諸葛尚とは、三国志に登場する人物である。245年(延熙8年)生まれ、263年(炎興元年)没。
蜀漢の丞相、諸葛亮(孔明)の孫、諸葛瞻の子。
概要
263年(炎興元年)、魏の鄧艾や鍾会の軍が蜀漢を攻めた。漢中を落とし、鍾会の軍が姜維らの軍を剣閣に釘付けにしている隙を鄧艾の別働隊が間道を経由して成都を攻め上る勢いを見せたので、諸葛瞻は子の諸葛尚らと共に劉禅の勅命で出撃した。
諸葛瞻は涪(四川省綿陽市涪城区)で軍勢を整え鄧艾を迎撃したが先鋒隊が敗れたので、改めて綿竹(四川省徳陽市綿竹市)で防御を固めた。
鄧艾は諸葛瞻に「降伏したら上表して琅邪(山東省臨沂市。諸葛氏の本籍の土地)の王にしてやろう」と降伏勧告を送ったが諸葛瞻は使者を斬り捨て、鄧艾に決戦を挑んだ。初戦では鄧艾を打ち破ったが鄧艾の反撃に遭い、諸葛瞻と諸葛尚親子、黄崇(黄権の子)、張遵(張飛の孫で張苞の子)、李球(李恢の甥)らと戦死した。
三国志の注『華陽国志』には、諸葛尚が魏軍に突撃する前に「我々親子は国の恩恵を受けたが、さっさと黄皓を斬らなかったため今日の敗北を招いてしまった。生きていて何になろう」と言い残した事が記されている。
家族
この他、清の張澍が記した『諸葛忠武侯文集』には諸葛尚の弟には諸葛質という人物がいたとある。
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関連項目
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