の人物の要請で投降するものは誰もいない」と述べ、投降を拒絶して戦闘を継続する姿勢を示した。[17]
同日には、ロシア側情報筋からの情報として、上記のロストフナドヌーとモスクワの中間付近(モスクワ南方約500km)にある、ボロネジ州の州都ボロネジ市の全ての軍事施設をワグネルが制圧したと報道された。さらに、ボロネジ州では石油貯蔵施設で大きな火災も発生したと報じられた。[18]
その後もワグネルの部隊は北上を継続し、モスクワへと着々と進行。ロシア当局側はこれに対してモスクワに通じる道路を封鎖し、さらにモスクワ市内でも「赤の広場」が閉鎖されるなど警備が強化された。[19]
収束
だが、2023年6月25日午前2時00分ごろ(日本時間)、ロシアと同盟関係にあるベラルーシの大統領府から「同国のルカシェンコ大統領がプリゴジンと協議を行い、ロシアの領土で流血の事態になることは許されないということで合意した」「プリゴジンはワグネルの戦闘員の移動を止めるというルカシェンコ大統領の申し出を受け入れた」「ワグネルの戦闘員の安全が保証される選択肢が検討されている」などのコメントが発表された。さらにおよそ1時間後には、「ルカシェンコ大統領とプーチン大統領が電話で会談し、プーチンからルカシェンコに対して謝意が伝えられた」とも伝えた。[20]
その後、プリゴジンはテレグラムで、「ワグネルを解散させようとしたロシア政権に対して正義の行進を開始し、24時間のうちにモスクワの200キロ手前まで到達した」「この間我々は自分たちの戦闘員の血を一滴たりとも無駄にしなかったが今や流血が起こり得る点に達した」「ロシア人の血が流れる責任を理解し、我々は隊列を方向転換させ予定通り野営地に戻る」と記した。またプーチン大統領の報道官「ドミトリー・ペスコフ」からも「プリゴジンとワグネルへの刑事訴追は中止」「プリゴジン氏はベラルーシへ移動する」「ワグネルの傭兵がロシア国防省と雇用契約を交わすことも可能」といった内容が発表された。[21]
プリゴジンの死
プリゴジンはその後、ベラルーシとロシアを行き来するなどしていた。だが2023年8月23日、プリゴジンの乗ったプライベートジェットが上空8500メートルから墜落し、氏を含む10名全員が死亡する事故が発生した。[22]これが人為的な物なのかは全く不明だが、ネット・SNS上ではロシア軍が関与しているのではないか、暗殺・粛清ではないかとの噂が絶えない状況となっている。
評価
「民間軍事会社が公然と反旗を翻して首都に向けて進軍、大統領がこれを「反逆罪」「裏切り」と非難する演説を行うという大事件ながら、急に進軍は停止され参加者もおとがめなしと発表される」というこの奇妙な収束については、各所から戸惑いの声が挙がった。
BBCロシアの編集長「スティーヴ・ローゼンバーグ」は、ワグネルの撤収が決定した後に報道映像において
「こういう時はただ両手を挙げて「今のはいったい何だったんだ」と言うしかありません」
「プリゴジン氏はほんの数時間前まで部下を率いて丘のてっぺんまで上り詰める決意を固めていた様子でしたがそのまま部下を率いて丘を下りていきました」
「この異様な事態の主な当事者の間でどのような合意がされたかあるいはされなかったのか私たちはいつまでも知りようがないままかもしれません」
と、困惑を隠せないコメントを残した。[23]
ワグネル内部からの情報も公開しながらこの侵攻を称賛していた親ワグネルのテレグラムチャンネル「AP Wagner」(この件を機にチャンネル名変更)は、
「Пригожин обесчестил не только себя, но и всех кто в него поверил.(和訳:プリゴジンは彼自身だけでなく、彼を信じるすべての人たちの名誉を傷つけた)」
「Эх ты лысый бестолковый дурачок.(和訳:ああ、このハゲ、馬鹿野郎)」(注:どのハゲの事か不明。プリゴジンもルカシェンコもプーチンも全員ハゲている)
「12 военных пилотов были уничтожены в ходе попытки остановить продвижение музыкантов.(和訳:ワグネルの進軍を阻止しようとして軍のパイロット12名が死亡してるんだぞ)」
などと怒りのコメントを投稿した。
Twitterの日本語ユーザーの中では、「室町時代の御所巻みたいだな」と日本史クラスタがざわざわしていた。
関連動画
関連リンク
関連項目
脚注
- *「ショイグ!ゲラシモフ!弾薬はどこだ!」 ワグネル創始者が激怒:朝日新聞デジタル
- *ロシアで「革命」起きうる、敗退続けば ワグネルのトップが発言 - CNN.co.jp
- *ワグネルのトップ、ロシア国防省が地雷敷設と主張 バフムートからの撤退ルートに - CNN.co.jp
- *ワグネル、ロシア兵を拘束 正規軍に砲撃受けたと主張 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
- *ワグネル創設者、ロシア軍の主張を一蹴 ウクライナ東部での攻撃めぐり - BBCニュース
- *ロシア軍、雇い兵組織「ワグネル」を傘下に置く意向 プリゴジン氏は反発 - BBCニュース
- *プーチン氏、志願兵と国防省の契約支持 ワグネルは拒否 | ロイター
- *ワグネル創設者、傘下入り迫る露国防相に猛反発…戦況巡りプーチン氏に公然と異議 : 読売新聞
- *ロシア国防省は「国民を欺いている」 ワグネル創設者 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
- *ロシア軍の攻撃で「膨大な」戦闘員死亡、ワグネルトップが非難 - CNN.co.jp
- *ロシアFSB、ワグネル創設者への刑事捜査開始 「武装反乱」の呼び掛けで - CNN.co.jp
- *ワグネル戦闘員、ロシア南部ロストフ州入りか 州知事は平静呼び掛け - CNN.co.jp
- *民間軍事会社ワグネル武装反乱か ロシア軍南部司令部に戦闘員 | 共同通信
- *ワグネル創設者、ロシア軍南部拠点入り 市内の軍事拠点制圧 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
- *ワグネル部隊、ロシアの軍用ヘリ撃墜 プリゴジン氏 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
- *プーチン大統領「裏切りと反逆に直面」 ワグネル捜査巡り - 日本経済新聞
- *ワグネルのトップ、投降を拒絶 プーチン氏が「誤っている」 - CNN.co.jp
- *ワグネルがモスクワ南方500キロの軍事施設制圧 英報道 - 産経ニュース
- *ロシアでワグネル反乱 プーチン氏「裏切り」 鎮圧の構え 正規軍と衝突 - 産経ニュース
- *ベラルーシ ルカシェンコ大統領がプリゴジン氏と協議 事態打開図る | NHK | ロシア
- *「ワグネル」プリゴジン氏、モスクワへの前進中止を発表 ベラルーシ大統領が仲介とロシア報道 - BBCニュース
- *ワグネル代表プリゴジン氏、飛行機墜落で死亡か 搭乗者名簿に名前とロシア当局 - BBCニュース
- *「死ぬ覚悟」の「正義の行進」から一転「流血回避」で撤収 ワグネル、1日の動き - BBCニュース
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