「小笠原貞慶」(おがさわら・さだよし 1546 ~ 1595)とは、戦国時代の武将である。
特に信長の野望・革新で、名弓「一張弓」や珍宝「小笠原流庭乗」を、
信濃小笠原家
↓
越後上杉家
↓
三好家
↓
織田家
↓
徳川家
↓
豊臣家
へと輸送する際に従った黒子の中の人(多分)で、家宝ボッシュートされた後に爆弾として投下される事に定評がある。
本体の概要
「一張弓」(いっちょうゆみ)とは、「天下に一張」という意味を込めて名付けられた最高位の弓であり、小笠原流弓術免許皆伝の証でもある弓のこと。伝書とともに与えられ、伝書と弓のセットは小笠原流宗家が一代につき一人しか与えないことになっている。弓自体は江戸時代に小笠原貞慶より徳川将軍家に与えられたものが存在している。
※「信長の野望革新」では、武勇を+10する一等級の家宝として登場。
「小笠原流庭乗」(おがさわらりゅうにわのり)とは、鎌倉時代に生まれた小笠原流礼法のうち馬術の極意を記しているとされる書物。庭乗とは貴人の前での馬の乗り方を差す。
※「信長の野望革新」では、騎馬適正をアップさせる二等級家宝として登場。
中の人の概要
村上義清と並ぶ信濃の実力者とされ、信濃守護を務めた小笠原家小笠原長時の三男に生まれる。
父・小笠原長時が武田信玄に敗れて居城の深志城を追われた際に共に落ち延び、越後の上杉家へ身を寄せる。上杉謙信からは厚遇をうけたものの、後に京都小笠原氏や三好家を頼って京に赴き、三好長慶に仕えた。元服の際には三好長慶の「慶」の字を拝領して小笠原貞慶を名乗った。
三好長慶が死ぬと三好三人衆と行動を共にするが織田信長に敗れ、父と共に再び上杉謙信を頼った。紆余曲折あって織田信長が武田氏を滅ぼした暁には信濃に所領を与える事と父・小笠原長時を信濃守護とする約束を魔王・織田信長と交わし、守護復帰に一縷の望みを賭けて織田信長に仕えることにした。
その後、会津の蘆名盛氏の世話になっていた父・小笠原長時のもとへと赴き、小笠原家の家宝や家伝等の相伝を受けた。ここから貞慶の(ゲーム中での)苦難が始まる。
父・小笠原長時の信濃守護復帰の為に、越中の国人を織田信長の方へと引き入れたり、武田信玄亡き後の武田家からの切り崩しを担当した。昔世話になった越後の上杉氏に対する工作も行う等、恥も外聞も捨てて働いた小笠原貞慶だったが、武田勝頼が織田信長に敗れて甲斐武田氏が滅亡すると、信濃は織田信長に組した木曾義昌に与えられることとなり、旧領を完全にボッシュートされてしまった。領地への復帰が絶望的となった小笠原貞慶は徳川家康に仕えることになった。
その後、本能寺の変により織田信長が死ぬと、叔父・小笠原貞種が越後上杉氏の後援をうけて信濃に侵攻して深志城を奪還し、徳川家康の元にいた小笠原貞慶は嫡子・小笠原秀政を徳川家康の人質に差し出して、自身は小笠原旧臣と共に信濃入りして旧領を回復した。
小牧・長久手の戦いでも徳川家康について羽柴秀吉と戦った小笠原貞慶だったが、その後、徳川の重臣・石川数正が豊臣秀吉の元へと出奔した際に徳川家康の人質として預け、その後石川数正の与力となっていた嫡子・小笠原原秀政を石川数正からボッシュートされて豊臣秀吉に引き渡されてしまった事から、豊臣秀吉に仕えることになった。が、さらにその後、豊臣秀吉と徳川家康が和睦すると、豊臣秀吉の命により豊臣秀吉の直臣の身分で徳川家康の家臣となった。
その後は、家督を小笠原秀政に譲り、小田原征伐で前田利家旗下にて戦った戦功により讃岐に所領を与えられたが、豊臣秀吉が追放した尾藤知宣を庇護した事が豊臣秀吉の勘気に触れて所領をボッシュートされて改易となる。子・小笠原秀政が徳川家康の関東移封に伴って下総古河に所領を与えられると、小笠原秀政に従って古河にうつり、小笠原貞慶の信濃守護・信濃所領・息子・讃岐所領といったボッシュートの旅は終わり、同地で没した。
※その他「小笠原貞慶」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
そして現代・・・小笠原貞慶のボッシュートの旅がゲーム中に蘇るとは・・・
ゲームでの概要
元々小笠原家…というか小笠原流礼法は初代小笠原長清が源頼朝の弓法師範であったことに端を発し、その後鎌倉幕府に勤仕したことから大成している。
しかし時は経ちすぎたのか、戦国の世を再現したゲームではあまりいい扱いをされなかった。
その傾向は2014年8月での最新作である「信長の野望・創造」でも続き、小笠原一族はパッとしない能力ばかり割り振られている。
一方で有職故実を伝える名家であるからか、革新では上記のように小笠原家の家宝を2つも持たされている。
だが悲しいかな小笠原流礼法にゲーム上の意味づけや効果が与えられたことはただの一度もない上、ゲーム上の恩恵が「剣豪」以上に薄い「武士」で登録されていることが多いため、革新ではただの無償家宝商人とされている。
一応弓適正がSのため弓系の技術研究や熟練度上げ、つまり「OMIKATA」には有利だが…。
もっとも、小笠原一族の能力値がしょぼい理由は主に…というかほぼシステムのせいである。
信長の野望では武芸者はだいたい武勇・教養だけが高く統率はそこそこで政治・知略はからっきしという扱いが多く(特に上泉信綱で顕著)、特に弓系の師範は弓最強を避けるために意図的に能力を低められているから仕方がない部分も多い。例えば日置流弓術伝承者の吉田重政やその教授を受けた六角義賢は、共に弓Sだが武勇以外の能力はパッとしない。一方で鉄砲は島津一族・織田一派のせいで統率90以上の鉄砲Sがゴロゴロと(略)
関連動画
▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキングに弓[S]の適正優秀者として子の小笠原秀政と共に登場。
補足
「信長の野望」(PC)シリーズにおける小笠原貞慶の能力一覧。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 71 | 戦闘 | 70 | 智謀 | 44 | 政治 | 48 | 野望 | 58 | ||||
天翔記 | 戦才 | 140(B) | 智才 | 90(B) | 政才 | 126(B) | 魅力 | 76 | 野望 | 68 | ||||
将星録 | 戦闘 | 67 | 智謀 | 55 | 政治 | 65 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 61 | 戦闘 | 57 | 智謀 | 51 | 政治 | 62 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 57 | 智謀 | 43 | 政治 | 54 | 野望 | 55 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 55 | 知略 | 38 | 政治 | 59 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 53 | 知略 | 36 | 政治 | 56 | 教養 | 54 | ||||||
革新 | 統率 | 60 | 武勇 | 71 | 知略 | 40 | 政治 | 63 | ||||||
天道 | 統率 | 60 | 武勇 | 71 | 知略 | 40 | 政治 | 63 | ||||||
創造 | 統率 | 57 | 武勇 | 67 | 知略 | 44 | 政治 | 62 |
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 小笠原貞慶の憂鬱
- 小笠原爆弾
- 一張弓(いっちょうゆみ)
- 小笠原流庭乗(おがさわらりゅうにわのり)
- 家宝の人
- 殺してでも うばいとる
- ガラハド
- ボッシュート
- ボンバーマン
- 弓道
- 小笠原長時
- 上杉謙信
- 三好長慶
- 織田信長
- 徳川家康
- 豊臣秀吉
- 小笠原秀政
- 石川数正
- 武田勝頼
- 尾藤知宣
- 戦国時代の人物の一覧
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- iM@S架空戦記シリーズ
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関連リンク
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