王元姫とは、三国志に登場する女性である。姓が王、名が元姫。217年生まれ、268年に没。
概要
徐州東海郡郯県(現在の江蘇省連雲港市)の出身。魏の重臣王朗の孫、王粛の娘にあたる。
8歳にして詩経や論語を暗誦し、徳行に従い行動していた。祖父の王朗から才を褒められると共に男に生まれなかったことを惜しまれた。
やがて司馬懿の次男である司馬昭に嫁ぎ、五男一女を儲けた。姑(張春華)には孝養の限りを尽くし、目下の者にも謙遜して接した。
息子の司馬炎が晋の皇帝に即位すると皇太后となるが、日頃の仕事を忘れず、質素を尊び、その言動は理に叶っていた。
268年に52歳で没、文明皇后と諡された。
家族
エピソード
- 鍾会のことを「利を見て義を忘れ、事を起こすのを好みます。重用が過ぎると必ず謀反を起こします。大事は任せられません」と司馬昭に言っていた。
- 王元姫には王恂、王虔、王愷など8人の兄弟がいた。その一人王愷は石崇(石苞の子)と贅沢を競った。
- 王愷が四十里(約17.3km)の紫の絹の幕を作れば、石崇は五十里の錦の幕を作って対抗した。石崇が壁土に山椒を混ぜると、王愷は赤石脂(酸化鉄を含む陶土で漢方薬の材料)を壁に塗った。王愷が水飴を燃やし釜を炊くと、石崇は蝋を薪の代わりにした。
- 王愷が司馬炎から二尺程(約48cm)の見事な珊瑚樹を賜い、石崇に自慢すると石崇はこれをハンマーで打ち砕いた。王愷が怒ると石崇は「大丈夫、今すぐ返すから」といって先の珊瑚樹とは比べ物にならない倍くらいの高さの珊瑚樹をいくつも見せた。王愷は言葉もなかった。
- 王愷は、石崇は客が来た時即座に豆粥を用意すること、毎年冬に美味しいニラ料理を作ること、スピードの速い牛車を持っていることを訝っており、石崇の従者を買収してこれらの秘密を聞き出した。後でこれを知った石崇はその従者を殺した。
- 王愷が酒宴を開いた時、一人の妓女が笛の音程を外したので即座にこれを殴り殺した。別の酒宴では、美女に酒を注がせ、客がこれを飲まないと即座に殺すということをしていたが、王敦(後に東晋を建国する重鎮の一人)だけは美女にせがまれても頑として酒を飲もうとしなかった。
- その他徳行から外れた行動が多かったせいか、死んだ時の諡は「醜」だった。どこの呉質だ。
各メディアにおける王元姫
三国志大戦
真・三國無双6
亭主の司馬昭や義兄の司馬師らと一緒に「活眼の美姫」として参戦。
なんといっても胸の大きさに定評がある。
(CV:伊藤かな恵)
公式の人気投票では見事一位となり、ソフトの特典として彼女の衣装や武器の別バージョンが配布されたりと、目立っている。
ニコニコ動画における王元姫
ニコニコ静画における王元姫
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関連項目
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